ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK ‐The Touring Yearsの紹介:2016年イギリス作品。歴史的に名を残したザ・ビートルズのツアーを記録したドキュメンタリー作品。イギリス・リバプールで結成したいわゆる「初期」から、進歩しつつあったレコーディング技術を駆使し、新しい音楽を誕生させた「中期」、初期の曲風に戻りつつも、個々の表現が光る「後期」までを当時の映像に関係者やファンのインタビューを交えながら追っていく。彼らはなぜ解散したのか、世間からの評価が変化していったのはなぜか、大切にしていた時間とは。未公開映像とバンドメンバーの証言により明らかにされる。監督のロン・ハワードは『アポロ13』、『ダ・ヴィンチ・コード』などを手掛けており、『ビューティフル・マインド』でアカデミー賞最優秀賞を受賞している実力派。まるでリアルタイムでザ・ビートルズを見ているかのような臨場感あふれる構成となっている。
監督:ロン・ハワード 出演:ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ウーピー・ゴールドバーグ
映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEKの予告編 動画
映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK」解説
この解説記事には映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEKのネタバレあらすじ:起
イギリス・リバプールの町で結成されたザ・ビートルズ。当初は4人組だったが、ドイツ・ハンブルクでのクラブ演奏契約にはドラムが必要だと5人目のメンバー:ピート・ベストを迎える。クラブの演奏契約は最悪のもので、1日8時間も演奏していたこともあった。風呂もない部屋で共に生活することで、世界中から愛されるメンバーの仲の良さが築かれたのである。クラブ巡業をするうちに、別のバンドに所属していたリンゴ・スターに会う。
二度目のハンブルクへの巡業後、リバプールでレコード店を営んでいたブライアン・エプスタインがマネージャーになる。メジャーデビューに向け本格的にブライアンが売り込む中。メンバーの脱退により現在の4人組体制になる。ようやくメジャーデビューが決定するが、それは当時のドラムであったピート・ベストの解雇が条件であった。彼と引き換えにリンゴ・スターが加入し、1962年、ザ・ビートルズは念願のメジャーデビューを果たす。
デビュー当時のザ・ビートルズはシンプルと言われている。ただ演奏を楽しみ、その姿が若者たちには眩しく映った。人気はデビュー曲『ラブ・ミー・ドゥー』に始まり、デビュー翌年に発売した『プリーズ・プリーズ・ミー』はメロディー・メーカー誌のシングル・トップ50で1位を獲得する。『プリーズ・プリーズ・ミー』のヒットに続き、発売するシングルが連続首位を獲得することで人気は確固たるものになっていく。そして、テレビ出演によりザ・ビートルズは英国のスターとなった。
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEKのネタバレあらすじ:承
英国スターとなったザ・ビートルズの人気は凄まじく、公演チケットを求める列が2km以上になる程だった。この時ジョン・F・ケネディの暗殺など世界各地で事件が起こり、世の中は不安定な状態となる。しかしそんな時代背景など関係なく、自分たちの音楽を自分たちなりに表現するザ・ビートルズはさらに人気を博すようになる。
ザ・ビートルズのメンバーは高みを目指し、アメリカ進出を計画する。全米1位を獲れば怖いものはないと確信していた。ポールの証言によると、当初は所属していたレコード会社の小ささにより大規模な発売は叶わなかった。それが災いしなかなか曲がヒットしない。状況が変わったのは、雑誌が彼らのことを記事に書いてからだ。
徐々に注目を集め始め、ラジオで曲が放送されるようになった。全米1位を初めて獲得したのは『抱きしめたい』で、その時メンバーはフランス公演の最中だったため、ホテルで知らせを受け狂喜乱舞したという。1964年、ついにザ・ビートルズはアメリカに上陸する。
彼らの魅力の一つ、インタビューはアメリカでも見事受け入れられ若者の心を掴んだ。コメディアンのようなユニークさと、仲の良さから醸し出されるやんちゃな雰囲気は人々を惹きつけた。映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の撮影と並行し、1日に4、5件の仕事をこなす過密スケジュールとなる。映画のサウンドトラックは21週連続1位という記録を打ち立て、2本目の映画『ヘルプ!4人はアイドル』の制作が決定した。
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEKのネタバレあらすじ:転
ザ・ビートルズはスケジュールが過密になってもライブに立ち続けた。その最たる理由は、レコード契約が劣悪で儲からなかったことにある。メンバーが活動を続けるには、レコードを発売することよりもライブチケットを売ることの方が重要だったのだ。
1965年、ライブ活動による音楽文化の布教が認められ大英帝国勲章(MBE)がバッキンガム宮殿にて授与された。手に入れるには一生かかるものを2、3年で手に入れたこと、また『反逆の音楽』とされていたロックンロールが認められることなどが懸念された。
この後メンバーには3ヶ月の休暇が与えられた。ポールは家族の為に家を購入し、ジョージはインド音楽に目覚めた。ザ・ビートルズの関係性は、ずっと一緒にいる友達から仕事仲間という認識に変わりつつあった。
休暇明け、『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』のジャケット撮影が行われた。しかし、ポール曰く「撮影が嫌で嫌で堪らなくなっていた」と言う。それはメンバーも同じく、撮影には身が入らなかった。見かねたカメラマンの提案で、マッドサイエンティストという設定に急遽変更し撮影を続けた。バラバラになった赤ん坊の人形を手にしたメンバーはその設定を気に入り上機嫌だった。が、販売するレコード会社から苦情の声が多く寄せられ発売直前に差し替えられた。
1966年、ツアーの為デビュー前にも複数回訪れたドイツ・ハンブルクを訪れる。休暇中ジョンが漏らした『次に何をすべきかわからない』という弱気な発言によりマスコミから敵意を向けられる。記者会見では質問ではなく厳しい意見を向けられ、不穏な空気になる様子が映像に残っている。
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEKの結末
時代はさらに混沌を極め、イギリスではキリスト教の信者が減少していく。ジョンはそんな情勢を例え『ザ・ビートルズはイエス・キリストより有名だ』と発言するがアメリカのことだと誤解されバッシングを受ける。批判の対象となった彼らは何をしてもバッシングを受ける風潮になり、フィリピン・マニラ事件が発生する。
これはフィリピンの大統領夫人であるイメルダ・マルコスの晩餐会をマネージャーのブライアンが断ったところ、ザ・ビートルズが断ったことにされた事件である。続く東京公演でも、歴史ある武道館にはふさわしくないと右翼の攻撃を受けた。
活動の要であったライブ活動も、爆弾予告で開演時間が遅れる、公演中に爆竹が鳴らされるなど支障が出始める。最終的にスタジアム公演の退場時に囚人護送車に乗ることになり、車内でジョージが限界だと漏らす。曲がり角の度に揺さぶられる車内ではメンバーも賛同し、ザ・ビートルズはレコーディングに注力するようになる。
EMIレコーディングスタジオに入り浸り、『イエローサブマリン』や『アビーロード』の制作にあたった。この頃から個々の個性が光り始め、特にジョージ・ハリスンの曲がアルバムに採用されるようになる。
しかし、『イエローサブマリン』は1位を獲得出来ず、ザ・ビートルズの人気は終息し始める。メンバー間の不和により解散するが、ブライアンが設立したアップル社の屋上で一度ライブを行う。『最高のラストだ』という一言で、彼らの映画と歴史は幕を閉じる。
以上、映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years」のあらすじと結末でした。
世界的なイギリスのロックバンド、The Beatlesのドキュメンタリー映画です。地元の町、リヴァプールから、ビートルズを結成し、デビューするまでの下積みの話や、敏腕マネージャーや名プロデューサーなど、ビートルズが世界的に人気となるまでの様々な場面をぎゅっと詰め込んだ内容でした。当時の貴重な映像がほとんど残っているというのにも驚く上、熱烈なファンのエネルギーも凄まじく伝わってくるかんじでした。最後には、アメリカで行なったライブ映像が流れて、時代を越えて、当時にタイムスリップしながら大きなスクリーンでライブまで楽しめたのが良かったです。