お早ようの紹介:1959年日本映画。ねだってもテレビを買ってもらえない実と勇は、ハンガーストライキとだんまりを決め込みます。大人には大人の、子供には子供の言い分があります。二人の反抗はいったいいつまで続くのでしょうか。日常をユーモラスに描いた作品です。
監督:小津安二郎 出演者:林実(設楽幸嗣)、林勇(島津雅彦)、林民子(三宅邦子)、林敬太郎(笠智衆)、原口きく江(杉村春子)ほか
映画「お早よう」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「お早よう」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「お早よう」解説
この解説記事には映画「お早よう」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
お早ようのネタバレあらすじ:起
ある郊外の住宅地では、近隣同士がひとつの家族のように密接に関わり合って暮らしていました。林家の実と勇は、友人と一緒にこの住宅地から登下校しています。子供たちのブームはオナラ遊び。額を押されるとオナラを出すというなんともな遊びで、これを成功させるために、芋をたくさん食べたり、軽石を粉にして飲んだりと日々努力を怠らないのでした。子供のいない丸山夫婦の家にはテレビがあって、子供達はよくそこに集まって相撲をみたりしています。親達はそれをあまり快く思っておらず、いつも誰かしらの親が来て注意しにきます。どうしてもテレビがみたい実と勇は、家へ帰ると両親・民子と敬太郎に「テレビを買ってよ」と駄々をこねますが、もちろん相手にされません。
お早ようのネタバレあらすじ:承
一方、大人達の間でも少し問題が起こっています。婦人会会費の集金が行方不明になっていたのです。主婦たちは、つい最近「洗濯機」という高い買い物をした原口家の奥さん・きく江を密かに疑って、こそこそと噂をします。しかしその噂が本人の耳に入ってしまい、腹を立てた彼女は民子のところへ「うちは受け取ってませんよ!」と文句を言いにいくのでした。ところが家へ戻ると、きく江のおばあちゃんがしっかり受け取っており、渡すのを忘れていただけなのに気づき、慌てて謝りにいきます。 その夜、実たちはテレビを買ってもらえない腹いせにハンガーストライキを決行します。テレビを隣へ見に行っても行けないし、買ってももらえないなんてあんまりだとわめき散らすのでした。そんな二人に「くだらないことでぺちゃくちゃ騒ぐな」と父親の雷が落ちます。そこでさらにへそを曲げた二人は、ハンガーストライキの上に、一切口をきかないという誓いを立てたのでした。
お早ようのネタバレあらすじ:転
次の日の朝、二人は一切口をききません。ちゃっかり朝ご飯は食べていきますが、「いってまいります」は言わないのでした。近所の人とも口をきかない徹底ぶりで、きく江に挨拶をされても無視を決め込む二人なのでした。 きく江は二人の態度をみて、昨日の会費問題を民子が根に持って、子供にまで話したんだと勘違いし、さっそく隣の奥さんに愚痴を言いにいきます。ここの奥さんたちはとにかくおしゃべりが大好きで、いつでもいない人のことをこそこそと噂しているのでした。 学校でも口をきかない実と勇。しかし、重大な問題が発生します。親から給食費をもらわなくてはいけなくなったのです。二人はなんとかジェスチャーで伝えようとしますが、全く伝わりません。
お早ようの結末
そんなとき、失職中だった隣の主人の勤め先が東和電気のセールスマンにやっと決まり、敬太郎は就職祝いと息子たちへのプレゼントも兼ねて、テレビを買ってあげることにしたのでした。河原でストライキをしていた二人は、家へ帰るとテレビがある事にびっくり。すぐにぺちゃくちゃとしゃべりだします。 次の日の朝、もりもり朝ご飯を食べて、きっちり「いってまいります」を言う二人の姿が戻ってきました。きく江はなにがなんだかわからず、相変わらず噂話をはじめます。よく晴れわたった空の下で、二人は元気よく「お早よう」を言うのでした。
「お早よう」は大人と子供が対等に渡り合う、まるで「夢のような」楽しい作品に仕上がっている。従来の小津作品よりも子供たちの出番が多く、自分の両親を煙に巻いたり、「丁々発止」のやり取りが堪らない。大人には大人の事情があるように、子供にも「子供の都合」があるのだ。林家(はやしけ)の幼い「でこぼこコンビ」がお揃いのセーターで登場するや、満場の客席からは万雷の拍手喝采が沸き起こる。「デコボコ兄弟」のお揃いのセーターの配色が実に絶妙で、ここでも小津のセンスがキラリと光る。そして頬っぺを膨らませた弟の勇くんの表情は、アニメキャラの「タコ坊」のようでとても愛らしい。お兄ちゃんの実くんはクールで端正な顔立ちの凛々しい少年。こんなにも素敵な兄弟が、もしも自分の子供だったなら他には何もいらない。そして妻は「才色兼備」にして「良妻賢母」の女の鑑「三宅邦子」なのだから、もう借家でも仮設住宅でも何でも良い、こんな家族を一度は持ってみたいと思う。そしてこの作品を観て最初に思ったのは、これは「藤子不二雄の漫画の世界」だなあ、っと。「オバケのQ太郎」なんかに登場する、郊外に暮らしている平凡な家庭がモデルであるかのような錯覚を覚えたのである。「小津ファン」を自称する漫画家の山田玲司氏が、「小津安二郎は完璧主義の漫画家である」と言っていた。さすがにプロのアーティストの見解には説得力がある。この映画は、正に「北斎漫画」ならぬ「小津漫画」の集大成なのである。そしてこの物語の舞台となっているのは、昭和30年代の多摩川沿いにある新興住宅地で、最寄りの駅は恐らく川崎市の「八丁畷駅」であろう。この界隈は住宅地から多摩川の土手を見上げる立地(ロケーション)となっていた。その土手を行き交う人々と、住宅地からその光景を見上げる人々との絶妙なる交差がユニークで面白い。小津は頻繫にこのユニークな構図を駆使して立体感と奥行き感を強調している。それはあたかも「オーケストラピット」からステージを見上げるような「不思議な感覚」なのである。この映画の登場人物はとても多彩であり、まるで野球のオールスター戦のような賑わいを見せている。そう、これはもう「フィエスタ」であり、この作品は完全に「小津まつり」の様相を呈しているのである。だからこそ夢のように楽しい「究極のマンガ」になっているのだ。子供や大人が所かまわずオナラを「ㇷ゚ーっ!」と、「あちらでもこちらでも」って、こんな風変わりな映画は後にも先にも観たことがない。これぞ漫画や落語のユーモラスで、「奇妙奇天烈」な世界観なのである。この映画は、他にも随所にユニークで「斬新な手法」が用いられている。ところで、小津はオナラの構想を随分と昔から練っていたのだそうだ。そして杉村春子の母親役を演じた、「三好栄子」の怪演も誠に圧巻であった。三好は伝説の名優「松井須磨子」とも共演したことのある経験豊富なベテラン女優だ。彼女はこれまで黒澤や成瀬など数多の名監督にも重宝されてきた名脇役なのである。その三好が演じる「おばあちゃん」が、柳刃包丁を手にして押し売りを追い返すシーンが愉快で爽快。そして呆気ないくらいにシンプルで平凡なラストシーンが却って印象的だった。駅のホームで久我美子と佐田啓二が交わす二人の会話にはこの映画のエッセンスがギュッと凝縮されている。結局のところ、久我と佐田はこの映画では結ばれることはなかった。「生涯独身」の小津はそのことに拘って、作品に「普遍性」を与え爽やかな風を吹かせたのである。久我と佐田の付かず離れずのこの絶妙微妙な関係は、ラストシーンがそのままファーストシーンにも繋がるという「エンドレスの普遍性」を見事に具現化している。この映画での恋愛(恋ごころ)が決して完結しないことによって、鑑賞者にその先を想像する歓びと、またこの二人に再会できるという安心感と「至福感」を与えてくれたのである。だからこそ「お早よう」は、小津が「発明」したオリジナリティに富んだ夢のような「傑作映画」なのである。仮にノーベル賞に映画部門があったなら、このユニークな作品こそは紛れもなく、「ノーベル映画賞」に値する稀有な存在であると私は深く確信している。