天外者(てんがらもん)の紹介:2020年日本映画。幕末から明治初期にかけて薩摩藩士・明治政府役人・実業家として活躍し、日本の未来のために奔走した五代友厚の生涯を元にしたオリジナルストーリーの青春群像劇です。主人公・五代友厚は本作が遺作となった三浦春馬が演じています。タイトルの天外者(てんがらもん)とは、鹿児島の方言ですごい才能の持ち主を意味しています。
監督:田中光敏 出演者:三浦春馬(五代友厚/五代才助)、三浦翔平(坂本龍馬)、西川貴教(岩崎弥太郎)、森永悠希(伊藤博文/伊藤利助)、森川葵(はる)、内田朝陽(五代徳夫)、迫田孝也(大久保利通)、六角慎司(徳山)、丸山智己(勝海舟)、徳重聡(島津久光)、かたせ梨乃(料亭女将)、田上晃吉(舟木)、榎木孝明(島津斉彬)、八木優希(きく)、河原健二(森元)、ロバート・アンダーソン(トーマス・グラバー)、蓮佛美沙子(五代豊子)、筒井真理子(五代やす)、生瀬勝久(五代秀堯)、宅間孝行(西郷隆盛)ほか
映画「天外者(てんがらもん)」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「天外者(てんがらもん)」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
天外者(てんがらもん)の予告編 動画
映画「天外者(てんがらもん)」解説
この解説記事には映画「天外者(てんがらもん)」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
天外者(てんがらもん)のネタバレあらすじ:起
長きに渡る鎖国が終焉を迎え、激動期を迎えた江戸時代末期の1857年。後に“五代友厚”と名乗ることになる若き薩摩藩士・五代才助(三浦春馬)は、薩摩藩主・島津斉彬(榎木孝明)に才能を見いだされ、長崎海軍伝習所で勉学に励んでいました。
ある時、才助は橋の上から身を乗り出している一人の女を見かけ、身投げしようとしていると思って止めに入りました。この女は遊女・はる(森川葵)といい、はるは才助に自分の身体に触りたければ金を持って女郎部屋に来いと誘われました。
時を同じくして、剣術修行の旅をしている土佐藩士・坂本龍馬(三浦翔平)が、海軍伝習所を仕切る勝海舟(丸山智己)の元を訪れました。龍馬は鎖国が終わった今、これから新しい時代がやってくると感じ取っており、海舟とその話題をしました。その時、龍馬の目に留まったのは、海舟も目にかけている才助の存在でした。
勉強熱心な才助は座学には飽き足らず、教官に早く乗船させてほしいと意気込みました。才助は自分が一日でも早く学べば日本がその分進歩すると信じて疑わないのですが、そんな自身たっぷりの才助を快く思わない者たちもいました。
ある時、才助は自分を疎んじる者たちによって街中を追いかけ回され、逃げる途中で伊藤利助[のちの伊藤博文](森永悠希)という若者が持っていた万華鏡を壊してしまいました。才助は利助の万華鏡を直してみせ、この日を境に才助と利助は友情を育むこととなりました。
才助の才能の原点は16年前の1841年、才助の父・秀堯(生瀬勝久)が当時の藩主・島津斉興から世界地図を元に地球儀を作れと命じられた時でした。秀堯も才助の兄・徳夫(内田朝陽)も頭を悩ませるなか、才助は提灯を改造してあっという間に地球儀を作ってみせました。才助の才能に驚いた母・やす(筒井真理子)は、彼のことをすごい才能の持ち主を意味する“天外者(てんがらもん)”と呼ぶようになりました。
天外者(てんがらもん)のネタバレあらすじ:承
1857年。はるは遊女仲間に文字を教えていました。ところが、それを見た客が遊女には文字など必要ないと言い放ち、はるは遊女でも文字を覚えれば本を読んで夢を見ることもできると反論しました。たまたま通りかかった才助ははるを助け、その時から“自由な夢”を見たいというはるに共感するようになりました。
それからというもの、才助ははるの遊郭に足を運ぶようになり、そこで下働きをしている岩崎弥太郎(後の「三菱」創始者)(西川貴教)に龍馬やイギリスの武器商人トーマス・グラバー(ロバート・アンダーソン)と引き合わされて交流を持つようになりました。
翌1858年。才助は斉彬の命を受け、上海で蒸気船を入手する任務に就くこととなりました。才助は藩の違いを超えて龍馬、弥太郎、利助と親交を深め、定期的に牛鍋を囲みながら酒を酌み交わしました。そんな利助もまたイギリスへの留学が決まっていました。
日本を経つ直前、才助ははるにかんざしを買ってあげました。その際にはるはいつか自由の身となったら才助と二人で海が見たいと語り、才助もまた誰もが自由に夢を見ることができる国をつくると誓いました。そして才助は上海に向かい、蒸気船「天祐丸」を購入することに成功しました。しかしその後、はるは横浜在住の裕福なイギリス人に身請けされていきました。
1862年、武蔵国の生麦村で兄・斉彬に代わって薩摩藩の実権を握った島津久光(徳重聡)の行列をイギリス人が横切り、藩士によって殺傷される事件(生麦事件)が発生しました。これをきっかけに薩摩藩とイギリスとの間で「薩英戦争」が勃発、「天祐丸」を守ろうと奮闘した才助はイギリス軍に捕らえられて捕虜となりました。その際、才助はイギリス軍の圧倒的な戦力を目の当たりにし、日本の武力では到底敵わないことを痛感させられました。
薩英戦争は早々と終結しましたが、才助は未だに捕虜として囚われの身のままでした。このことを知ったはるは身請け先のイギリス人に才助を助けてほしいと懇願しました。その甲斐あって才助はようやく横浜で解放されましたが、薩摩藩を裏切ったとみなされ、藩士から追われる身となりました。
才助は極秘裏に長崎へ向かい、そこで初めてはるが身請けされたことを知りました。
天外者(てんがらもん)のネタバレあらすじ:転
才助はグラバーの援助を得てイギリス視察に赴くことになりました。時を同じくして土佐藩を脱藩した龍馬は海運会社「海援隊」を結成して活動していました。イギリスに旅立つ直前、才助は龍馬と共に帆船に乗り、互いに新しい日本をつくるという意志を分かち合いました。
その後、一旦故郷に立ち寄った才助でしたが、父・秀堯は既にこの世にはなく、鎖国論者である兄・徳夫は開国論者である才助を疎ましく思っていました。それでも才助は母・やすには自分のすべきことを見つけたと伝えました。
程なくして才助の帰藩を知った藩士たちが才助を斬ろうと家に押しかけましたが、才助は自らの髷を切り落とし、「これ以上俺の邪魔をするな」と言い放ちました。これにはさすがの藩士たちも才助を斬ることはできませんでした。
1865年。イギリスに渡った才助は積極的に視察を重ねるなど知識を吸収する一方、人づてではるの行方を探していました。その2年後の1867年、龍馬は京都で暗殺されました。弥太郎や利助は衝撃を受け、手紙で訃報を知った才助はただ涙にくれるばかりでした。
そんな時、才助ははるが日本に戻っていることを知り、急いで帰国しましたが、その時既にはるの身体は病に侵されていました。才助ははるとの約束を果たすべく、彼女を背負って海が見える場所へと行きました。才助はあともう少しで新しい時代が来ると伝えましたが、はるはそのまま息を引き取りました。
1868年。江戸幕府の時代は終わり、明治新政府が発足していました。才助は“五代友厚”と名を変え、大阪で新政府の外交関係を担う役人になっていました。そんな時、友厚は借金を抱えて困窮していた武家の娘・豊子(蓮佛美沙子)と出会い、豊子は友厚の知恵に助けられたことをきっかけに彼に惹かれていきました。
やがて友厚は豊子と結婚し、大阪を“東洋のマンチェスター”にするという夢に向かって邁進しようと決意しました。
天外者(てんがらもん)の結末
新時代を迎えても日本の景気は一向に良くならず、生活に困窮する人々が後を絶ちませんでした。友厚はその原因が日本が開国前に諸外国と結んだ不平等条約にあると気づき、政府役人の身ではできることに限界があることを悟りました。
役人の職を辞した友厚は、大阪を拠点に実業家として身を起こすことを決意し、自らの自宅の権利書を抵当に入れてまでも金策に走りました。グラバーや弥太郎からも支援を受けた友厚は大阪の経済を立て直すべく「大阪商工会議所」の設立に尽力し、大阪商人を前に「地位か名誉か金か、いや大切なのは目的だ」と熱く呼びかけていきました。
1885年、五代友厚は49歳の若さでこの世を去りました。豊子は友厚が生前あれだけ日本の未来のために奔走したにも関わらず、通夜には誰も弔問に来ないことを寂しく思っていました。その時、利助改め伊藤博文が弔問に訪れ、そして弥太郎も訪れました。
二人が帰った後、ふと家の外に出た豊子は、道のはるか向こうまで連なる無数の弔問客の姿を目の当たりにしました。豊子は「あなたはやっぱり天外者ね」とそっと呟きました。
以上、映画「天外者(てんがらもん)」のあらすじと結末でした。
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