恐怖の報酬の紹介:1953年フランス,イタリア映画。アンリ・ジョルジュ・クルーゾーが1952年に撮った作品。食いつめ者が集まった中米の町を舞台に将来の希望を無くした4人の男がニトログリセリンをトラックで運ぶ息づまる様なスリルを描いた傑作。ウィリアム・フリードキン監督が1977年にリメイクしている。カンヌ国際映画祭とベルリン国際映画祭で最高賞を獲得している。
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 出演:イヴ・モンタン(マリオ)、シャルル・ヴァネル(ジョー)、フォルコ・ルリ(ルイジ)、ペーター・ファン・アイク、(ビンバ)、ヴェラ・クルーゾー(リンダ)、ヨー・デスト(スメルノフ)
映画「恐怖の報酬(1953年)」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「恐怖の報酬(1953年)」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
恐怖の報酬の予告編 動画
映画「恐怖の報酬(1953年)」解説
この解説記事には映画「恐怖の報酬(1953年)」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
恐怖の報酬のネタバレあらすじ:起
ある中米の町。この町には世界中から食いつめ者が集まって来ていました。フランス人のマリオもその一人でした。彼には町の酒場で働くリンダという恋人がいました。ある日、パリからジョーという中年男がやって来ました。彼もやはり食いつめ者の一人でした。やがて同じフランス人のマリオとジョーは親しくなりました。代わり映えの無い日々が流れていったある日、町から遠く離れた油田でたくさんの犠牲者がでる大火事が発生しました。油田会社で消火の為の話し合いが行われ、ニトログリセリンを使って消火することになりました。そこで油田まで危険なニトログリセリンを運ぶトラックを運転するドライバーが多額の懸賞金で募集されました。食いつめた多くの者が募集に群がり、その中からマリオ、ビンバ、ルイジ、スメルロフの四人が選ばれました。選ばれなかったジョーはとても不満でした。
恐怖の報酬のネタバレあらすじ:承
翌朝、出発の為、マリオとルイジ、そしてビンバはやって来ましたが、ただ一人スメルロフの姿は無く、代わりにジョーがやってきました。皆、ジョーとスメルロフとの間で何があったか、知ろうとはしませんでした。マリオとジョー、ルイジとビンバがそれぞれ組んで2台のトラックに分乗し、最初にマリオとジョーのトラックが出発し、それから暫く間を開けて、ルイジとビンバのトラックが出発しました。マリオの組は、それまで大口をたたいていたジョーが実は小心者だとわかり、マリオは先行きが心配になりました。まず彼らのトラックの前に表面がでこぼこの道が立ちはだかりました。高速で走り抜けなければダメだと主張するマリオに対して、ハンドルを握っていたジョーは反発し、低速で通り抜けようとしました。その為、後から来たビンバたちのトラックに追い越されてしまいました。次に彼らのトラックの行く手には、崖からせり出した腐った木の吊棚が現れました。細く曲がりくねった山道を登って行く為には、トラックはその吊棚に乗る必要がありました。危険な目に遭いながら何とか2台のトラックはそこを通り抜ける事ができました。
恐怖の報酬のネタバレあらすじ:転
次に彼らのトラックの前に現れたのは道路をふさいでいる大石でした。そこは、ビンバの発案で積んでいるニトログリセリンを少量使って大石を爆破して、何とか通りぬけることが出来ました。目的地に近づいて先が見えて皆ほっとして、緊張も緩んでいました。ジョーが巻きたばこを巻こうとしたその時、光と共に一陣の風が吹きタバコを吹き飛ばし、同時に、大きな爆発音が響き渡りました。マリオたちのずっと先を走っていたルイジとビンバの乗るトラックのニトログリセリンが爆発したのです。マリオ達のトラックが爆発現場と思われる場所にさしかかった時、現場にはルイジ達のトラックは跡形も無くなっていて、道路は深く陥没し、道路脇の原油パイプが切れて真っ黒い原油の池になっていました。マリオは意を決してトラックを油の池の中に乗り入れました。油の中で止まると、スリップして脱出不可能になってしまいます。ジョーは水先案内の為に油の池に入り、マリオの運転するトラックを誘導しようとしていた時、ジョーが油に足をとられ、油の池の中で転倒しました。しかし脱出不可能になることを恐れ、マリオはトラックを止めることができませんでした。その為、トラックは倒れたジョーの脚の上を通りぬけなければならなりませんでした。
恐怖の報酬の結末
何とか原油の池を抜けたマリオはジョーを助け上げ、介抱しながら、やっと目的地である火災現場に着くことができました。しかし着いた時には既にジョーの息は絶えていました。油田火災はニトログリセリンで消火でき、マリオは賞金をもらい、帰途につきました。任務を果して身軽になったトラックを運転しながら、マリオの心ははずんでいました。歌を口ずさみながらリンダの喜ぶ顔を想像するマリオでしたが、魔が差したのか、ハンドルを切りそこねたトラックが崖下に転落したところで物語は幕を閉じます。
「恐怖の報酬(1953年)」感想・レビュー
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この映画「恐怖の報酬」は、映画史上に燦然と輝くサスペンス映画の傑作だ。
アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督にとって、この「恐怖の報酬」と「悪魔のような女」が彼の作品を代表する二大サスペンス映画だ。
この映画「恐怖の報酬」のストーリーは、非常にシンプルだ。危険このうえない、爆発物のニトログリセリンを、A地点からB地点に運ぶ話である。
話としては、それだけである。それ以外の余計な夾雑物は全くない。実にスッキリしている。
この危険なニトログリセリンを、無事A地点からB地点に運ぶことが出来るかどうか? —-。サスペンス映画としては、申し分のない設定だと言えるだろう。舞台はラテン・アメリカのある国のラス・ビエドラスという小さな町。
ここには、世界中から喰いつめた男たちが集まって来る、いわば人生の吹き溜まりのような町なのだ。
そして、町には不景気風が吹いていて、男たちは仕事にあぶれている。そんなある日、町から500キロほど離れた油田が火事になる。
石油会社は、ニトログリセリンを爆発させ、その衝撃力によって火を消そうと計画する。
ところが、このニトログリセリンの運搬が実に厄介なのだ。一滴、落としても爆発する。
うっかり処置を誤ろうものなら、大爆発を起こしてしまうという代物なのだ。このニトロを荷台に積んで、二台のトラックが出発する。報酬は、一人2,000ドル。
ただし、これは成功報酬で、無事運び終えなければ手にすることが出来ない。
火災現場の油田まで、途中には幾つもの難所があり、ニトロは、いつ爆発するかも知れない—-。一台のトラックには、二人の運転手が乗る。
正規の運転手と助手の二人ずつだが、二台のトラックで計四人。さすがにフランス映画らしく、この四人の性格描写が際立っている。パリの地下鉄の切符を壁に飾り、いつパリに帰れるかを夢見ている男にイヴ・モンタン。零落した親分肌の男にシャルル・ヴァネル。
さんざんナチスに苦しめられた男にペーター・ファン・アイク。あと一か月しかもたない肺病病みの男に、イタリア人のフォルコ・ルリ。ニトログリセリンの運搬は、モンタンとヴァネルがペアになり、もうひとつのペアは、ルリとアイク。
この四人でニトロの運搬作業が繰り広げられて行くのだが、要するにこれは、”道中もの”の変型なのだ。日本の「東海道中膝栗毛」やアメリカ映画の珍道中シリーズなどでもはっきりと描かれているように、この種の道中記ものには、必ず人間関係の逆転がある。
例えば、主従関係が途中何かの事件に遭遇して、そっくり逆転して、これまて従者だった者が主人格になり、主人格だった者が従者になるという傾向だ。それがストーリーの流れに変化を与え、人間の性格描写の彫りを深くする役割を果たしているのだが、この映画の人間関係の逆転は、実に鋭く描かれている。
親分肌のシャルル・ヴァネルと若僧のイヴ・モンタンが乗ったトラックは、急カーブの難所にさしかかる。
そこは、車の退避のために木の櫓が設けられている。
だが、その櫓の一部は腐っていて、トラックの重量にはとても耐えられそうにもない。
そのことを察したヴァネルは、トラックを運転中のモンタンとの共同作業中に現場から逃げ出すのだ。トラックはモンタンの必死の努力で奇跡的に無事だったが、この事件をきっかけに両者の立場は一気に逆転する。
歳を取ると、人間は気弱にも、卑怯にもなるものだと呟くヴァネル—-。そして、ヴァネルは、次の難所の巨大な落石をニトロで爆発するシーンで、トラックのそばから逃げようとせず、自ら死のうとする。
老残の彼の心情が惻々として伝わってくるが、そこで死にきれなかった彼が、その次の難所の事故で死に至る負傷をしてしまう。言ってみれば全編が、障害レースのようなもので、一難去ってまた一難といった具合に、トラックの行く手に、次々と現われる障害に工夫と仕掛けがなければ、我々観ている者は、次第に障害物の刺激に慣れて、ハラハラ、ドキドキしなくなるものだ。
したがって、この種のサスペンス映画は、直接的で視覚的な恐怖感と、もうひとつ、心理的な恐怖感を巧みに融合させることが必要になってくると思う。
直接的で視覚的な恐怖感とは、トラックのワイヤーが引っ掛かり、切れそうになってギリギリと音をたてるカットとか、前を行くルリとアイクの乗ったトラックが、突然、爆発し、あとには破片すら残っていないといったシーンなど、ふんだんに散りばめられている。
このような連続活劇の手法が有効であるのは、トラックの荷台に積んだニトロが、いつ爆発するのかという、我々観る者、ひとりひとりの想像力の中に潜んでいる恐怖感と結びついて、恐怖感を増幅させるからだと思う。
このアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の視覚的で心理的な恐怖感を巧みに融合させた演出上の計算は、心憎いまでに確かだと言えると思う。
「人間の感情の中で最も古く、もっとも強烈なもの、それは恐怖である。恐怖の中で最も強烈なもの、それは未知の恐怖である。」—-。
これは「異次元の色彩」で知られるH・P・ラヴクラフトの有名な言葉だが、恐怖が人間本来の感情と最も強く結びついている以上、それを巧妙に呼び覚ましたのが、サスペンス映画だと言えると思う。
ニトロを積んだトラックが山道を走って行く。
この先、トラックには何が起きるのか? 運転手にも、我々観る者にもわからない。
我々は、スクリーンの中の運転手と共に、未知の恐怖を共有することになるのだが、こういった”恐怖感覚”を、実にうまく利用して作ったのが、この映画だと思う。アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のエンターテインメントに徹し、徹頭徹尾、我々観る者をハラハラ、ドキドキさせる映画を作ってみせるという執念と熱気が、観ている私を金縛りにして、”真昼の幻覚”といったものに誘ってくれたのだろうと思う。
なお、この映画は1953年度のカンヌ国際映画祭で最高の作品に与えられるグランプリを受賞し、また主演のシャルル・ヴァネルが最優秀主演男優賞を受賞しています。
慎重さとスピードを両立しなければ、すぐにゲームオーバーになるテレビゲームみたいで、まさにハラハラドキドキの映画です。この映画のおかげで爆発物イコールニトログリセリンというイメージがこびりついてしまいました。好事魔多しといいますが、うまくいったと思った時ほど落とし穴があると、改めて教えてくれる映画です。