X-MEN:ファーストジェネレーションの紹介:2011年アメリカ映画。超人気アメコミ原作の映画X-MENシリーズ5作目。X-MENが誕生するまでの一番最初の物語です。母を亡くしたきっかけで能力が開花したエリック、幼少期から能力がありその研究をしていたチャールズ。二人の運命的な出会いがその後の人生を大きく変えていきます。
監督:マシュー・ヴォーン キャスト:ジェームズ・マカヴォイ(チャールズ・エグゼビア/プロフェッサーX)、マイケル・ファスベンダー(エリック・レーンシャー/マグニートー)、ケヴィン・ベーコン(セバスチャン・ショウ)、ローズ・バーン(モイラ・マクタガート)、ジャニュアリー・ジョーンズ(エマ・フロスト)、ほか
映画「X-MEN:ファーストジェネレーション」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「X-MEN:ファーストジェネレーション」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
XMEN(エックスメン) ファーストジェネレーションの予告編 動画
映画「X-MEN:ファーストジェネレーション」解説
この解説記事には映画「X-MEN:ファーストジェネレーション」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
X-MEN:ファーストジェネレーションのネタバレあらすじ:起
ナチス・ドイツの収容所で母を奪われ、鉄柵を素手で触らず破壊した少年エリック。それに目を付けたクラウス博士が彼の力を引き出そうと、彼の目の目で母親を殺害し、彼の本当の力を引き出すことに成功する。時は同じ頃、幼少期のチャールズは深夜自宅に何者かが侵入したことを感じる。台所におりてみると母親だったが、それ母親に返信したレイヴンだった。テレパシーで自分も仲間であることを伝え、それから二人は生活を共にする事にする。
X-MEN:ファーストジェネレーションのネタバレあらすじ:承
時は流れ、チャールズは遺伝子学の教授となった。エリックは両親の敵を討つため次々と復讐を遂げていた。それと同じ頃ラスベガスで潜入捜査をしていたCIAのモイラは偶然にもロシアの将校が密会をし、その相手がミュータントである事実を知る。戦争を避けたいアメリカとソ連だったがそれを誘発しようとしていたのがクラウス博士ことセバスチャン・ショウだった。モイラはチャールズに協力を求め、CIAの研究所で相手のミュータントに対抗する策を練り始める。そこにいたのが研究員のハンクだった。CIAとチャールズはショウたちを止めるべく彼らのクルーザーをテレパスで詮索し、計画を阻止しようとする。そこに偶然ショウへ復讐を果たそうとやってきていたエリックいた。エリックのピンチをチャールズが救い、エリックを説得。二人はCIAのもと、ショウと対抗するべく仲間を集め始める。
X-MEN:ファーストジェネレーションのネタバレあらすじ:転
仲間を集め、研究所に集めた二人はショウがロシア将校と会うのを止めるべく、将校宅で張り込みをする。結局ショウは現れず、作戦は失敗に終わる。時を同じくしてCIAの研究所はショウ達の襲撃に会っていた。余りの強さにおびえきってしまい、裏切る仲間、また殺害された仲間がいる。研究所をバラバラに破壊されたチャールズはショウに対抗するべく残った仲間の特訓を開始する。場所は自分の自宅。裕福な育ちでかなりの豪邸に仲間たちは驚きを隠せない。それぞれの能力を最大限に引き出せるようチャールズが指導を始める。その頃、ロシアではショウの陰謀により、アメリカとの戦争が起きようとしていた。それに気が付いたチャールズ達は両者が落ち合うキューバで戦争勃発に奮闘する。
X-MEN:ファーストジェネレーションの結末
潜水艦で隠れていたショウをチャールズが見つけ出し、エリックが向かう。最後までショウの殺害を止めていたチャールズだったが、エリックは敵を討つためショウを殺害する。地上ではミュータントの存在が明らかになり、アメリカ・ロシア両国の攻撃対象がミュータントへと切り替わった。それに激怒したエリックは両国が打ったミサイルを能力で跳ね返してしまう。何とか止めようとエリックに銃弾を向けたモイラだったが、誤ってチャールズに被弾してしまい、チャールズ下半身麻痺になる。「それぞれの理想が違う」と、友でありながら生き方を変えた二人。チャールズは自宅でミュータントを一人でも多く集め、人間との共存を決意する。そしてエリックは仲間を集めて人間達への報復を始めようとする。
以上、XMEN ファーストジェネレーションのあらすじと結末でした。
X-MEN(エックスメン)シリーズのあらすじ
X-MEN 旧シリーズ
X-MEN(X-メン)(2000年)
X-MEN2(2003年)
X-MEN:ファイナル ディシジョン(2006年)
X-MEN 新シリーズ
X-MEN:ファースト・ジェネレーション(2011年)
X-MEN:フューチャー&パスト(2014年)
X-MEN:アポカリプス(2016年)
X-MEN:ダークフェニックス(2019年)
X-MEN スピンオフシリーズ
ウルヴァリン:X-MEN ZERO(2009年)
ウルヴァリン:SAMURAI(2013年)
デッドプール(2016年)
LOGAN/ローガン(2017年)
デッドプール2(2018年)
「X-MEN:ファーストジェネレーション」感想・レビュー
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「X-MEN:ファーストジェネレーション」は“キューバ危機を救ったのは、最初の「Xメン」だった!”というハッタリの効いたプロットが素晴らしく、さすがあの『キックアス』を良質なエンタメに改変したマシュー・ヴォーンだけはある快作ですね。とは言うものの、製作としてX-MENシリーズに舞い戻ったブライアン・シンガーの視点というべきものは少なからず存在し、冒頭のユダヤ収容所のシークエンスはX-MEN一作目を踏襲しています(チョコを欲しそうにしながらもジッと耐えるエリック少年が、やたら印象に残りました)。そこから始まる物語は、異能者の健常者への復讐であり、世界への呪いです。
これまで映画「エックスメン」シリーズは原作コミックスからキャラクターをチョイスし、全く新しい設定に練り直すことを一作目から行っていましたが、テーマの根元に関わる部分は次第に影を潜めていた感もありました。「X-MEN:ファーストジェネレーション」で、フリークとしての視点を持つブライアン・シンガーが関わる事で、ミュータントと人類の種の生存を巡る対立、本当の姿とは何か?、過去の清算、チーム内の淡い感情や確執といった、旧X-MENシリーズでも繰り返し描かれてきたテーマや魅力をしっかり踏襲。しかし、テーマに縛られずエンターテイメントへと昇華できたのは、これが60年代という「過去」だからでしょう。戦争を起こさせない可能性を担う「Xメン」は、間違いなく60年代のヒーローなのです。
今回「X-MEN:ファーストジェネレーション」でケヴィン・ベーコン演じるセバスチャン・ショウが、カリスマ溢れる存在感があって素晴らしいですね。「ヘルファイヤークラブ」に関しての説明はほとんど無いのですが、少数精鋭でチームワークも見事であり強い。悪役として充実しています。その一方で「X-MEN」はチームワークはバラバラで政府も信用出来ず、付け焼刃の印象があります。しかもチャールズとエリックの対立を内包しており、公と個の確執を介在させています。「X-MEN」は現在に至るまで、伝統的にそういった問題を常に抱えているのですが、故に群像劇として魅力的であり、チーム・ヒーローとして面白いのでしょう。
他、役者は皆好演でしたが、プロフェッサーX役のジェームズ・マカヴォイはどっかで見たなーと思ったら、『ウォンテッド』の人なのですね。ミスティーク役のジェニファー・ローレンスは、エロ可愛くて良いデス。誤解を恐れずに言うならば、日本では小牧リサに近いと思ってしまいました。
最後にネタばれになってしまいますが、テレパス除けのヘルメットをエリックがセバスチャンから奪うシーンは、虐殺者の世代交代というべきシーンで象徴的。設定的な必然を盛り込みつつ、象徴ともいうべき場面になっています。その時、彼は自分が最も忌み嫌っていた類の人間になる事を、受け入れてしまったのでしょう。ま、ラストのコスチュームがコミックスまんまだったのは意外でしたw
「X-MEN ファーストジェネレーション」はX-MENシリーズのベスト作品だと思う。X-MENは単純なSFアクションとかミュータントvs.人間とかミュータント同士の善悪対決を描いた映画ではなく、結局は人間vs.人間あるいは一個人の中にある善悪の対決を紡いだリアルな物語だと思う。その物語の中でミュータント達は、はじめは「普通の人間」ではない疎外感や「普通」でありたい願望を共有し繋がろうとするが、価値観や能力、生い立ちの違いがやがて道を隔てて行く、少なくない登場人物それぞれにしっかりとした出自を与え、悲しみや憎悪といったダークな面と協調や愛情といった理想を求める面との葛藤やバランス感覚を絡めながら、本作「X-MEN:ファーストジェネレーション」のキーワードである「ミュータントであることは誇りだ」と言うに至るまでの心境の変化を見事に綴って見せている、お見事。
とにかくキャラクター描写が良い。特にチャールズ(プロフェッサーX)とエリック(マグニートー)が素晴らしい。幼少時に受けた迫害によって自らの奥底に押し込めたポジティブな感情を誰にも何にも向けることが出来ず苦しむエリックの姿と、前面に出したネガティブな感情に任せて力を解き放つ暴力的な姿のコントラストが切ない。そんな彼の心にチャールズが侵入して彼の力を引き出すシーンにはミュータントの可能性と慟哭が凝縮されている。異形の外見から自らを日陰の存在に貶めるレイブン(ミスティーク)は、唯一の理解者であるチャールズに幼馴染みのように寄り添い人生を歩む中で同様の存在・理解者としての他のミュータントに遭遇し、価値観や思想の違いに揉まれていく。そうした果てのラストシーンでは,まさかX-MENを観て泣けるとは思いもしなかった。
「X-MEN:ファーストジェネレーション」のストーリー的山場としてキューバ危機という事件が絡んでくること自体にはツッコミどころ満載だが、あくまで個々のキャラクターの魅力を最大限生かすための舞台装置と思えばむしろ実に上手く機能している。今作「X-MEN:ファーストジェネレーション」の中心であるチャールズ、エリック、レイブンだけでなく他の全てのキャラクターに今作のラストへ辿り着くだけのしっかりとした道筋が提示されていることには天晴れという他ない。
シリーズものは得てしてつじつま合わせで苦労するケースが多いが、この「X-MEN:ファーストジェネレーション」は本当に良くできている。過去のX-MEN3部作を知る観客をニヤリとさせる伏線も無理なく散りばめられているし、本作「X-MEN:ファーストジェネレーション」を観てから既存3部作を見直すことで新たな発見と感動があるスター・ウォーズ的楽しみもある。本作「X-MEN:ファーストジェネレーション」を観た後すぐに、3作目「X-MEN:ファイナルデシジョン」でのチャールズとエリックのやり取りを思い出してまた泣けてきた。