パヴァロッティ 太陽のテノールの紹介:2019年イギリス,アメリカ映画。ルチアーノ・パヴァロッティは60~00年代に活躍したオペラ歌手です。イタリアオペラ界だけでなく世界的な人気となり、大きなスポーツスタジアムに数万人の観客を集めるまでになります。慈善活動にも熱心で、ロック歌手らとのチャリティベントのコラボも行いました。私生活でも明るく楽しい人柄は多くの人に愛され、彼自身も人生を楽しみました。本作は、パヴァロッティのオペラ歌手としての生涯を追ったロン・ハワード監督によるドキュメンタリー映画です。
監督:ロン・ハワード 出演:ルチアーノ・パヴァロッティ、ジュリアーナ・パヴァロッティ、ロレンツァ・パヴァロッティ、ニコレッタ・マントヴァーニ、アドゥア・ヴェローニ、アンジェラ・ゲオルギュー、ズービン・メータ、ブラシド・ドミンゴ、ユージン・コーン、ホセ・カレーラス、ボノ、ほか
映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
パヴァロッティ 太陽のテノールの予告編 動画
映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」解説
この解説記事には映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
パヴァロッティ 太陽のテノールのネタバレあらすじ:起・パヴァロッティの生い立ちとデビュー
ルチアーノ・パヴァロッティは、ブラジルのアマゾン川で川下りを楽しんでいます。彼はオペラ歌手のエンリコ・カルソーが公演したブラジルのオペラハウスで独唱します。パヴァロッティを知る人は、彼は自由に生きる人だったと語ります。
パヴァロッティは1935年にイタリアのモデナで生まれます。父はパン焼き職人でしたが、父には歌の才能がありました。幼いパヴァロッティは父が教会で歌うのを見て育ちました。やがて、パヴァロッティは教師をしながらオペラ歌手を目指すことにします。
1955年にパヴァロッティは、オペラのコンテストで表彰されます。1961年には「ラ・ボエーム」でテノール歌手としてデビューします。彼は同年に結婚し、三人の子供にも恵まれます。パヴァロッティの娘達は父との思い出を楽しそうに語ります。
彼はテノール歌手として成功を収め、1963年のロンドン公演など国際的に名声を高めます。その後、アメリカでも公演します。オペラ歌手や評論家はパヴァロッティの「ハイC(テノールの高音の代名詞)」の能力を絶賛します。
パヴァロッティ 太陽のテノールのネタバレあらすじ:承・世界的なパヴァロッティの人気
1960年代以降、テレビの普及により彼の演奏はテレビでも放送され、その人気はますます高まります。関係者は彼は非常に楽しく、愛される人であったと回想します。映画は彼がテレビの料理番組でスパゲッティを作る映像を紹介します。彼には多くの取り巻きがいて、コンサートの後などは大きなパーティで取り巻きと食事を楽しんだと言います。
1970年−80年代にかけて、彼の人気はオペラ界を超えます。アメリカの人気トークショーに出演し、笑いを振りまき、タイムなどの有名雑誌の表紙にもなり、テレビのコマーシャルにも登場します。パヴァロッティの人気は爆発的になり、そのビジネスも巨大化します。
彼の人気はアメリカのロックスター並みになり、大きなスタジアムで数万人を集めるまでになります。1986年には中国で公演を行います。彼は天安門広場を自転車で楽しみ、中国人とオペラを歌います。
パヴァロッティ 太陽のテノールのネタバレあらすじ:転・慈善活動と大物スターとの共演
パヴァロッティは、テノール歌手のホセ・カレーラスが白血病の治療中であることを知ります。カレーラスは治療後にパヴァロッティとブラシド・ドミンゴと、ニューヨークで会います。三人はサッカーファンであり、1990年にイタリアのローマで行われるサッカーワールドカップの決勝戦の前にコンサートを開くことで同意します。
1990年のローマ、三人はズービン・メータの指揮の元に共演し満場の拍手を浴びます。パヴァロッティは「誰とも寝てはならぬ」を絶唱します。以後、三人は”The Three tenors”(三大テノール)として活動をはじめ、世界的な人気を得ます。
パヴァロッティの人気はもはや、ロック歌手を上回るものになります。彼は慈善活動にも熱心で、赤十字や地雷除去活動にも関わり、イギリスのダイアナ妃とも交流を深めます。イギリスのイベントで雨の中、ずぶ濡れになりながら、パヴァロッティは歌い、ダイアナ妃からも感謝されます。
パヴァロッティはスティング、ブライアン・メイ(クィーン)、スティービー・ワンダーらとも共演します。しかし、彼の他のジャンルの歌手との共演は、オペラ界から批判されます。
パヴァロッティ 太陽のテノールの結末:再婚と死
アイルランドのロックグループ、U2のボノがパヴァロッティとのチャリティの思い出を語ります。1990年代の半ば、ユーゴースラビア内戦で多くの死傷者がでます。パヴァロッティとボノは曲を作りチャリティコンサートを開きます。
2000年には妻との離婚が成立し、パヴァロッティと34歳年下のニコレッタ・マントヴァーニとの交際が話題になります。多くのイタリア人は彼の離婚と恋愛に批判的です。二人は女児のアリスを出産します。2003年、パヴァロッティとニコレッタは結婚します。パヴァロッティはアリスの前で歌います。
21世紀になると、60歳を過ぎたパヴァロッティにも衰えが目立ちます。古くからのファンはもう全盛期の彼でないと感想をもらします。彼自身も健康の悪化から死期が近いことを感じます。
71歳でがんが発見され、手術を受けますが、2007年9月、パヴァロッティは亡くなります。彼の葬儀ではイタリア空軍がイタリア国旗を空中に煙で作り、パヴァロッティの棺を沿道で多くの人が見守ります。
映画はパヴァロッティの業績を字幕で紹介します。最後のシーンは全盛期のパヴァロッティが熱唱する姿です。
以上、映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」のあらすじと結末でした。
オペラのことが全くわからなくても楽しめる映画です。オペラ歌手やマネージャーなどが解説するシーンがあるので、そこでオペラのことが学べます。
パヴァロッティの生い立ちも興味深いのですが、何より歌です。広い映画館の音響で、パヴァロッティの歌声を味わえるのは大変贅沢な気分になれます。オペラのことが詳しければより楽しめるのでしょうが、まったくオペラのことがわからない人が見ても感動するのはパヴァロッティは奇跡の歌声をもっているからでしょう。ロックアーティストと共演するのをオペラの保守派はよく思ってない解説がありますが、実際にU2などと舞台を共にしているシーンは違和感なく感動的な場面でした。