キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性の紹介:2012年アメリカ映画。映画を製作するのは俳優と監督だと思っている人は多いと思います。しかし映画の出来不出来は、役にふさわしい俳優、女優を見つけるキャスティングで決まると言う方もいます。本作は俳優に適役を与えるキャスティング担当者の活躍を描いたドキュメンタリー。特に1950年代から21世紀はじめに活躍したマリオン・ドハティのインタビューを中心として、ハリウッドでのキャスティングの歴史を描いています。多くのキャスティング担当の他にも、クリント・イーストウッドやジョン・トラボルタといった大スターがインタビューに答えキャスティングの重要性を語ります。
監督:トム・ドナヒュー インタビュー 出演:マリオン・ドハティ、エレン・ルイス、ジュリエット・テイラー、リン・スタルマスター、ロバート・デ・ニーロ、ウディ・アレン、クリント・イーストウッド、ジョン・ヴォイド、ロバート・レッドフォード、ジョン・トラボルタ、ジェフ・ブリッジス、アル・パチーノ、シビル・シェパード、ダニー・グローヴァー、グレン・グローズ、ほか
映画「キャスティング・ディレクター」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「キャスティング・ディレクター」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
キャスティング・ディレクターの予告編 動画
映画「キャスティング・ディレクター」解説
この解説記事には映画「キャスティング・ディレクター」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性のネタバレあらすじ:起・キャスティング職の始まり
「映画の90%はキャスティングで決まる」映画監督のマーティン・スコセッシは語ります。ロバート・デ・ニーロ、ウディ・アレンは映画製作においてキャスティング・ディレクターの役割を語ります。
1950年代までのハリウッドでは、キャスティングは重要ではありませんでした。マリオン・ドハティは1923年生まれ、ペンシルバニア州立大学を卒業後に舞台女優として活躍します。
その後、マリオンはニューヨークに移り、当時始まったばかりのテレビ業界に活動の場を移します。彼女はブロードウェイで舞台俳優をテレビ業界にスカウトしたと言います。
マリオンは「キャスティング俳優を愛すること」だと言います。当時はキャスティングは、俳優のタイプ、身長、顔、性格等によって決まっていたと語ります。クリント・イーストウッドは当時の映画業界の思い出を語ります。
マリオンはジェームズ・ディーンやロバート・デュヴァルの才能を見出したエピソードを話します。彼女は俳優の特徴などを細かくメモに取っていたと言います。
キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性のネタバレあらすじ:承・キャスティングの重要性
マリオンは当時無名のダスティン・ホフマンを見つけ、彼に役を与えます。1960年代になると、彼女はニューヨークで「ルート66」などのテレビドラマのキャスティングを担当し、多くのスターを発掘します。
しかし、彼女はこの時代はキャスティングという仕事が評価されていなかったと語ります。マリオンはキャスティング・ディレクターという名前を却下されます。その理由は、ディレクターとは映画監督に与えられる名称であり、キャスティング担当には与えられないということでした。
リン・スタルマスターはキャスティング担当として1950年代よりハリウッドで活躍します。ユナイテッドアーティスト社はキャスティングの担当者に大きな権限を与え、キャスティングの重要性が確立されるきっかけとなります。
1963年にマリオンは自分のキャスティング会社を設立します。彼女は1964年の映画「ハワイ」のキャスティングの思い出話をします。ジュリエット・テイラーは彼女の会社に雇われ、キャスティングのキャリアを開始します。
1967年の映画「卒業」のキャスティングをマリオンは担当します。彼女は役柄のイメージと異なる身長の低いダスティン・ホフマンを主役に起用し、高い評価を受けます。彼女はその後も「明日に向かって撃て」などのヒット作のキャスティングを担当します。映画におけるキャスティングの重要性も認識されていきます。
キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性のネタバレあらすじ:転・キャスティング・ディレクターの活躍
マリオンは「ミッドナイト・カウボーイ」(1969)でキャスティングの担当者として名前が映画で紹介されます。他のキャスティング・ディレクターはマリオンの才能を称賛します。彼女がキャスティングしたジョン・ヴォイド、ダスティン・ホフマンらはアカデミー賞にノミネートされます。
1970年代に彼女はジョージ・ロイ・ヒル監督とコンビを組み、多くの映画のキャスティングを担当し、ついに映画にキャスティング・ディレクターとして名前が載ります。ダイアン・レインは子役時代にマリオンに才能を見出され、「リトル・ロマンス」の主役に起用されます。
1972年にジョン・トラボルタはリン・スタルマスターに才能を見出されます。彼は、俳優駆け出しの頃のリンとの思い出を語ります。彼は「サタディーナイトフィーバー」で大ブレイクします。ジェフ・ブリッジズもリンに発掘され「ホールズ・オブ・アンガー」で主役を務めます。
アル・パチーノは、キャスティング・ディレクターは俳優に自信を与えると言い、マリオンは「励ましそのもののような人だった」と答えます。彼はマリオンにより初めて主役の座を与えられます。シビル・シェパードはモデル出身ですが、女優として成功し、マリオンとの思い出を語ります。
1973年、マリオンは「スティング」でジョージ・ロイ・ヒル監督とコンビを組み、キャスティングを担当します。映画は興行的に大成功し、批評家から絶賛され、アカデミー賞の多数の部門にノミネート、ジョージ・ロイ・ヒルはアカデミー最優秀監督賞を受賞します。
キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性の結末:キャスティング・ディレクターにオスカーを!
マリオンはニューヨークのキャスティング会社を閉鎖し、ハリウッドのパラマウント社のキャスティング責任者になります。その後、マイケル・アイゼナーがパラマウントの社長になり、マリオンとは意見が対立します。結局、アイゼナーはマリオンを解雇します。
マリオンはワーナー・ブラザーズに移ります。彼女は無名のグレン・グローズを「ガープの世界」(1982年)の主役に起用します。彼女はその後も、バットマン(1989年)などの大作映画のキャスティングを担当して成功します。
オーストラリアのメル・ギブソンは、マリオンに誘われてハリウッドに移ります。ダニー・グローヴァーはマリオンについて「自分ですら気づいていない何かを見つけてくれる人」と語ります。
1990年代に入ると、ハリウッドにも世代交代の波が押し寄せ、業界にも変化が訪れます。1999年にマリオンはワーナー・ブラザーズでの仕事を失います。人によってはいまだにキャスティングを過小評価する人がいます。
多くのハリウッド関係者はマリオンの功績と、他のキャスティングディレクターの業績を、正当に評価すべきだと言います。マリオンはまた、多くの後継者を育てたと言います。
映画関係者はアカデミー賞に最優秀キャスティング賞がないことを批判します。その後、多くの関係者がアカデミー協会に栄誉賞授与の運動をはじめます。デ・ニーロ、レッドフォード、イーストウッドらが、その運動に賛同します。
残念ながら、マリオンはオスカーを手にすることはありませんでした。
2011年に88歳で死去したマリオンにこの映画が捧げられます。
以上、映画「キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性」のあらすじと結末でした。
この映画の感想を投稿する