氷上の王、ジョン・カリーの紹介:2018年イギリス映画。男子フィギュアスケートにバレエの要素を盛り込んだ先駆者で、オリンピック金メダリストのイギリス人スケーター、ジョン・カリー。挑戦し続けた天才の成功と苦悩の人生に迫る。
監督:ジェームズ・アースキン 出演:ジョン・カリー(アーカイブ映像)、ディック・バトン、ロビン・カズンズ、ジョニー・ウィアー、イアン・ロレッロ、フレディ・フォックス(ナレーション)、ほか
映画「氷上の王、ジョン・カリー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「氷上の王、ジョン・カリー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
氷上の王、ジョン・カリーの予告編 動画
映画「氷上の王、ジョン・カリー」解説
この解説記事には映画「氷上の王、ジョン・カリー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
氷上の王ジョンカリーのネタバレあらすじ:起・ダンスを諦めなかった少年
1949年、イギリス、バーミンガムの工場の息子に生まれたジョン・カリーは、子供の頃からバレエや舞台が大好きだった。バレエを習いたいと頼むと、父親はそれを許さなかったが、スケートはスポーツだからという理由で許され、フィギュアスケートを習い始めた。ジョンはバレエの動きを取り入れながら才能を伸ばし、子供時代からいくつもの賞をとった。
しかし、青年に成長すると、それまで好んで行っていたスパイラルや、腕の動き、滑らかな動きを否定され、男らしく滑るよう指導された。しかし、ジョンは、ダンスとスケートの融合を目指し、自分のスケートのスタイルを変えなかった。
試合で訪れた先で、スイスのスケーター、ハインツと出会い、二人は恋に落ち、イギリスとスイスで日を空けず手紙のやり取りをした。ジョンはその後、別の男性に惚れ込むこともあったが、ハインツは生涯ジョンの親友であり続けた。
父の死をきっかけに、ジョンと母はロンドンに移り住んだ。そして、アメリカの大富豪がスポンサーになると、拠点をアメリカに移し、専属のコーチに師事した。
氷上の王ジョンカリーのネタバレあらすじ:承・それまでの概念を覆す
ジョンが全英選手権を制し、世界選手権でメダルをとっても、彼のスケーティングスタイルは世間になかなか受け入れられなかった。そこで、世間の認識から変えるには、オリンピックでメダルを取ることが必要だと考えた。当時、フィギュアスケートは氷の上にどれだけ正確に図形をを描くかを見るコンパルソリーと、フリースケーティングで審査され、ジョンの滑りはフリーでその真価を発揮した。コンパルソリーの得意な、ロシアの選手と同じ大会に出ることもあったが、気にすることはなかった。
そして、1976年のインスブルック冬季五輪でジョンは見事に金メダルに輝いた。しかしマスコミが興味を示したのは、金メダルではなく、ジョンが自分が同性愛者だという事をカミングアウトするかどうかだった。
氷上の王ジョンカリーのネタバレあらすじ:転・プロスケーターとして
五輪とそれに続く世界選手権で結果を出したジョンは競技界を引退し、プロに転向した。彼の夢はフィギュアスケートのダンス・カンパニーを作る事だった。自ら振り付けをし、舞台に氷を張り、ショーを行った。誘われたスケーターで断る者はおらず、団員の女性たちは皆彼に恋をするほど、完璧だった。しかし、ある練習中、転んだ彼は泣いていた。その頃から彼は鬱で、気分の浮き沈みが激しく、調子がよい時は丁寧に指導をしたが、機嫌が悪い時は厳しかった。鬱に悩みながらも、私生活では団員の心配をよそに謳歌していた。
そして80年代に入ろうとする頃、奇妙な病が増え始め、その罹患者の多くは同性愛者だった。ジョンもまた、その病にかかっていた。
氷上の王ジョンカリーの結末:伝説となったジョン
ジョンの手掛けるカンパニーは、好評だったが、赤字経営だった。スケーターの常で足を痛めていたジョンは、メトロポリタン劇場での公演を最後に引退したがっていたが、彼以外にスターのいないカンパニーは彼を引き留めた。しかしそれもむなしく、北欧ツアーでおそらくわざと足を怪我した彼のお陰で、そのツアーは惨憺たるものとなった。そして、彼の内面を描くようなムーンダンスを最後に、彼はカンパニーを辞めた。
自分がHIVだということを、母やハインツなど、ごく親しい人間にだけ告げ、スケートから完全に離れて母親と暮らした。彼が最後に振り付けを手掛けたのは、美しく青きドナウ。衣装のデザインまでこだわったこの作品のテーマは「友情」だった。
30年経った今、ジョニー・ウィアーを始めとしたスケーターたちによって再現されようとしている。
以上、映画「氷上の王、ジョン・カリー」のあらすじと結末でした。
氷上の王ジョンカリーのレビュー・考察:変革者の定めに立ち向かう
おそらくジョン・カリーという選手がいなければ、男子フィギュアスケートは今あるような形にはなっていなかっただろう。もちろんスポーツとして、いかに正確に滑るか、難度の高い技を組み込むかという点は外せないが、芸術性や音楽の解釈などアーティスティックと言われる方面には発展していなかったかもしれない。もし、彼が指導者の言うとおり、青年期にフィギュアスケートとダンスを融合させようという試みをやめていたらと思うと、あくまでも自分の信念を貫こうとした姿に感動する。さらに、今でもアスリートの世界では同性愛に対する風当たりは厳しいが、ジョンの生きた時代はもっと生きづらかっただろう。その生きざまの端々には罪悪感のようなものが見え隠れする。しかしその人生の終わりにたどり着いたのが友情だと言うのは救いにも思える。
この映画の感想を投稿する