映画 さよなら、人類の紹介:2014/スウェーデン、ノルウェー、フランス、ドイツ映画。奇才ロイ・アンダーソンが描く39の長回しシーン。緻密な画面の中で語られるのはブラックジョークか、哲学的問答か。第71回ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞受賞。
監督:ロイ・アンダーソン 出演:ホルガー・アンダーソン、ニルス・ウェストブロム、カルロッタ・ラーソン、ヴィクトル・ギュレンバリ、ロッティ・トーノルス、ヨナス・ゲホルンほか
映画「さよなら、人類」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「さよなら、人類」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
さよなら、人類の予告編 動画
映画「さよなら、人類」解説
この解説記事には映画「さよなら、人類」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
映画 さよなら、人類のネタバレあらすじ:三つの死との出会いから始まる物語
博物館の恐竜の骨格標本、剥製、それを鑑賞する男とその男を見下ろす鳥の剥製。とある夫婦の夕食準備では、キッチンで鼻歌をうたいながら料理をする妻と、ワインのコルクをあけようとして心臓発作で倒れてしまう夫。これまたとある臨終間近の老婦人の病室。宝石を詰めた鞄を手放そうとしない。何とか息子たちが二人がかりで奪おうとするも、頑として離さない。とあるフェリーのカフェテリアでは会計を済ませた男性が倒れている。ヘリコプターで救援を呼ぼうという船員がいるかとおもえば、カフェテリアの店員は、お会計が済まされたビールとシュリンプサンドがいる人はいないか他の乗客に声をかける。ビールを貰おうと、中年男性が申し出る。
映画 さよなら、人類のネタバレあらすじ:「元気そうで何より」「伝言はありません」
フラメンコ教室では生徒に好意を寄せるダンス講師がその生徒にばかり構う。耐え切れなくなった彼が出て行った廊下では、掃除の女性が電話をかけていた。「元気そうで何より」と。フェリーの船長は船酔いのため理髪店を営む義弟の店で変わりに働き始める。それを聞いたサムは電話が来た好きにこっそりと抜け出してヨナタンのいるカフェへ。サムとよなタンは「面白グッズ」と称してドラキュラの歯などを売っている。今のお勧めは歯抜け爺さんのマスク。とあるレストランの前では、待ち合わせたはずの相手が来ない男が携帯にメッセージを折り返すように伝言をしていた。そんなレストランの中では、フラメンコ教師が生徒に振られ泣いている。サムとヨナタンは面白グッズのセールスに余念が無いが品物を置いてくれる店はなかなか見つからない。フランメンコ教師は携帯の留守番電話を確認、しかし返って来るのは「伝言はありません」の一言。 カフェでは、60年来の常連が耳が遠いながらもお変わりを注文。ここで、1943年のカフェの模様に早変わり。「ロッタの店は一杯1シリング」と歌いながらフロアを回り始めると、金の無い兵卒たちは、自分たち1シリングすらないと言う。ロッタはお金の代わりにキスを貰う事にする。酒を飲み、ロッタにキスをする兵卒たち。時は現代のカフェ、耳の遠い常連が帰る時、皆が「おやすみ!」と声をかける。バルコニーでは少女たちがシャボン玉をしている。キッチンでは奥さんが電話口で誰かに「元気そうで何より」と繰り返す。
映画 さよなら、人類のネタバレあらすじ:面白グッズセールスマン廃業の危機
サムとヨナタンは、以前歯抜け爺さんのマスクのを納品した店へ商品の代金を請求するも回収できず。とある学校の発表会。ダウン症の少女の読む詩に拍手が送られる。セールス中に道に迷ってしまったサムとヨナタンは、初めては言ったバーでも店の主人に面白グッズの商品説明を始める。するとそこへ18世紀の騎馬隊が入ってくる。件を振りかざし女性客を追い出そうとする。外には騎馬隊と歩兵の行進が行われていた。女性のいなくなった店内で、バーで働く青年に、スウェーデン国王が「ハンサムだから戦場に来い」と言う。川沿いのベンチでは赤ちゃんをあやす母親。ある日、サムとヨナタンが面白グッズの買い付けをしている業者が、滞納している仕入れ代を払うようにと彼らのアパートを訪れる。彼らは、最近うまく行かないと、のらりくらりとかわす。サムとヨナタンが行くカフェには、雨に濡れた将校が講演会が中止になったと零す。大きな絵画のある社長室、自棄を起こした社長は銃を持って電話をかける、「元気そうで何よりだ」と。塞ぎこんだヨナタンは自分の部屋でレコードをリピート、心配したサムは、何か心配事かと声をかける。閉店後のカフェで愚痴っている臨終間際の母親から宝石の入った鞄を奪おうとした息子は、今までケチだったから不幸になったと、愚痴を零す。戦いに負けて帰ってきたスウェーデン国王がバーに訪れる。国を半分失った事、ロシアはずる賢いなどと言う。店の主人はカウンターの女性たちに、「戦場で夫を失った。黒いベールは贈り物」と言うと彼女たちは泣き始める。面白グッズセールスに生きず待ったサムとヨナタン。サムはもうこんな商売はしたくないと品物の入った鞄を投げ出す。ヨナタンがこの商売を提案したのは君なのにと、鞄を片付けていると、笑い袋の笑い声が虚しく響く。再びレストラン前。約束の確認は取れたのか、携帯電話の留守番電話に確認する「伝言はありません」ヨナタンは再び塞ぎこむ。サムがやってくるが呼んでも無反応。それでもドア越しに、「許してくれ、ただ一人の友達だから。一緒に生きよう」ドアの隙間から顔を覗かせたヨナタンは分かったと返す。
映画 さよなら、人類の結末:非日常風景から日常風景へ
とある研究室ではサルに電気ショックを与える実験をしている。サルが叫ぶ横で電話をかける科学者が口にするのは「元気そうで何より」
どこかの平原に設置された巨大な樽。ラッパのようなものが大小所々に取り付けられている。その中に入れられていく黒人の奴隷たち。やがて閉じ込められ火が点けられ、樽がゆっくりと回ると中にいる奴隷たちの梅木がラッパを通して美しい音楽のように聞こえる。それを向かいの邸宅の玄関から眺めるドレスアップした人々。ヨナタンは給仕係として彼らのグラスにシャンパンを注ぐ。オルガンにも似た音に聞き惚れる人々。そんな夢から覚めたヨナタンは恐ろしくてサムにも、その夢の内容を話せない。真夜中、ヨナタンは廊下でサム部屋の方へ「人を利用するのは正しい事だろうか」と問いかける。真夜中の廊下でやり取りをする二人に、「哲学者のつもりか、早朝出勤の者もいるのだから」と止めがはいる。そしてそれぞれの部屋に戻る二人。翌朝、自転車屋の前のバス停で待つ人々。その中の一人が今日は水曜日ですかと尋ねる。自転車でタイヤに空気を入れていた男が去り際に「また水曜日だ」と言って去っていく。エンドロールへ。
映画 さよなら、人類について:原題「実存を省みる枝の上の鳩」から考える。
この作品の原題が「実存を省みる枝の上の鳩」(英語から直訳で仮につけられたタイトル)であることを踏まえるとこの作品を鑑賞しやすくなると思う。鑑賞者は木の上から窓を覗き込んでいる鳥のような存在。そこで繰り広げられている事は断片的で、つながりがあるのかさえ不確かだと思う。しかしよく考えてみると、自分自身の日常を省みるとそんな場面に出くわすのは日常茶飯事だろう。しかし日常茶飯事をただ描くだけでは作品にならない。そこに凝らされるのが、定点カメラの長回しという方法。動く絵画を見ているようだとはこの監督の評でよく目にするが的を射ていると思う。
そして、色んな人物に繰り返される「元気そうで何より」という言葉がバラバラのピースのようなシーンをつなげていく。そして最後の「また水曜日」という言葉で作品が一周したことが分かる。
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