レベッカの紹介:1940年アメリカ映画。アルフレッド・ヒッチコック監督がダフネ・デュ・モーリアの小説を映像化した、訪米後初の作品。この作品で、アカデミー賞を受賞した。モノクロ映画にした事で、登場人物の個性が引き立てられている。若い女性(ジョーン・フォンテイン)の一人称で語られていく映画です。
監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:デビッド・O・セルズニック 出演:ローレンス・オリヴィエ(マクシム・ド・ウィンター)、ジョーン・フォンテイン(マリアン)、ジョージ・サンダース(ジャック・ファヴェル)、ジュディス・アンダーソン(ダンヴァース夫人)、ほか
映画「レベッカ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「レベッカ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「レベッカ」解説
この解説記事には映画「レベッカ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
レベッカのネタバレあらすじ:起
お金持ちのイーディス・ヴァン・ホッパー夫人の付き添いで、モンテカルロまで同行した「私」は、同じホテルに滞在していたマックス・デ・ウィンターと知り合い、あっという間に恋に落ち、彼をマキシムと呼ぶことになった。
マックス・デ・ウィンターのプロポーズを受け、ホッパー夫人をやめ、デ・ウィンター夫人としてマンダレーに行く事になった。マンダレーはお城のような大邸宅で、使用人大勢を使っていた。家政婦長のダンヴァース夫人はマキシムの前妻レベッカが嫁いだ時に今の職につき、彼女の身の回りの世話と屋敷の管理をしていた。
朝食後、私は使用人フリスにモーニングルームの場所を教わった。前妻レベッカは手紙や電話のやり取りをしていたそうだが、彼女の私物と西塔の部屋は生前のままにしてあった。姉のビアトリスと夫ジャイルズのレイシー夫妻、マキシムの財産管理をしているフランク・クローリーと会い、交流するようになった。
その後ジャック・ファヴェルというレベッカと親交があったと言う従兄と顔を合わせたが、マキシムには今日会った事を秘密にしてほしいと言われた。
レベッカのネタバレあらすじ:承
マンダレーの女主人として一日でも早く認めてもらいたい私は、仮装舞踏会を開いて沢山のお客を招待する事にした。私は皆を驚かせるつもりで、自分の仮装について内緒にしていたが、喜ぶはずのマキシムはショックを受けて怒り、別の服に着替えるように言った。
その衣装はレベッカが以前舞踏会で着た服で、ダンヴァース夫人の提案だったのだ。私は階段を上がり、ダンヴァース夫人が屋敷の西塔にあるレベッカの部屋に入るのを見かけ、後を追いかけて話をしようとした。
ダンヴァース夫人が私にレベッカへの敗北を認め、窓から海に身投げをするように説得しようとした時、急に大きな爆発音がした。難破船が緊急の信号弾を上げている音だった。私は我に返り、マキシムを探し回った。彼はコテージにいたが、私に自分の驚くべき秘密を話した。
それは、レベッカとの愛のない結婚生活と彼女の死の真相だった。彼女は、マキシムの仕事の右腕のフランクを誘惑しようとするが失敗し、従兄のジャックを始め他の男の友人達と密通していた。マキシムは耐えかねて彼女の密会場所のコテージに行って話をつけようとしたが、彼女は笑みを浮かべながら妊娠を告げ、彼を挑発した。
レベッカのネタバレあらすじ:転
マキシムが気がついた時にはレベッカは床に倒れていた。彼がかっとなって彼女を殴った時、倒れて船の重い滑車に頭をぶつけた。マキシムはレベッカの死体をヨットに運んだが、それがずっと船の底に沈んでいたらしい。以前打ち上げられた死体は彼女のものだと思われて埋葬されたのだが、別人のものだった。
話し終えた時、州警察の本部長ジュリアン大佐からの電話があり、警察からの要請で遺体安置所へ行った。遺体安置所で、遺体確認当事は体調不良が原因で、間違いをしたと言った。翌日、検視審問を受ける事になったが、事件の真相の告白前より私の愛情は深まり、彼の気持ちも確認する事が出来た。
検視審問当日は、私も一緒について行った。ヨットの底に穴が開けてあったので、疑惑を持たれたらしい。レベッカが生前自殺する為に開けた穴という結論になったが、従兄のファヴェルがこれに疑問を唱え、マキシムによる彼女の殺人だと言い出した。
オールドキャロルインという酒場の個室に、マキシム、フランク、ファヴェル、ジュリアン大佐が勢揃いする。ファヴェルがダンヴァース夫人を呼び出して生前のレベッカの話を聞いたが、彼女はロンドンの病院に密かに通っていた事が分かった。
レベッカの結末
ダンヴァース夫人を除いて全員で、レベッカの主治医ベーカーに話しを聞く事にする。ロンドンの診療所ではベーカーからレベッカは妊娠はしておらず癌に侵されており、余命いくばくもなかったという事実を告げられた。この話は彼女が自殺する動機として十分だった。
マキシムの疑いが晴れ、フランクと彼はマンダレーに戻る事にした。二人が車で近づいていくにつれ、空が真っ赤に燃えているのが見えた。心配したマキシムと私は再会し、お互いに無事で会えた事を喜んだ。
マキシムの留守中、ダンヴァース夫人の気が狂い、マンダレーで私とマキシムの幸せな姿を見るのが耐えられないと言い、屋敷に火をつけたのだ。私やマキシム、大勢の使用人達の見守る中、マンダレーは手がつけられない程になっていた。
ふと屋敷の西塔のレベッカの部屋を見ると、ダンヴァース夫人がいるのが見えた。彼女は亡きレベッカの影を慕い、マンダレーと共に灰になる道を選んだのだ。
以上、映画「レベッカ」のあらすじと結末でした。
「レベッカ」感想・レビュー
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この映画「レベッカ」は、ハリウッドの大製作者デイヴィッド・O・セルズニックと契約したアルフレッド・ヒッチコック監督が、アメリカに渡って最初に手掛けた作品であり、1940年度の第13回アカデミー賞で、最優秀作品賞と最優秀撮影賞(白黒)を受賞して、アメリカ映画界へ華々しい登場となった作品ですね。
イギリスの女流作家ダフネ・デュ・モーリアが1938年に書いたゴシック・ロマン小説の映画化で、女性が結婚して得る幸福の意味を追った小説ですね。
アルフレッド・ヒッチコック監督は、原作の持つ雰囲気描写を映像に置き替えながらも、内容の上ではヒロインの心理的不安、そして殊に、映画の後半に見られる謎解きと裁判のサスペンスに興味を移し替えてまとめあげていると思います。
この映画は一人称による原作の持ち味をそのまま使って進行しているため、ジョーン・フォンテーンが扮するヒロインの「私」で話が進むのも実にユニークですね。
金持ちの未亡人の秘書をしていたアメリカ娘のマリアンは、モンテカルロのホテルで、どこか翳のある金持ち貴族のマキシム・ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)と出会い、彼の二度目の妻としてイギリスの荘園マンダレイにやって来ます。
この映画のタイトルの「レベッカ」とは、今は亡き前妻の名前。
画面には一度も登場しないのですが、イギリスのコーンウォールの海岸に立つ由緒あるマンダレイ荘のあらゆるものに、美しかったというレベッカの痕跡が残っていて、その最たる存在が、レベッカの身の回りの世話をしていた召使いのダンバース夫人(ジュディス・アンダーソン)だった。主人公の「私」は、決して心から打ち解けようとしない夫や、いつも自分を見張っているような黒づくめのダンバース夫人、そしてレベッカの痕跡などに小さな不安を抱きつつ、マンダレイの女主人としての務めを果たそうとするのですが、その一方、孤独で贅沢など知らずに生きてきた「私」にとって、ここでの生活は何から何まで新鮮で、夫への愛も揺るぎないものだった。
それにしても、この”ゴシック・ミステリー”は、描写のほとんどに”チラッとした不安”を誘う仕掛けが埋め込まれていて、観る側も、主人公の「私」と全く同じ条件に置かれているだけに、その一つひとつに落ち着かない気分にさせられてしまいます。
閉じられた部屋。窓をよぎる影。揺れる白いカーテン。レベッカの頭文字のRが浮き彫りになったアドレス帳。黒い犬。
そして、レベッカの呪縛に取り憑かれたような夫の不可解な振る舞い——–。二階のフロアの壁に飾られている、夫がお気に入りだと言う、美しい女性の全身像の絵も何やらいわくありげだ。
そして、これらの妖しい雰囲気を醸し出すモノクロの映像がまた絶妙で神秘的なんですね。そういえば、今やすっかり荒れ果てたマンダレイ荘の外門を、カメラがゆっくりとすり抜けて中へと入っていく冒頭のシーンからして、既に怪しい雰囲気でしたね。
そして、仮装パーティーを開くことにした「私」が、ダンバース夫人に勧められ、二階の絵の女性とそっくりのドレスで装い、夫に激怒される場面の身の置きどころの無さ——–。
絵の女性はレベッカだったのだ。映画の後半、ヨットで転覆死したというレベッカの死の真相が、二転三転するくだりも、実にスリリングですね。
「レベッカ」は、幾つもの謎や不安については確かにミステリアスだが、終わってみるとイギリスで玉の輿に乗ったアメリカ娘が、夫を絶対の愛で信じ続けるという、かなり通俗的なメロドラマになっていて、「私」というヒロインよりも、好き勝手に生きた”レベッカの真実”の方が、ずっとインパクトがあるのですが、ヒッチコック監督の巧みな語り口が、通俗性を絶妙にカモフラージュしているのだと思います。
「レベッカ」と言うネーミングの美麗さ、その語感と響きが独創的でこの映画の全てを決定づけている。レベッカはヘブライ語で魅了や束縛(支配)を意味するリベカが語源であるそうだ。古典的なモノクロ画面で構成されるゴシックスリラーは、息を飲む美しさと陰翳が織りなす幻想の世界を堪能させるに充分である。今は亡きレベッカと言う名の女城主の圧倒的な存在感。まるで空気や水のようにマンダレーをすっぽりと覆っている。対照的にジョーン・フォンテインの清楚で無垢な生真面目さが痛々しくもある。私生活でも辛苦を舐めて来た苦労人なので適役ではないだろうか。家政婦長のダンヴァ―ス夫人の相貌と表情の怖さ不気味さは後々の多くの作品に影響を与えている。これはセルズニックとヒッチコックが1940年に世に送り出した不朽の名作であります。