蒼い記憶 満蒙開拓と少年たちの紹介:1993年日本映画。第二次世界大戦中の満蒙開拓に駆り立てられた少年たちを中心に、終戦後も満州に置き去りにされた日本人たちの運命を綴った、戦争問題を考えるアニメ映画です。中国残留孤児の問題等、リアルに描かれています。
監督:出崎哲 声の出演 山口勝平(鈴木恭太)、草尾毅(吉崎健次)、石田彰(浅川勇介)、三木眞一郎(田中順平)、有本欽隆(吉崎清造)、宗形智子(吉崎千代)、宮本充(吉崎圭一)、池本小百合(吉崎文子)ほか
映画「蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
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映画「蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち」解説
この解説記事には映画「蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
蒼い記憶 満蒙開拓と少年たちのネタバレあらすじ:起
1941年、ある村では出兵兵士が盛大に見送られていました。恭太と健次も声援に駆けつけました。二人はガキ大将的な存在でいつも遊ぶ仲良しでした。二人の通う学校では五族協和の国を作るための、満州国の開拓を教師が教えていました。恭太と仲良しの節子は母親が病気で働けないため、学校を辞めて働くと恭平に打ち明けました。一方健治の家に兄の圭一が満州から帰って来ました。圭一は戦闘で片足を失って、国のために戦えないという事で帰されました。健治の父は学校の教師をしていました。軍の教えに背き、子供たちに自由な教育をしていましたが、軍から懲罰を受け、教師をクビになり牢屋に放り込まれていました。その年の冬、日本軍はイギリス、アメリカと戦争状態になっていました。
蒼い記憶 満蒙開拓と少年たちのネタバレあらすじ:承
1944年、恭太と健次は高校に入学していました。そして先生から満蒙開拓のための青少年義勇軍への参加希望者を募っていました。参加をすると、満州国の広大な土地が与えられ、家族と一緒に暮らせるというふれ込みでした。恭太は祖母と祖父に育てられていましたが、二人の反対を押し切って志願しました。そして勇介と順平も志願していました。兄の圭一のかたきの為に満州に行くと決めていた健治でしたが、平和な国だと言う先生の言葉と、戦争状態であると言う圭一の言葉のギャップに悩んでいました。恭太は健治に一緒に行こうと言いますが、圭一は行かないと言い、二人は喧嘩になりました。喧嘩に疲れ果てた二人は仲直りし、進む道は違えど、今まで通りの親友だと言いました。
蒼い記憶 満蒙開拓と少年たちのネタバレあらすじ:転
恭太は勇介、順平らと茨城で開拓の訓練を受け、満州へと向かいました。満州でも3年間の訓練がありました。ある日3人が買い出しに行っていると、日本軍の兵士が村人を追い出していました。軍の兵士は、満州国の建国の為に、村人を追い出し、日本人を住まわせるのだと言いました。そのころ健治は、自分の意向に反して機関車の製造にまわされていました。
1945年、日本軍の劣勢が伝えられる中、青少年義勇軍のメンバーの戦闘訓練が始まりました。そして協定を破ってソ連軍が満州国に攻め込んできました。青少年義勇軍は先生の号令で、日本人のいる村に逃げ出しました。そして義勇軍の施設は空爆されました。そのころ長崎と広島に原子爆弾が落とされ、2日後日本は全面降伏しました。そんなことも知らされず、義勇軍の向かう先は全て火の海でした。途中で開拓団の家族らと合流し、一緒に逃げることになりました。ソ連軍と、中国人から襲われるのを避け、深夜に歩くことになりました。
蒼い記憶 満蒙開拓と少年たちの結末
信じていた日本軍は、大河にかかる橋を壊して逃げていました。ロープで川を渡りますが、高齢者はここで死ぬと残りました。また川を渡り切ったのは半数ほどで人数は一気に減りました。食べる物もなく、母乳の出なくなった母親の赤ちゃんが死に始めました。その時中国人たちの村に迷い込み、中国人たちに食事をもらい、さらに母乳まで飲ませてくれて助けられました。死ぬ覚悟の母親は赤ちゃんを中国人に預け歩き出しました。この子供たちが残留孤児なのでした。やがて日本人集落を見つけました。そこには日本兵らもいました。今夜ソ連軍が攻め込んでくることを聞き、開拓者たちは逃がし、日本軍は自決、義勇軍は時間稼ぎの切り込みの役割になりました。義勇軍が前線に着くと、先生が一人で切り込むからお前たちは逃げ切れ!と命令しました。逃げ切った恭太らは収容所に入りました。極寒の寒さとチフスの蔓延により、勇介が死亡し、食料を盗みにいった順平が射殺されました。恭太は妹のように可愛がっていた瀕死のスミ子を背負って、日本に向けて歩き始めるのでした。
その後が知りてぇのに
なしてなして教えてくれね〜だっ!
その後どうなっただにか?