アンチクライストの紹介:2009年デンマーク,ドイツ,フランス,スウェーデン,イタリア,ポーランド映画。デンマークの鬼才ラース・フォン・トリアーによる、全6章で構成された作品で、息子をなくした母親の悲しみから正気を失っていく妻をセラピストである夫が治療しようとします。森がいという妻と深い森の中にある山小屋へ向かいます。美しいとも呼べる、残酷な暴力シーンと正気を失った妻の凶暴性が問題にもなった作品です。
監督:ラース・フォン・トリアー 出演者:ウィレム・デフォー(彼)、シャルロット・ゲンズブール(彼女)ほか
映画「アンチクライスト」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「アンチクライスト」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
アンチクライストの予告編 動画
映画「アンチクライスト」解説
この解説記事には映画「アンチクライスト」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
アンチクライストのネタバレあらすじ:起
シャワーで愛し合う男女が自分たちに酔いしれている間に、ある日彼らの一人息子であるニックはアパートの窓から落ちて死んでしまいます。妻は葬儀で倒れるなど、子供の死のショックで悪夢を見はじめ、精神が不安定になっていきます。夫はセラピストであり、妻の精神科に通うのをやめさせ自分がセラピーを行い始めるといいます。悪化していく精神状態のなか妻は、夢で森を見る、森が怖いといいだします。それを聞いた夫は、恐怖にわざと触れさせるセラピーを行うため妻が恐れる森へ行くことにします。
アンチクライストのネタバレあらすじ:承
森の奥深く、人里離れた山小屋へ夫婦はやってきます。この小屋は死んだ息子のニックと妻がふたりで夏に訪れた場所で、妻は当時論文を書いていました。そんななか、荒いセラピーを強要する夫に、妻の精神状態はかなり悪化してしまい、レイプのような激しいセックスを強要するようになります。
アンチクライストのネタバレあらすじ:転
夫は屋根裏部屋で、妻が書いていた論文の資料を発見します。妻の論文の題は「ジェノサイド」であり、彼女は魔女狩りなどの女性への集団暴力を批判するために論文を書いていたはずでした。しかしながら、集団暴力の資料を集め学んでいくうちに、彼女はすべての女性が生まれつき邪悪な心をしているということを信じはじめたと明かします。それを知った夫は、息子と妻の過去の行動に注目し、妻が息子にいつも靴を左右反対に履かせるなどの虐待をしていたことに気づきます。妻は夫が自分を捨てると考え彼を襲います。
アンチクライストの結末
妻に襲われた夫は、ナットで重しを足につけられてしまいます。足を引きずって森に隠れる彼でしたが、妻が探し当てて、ほとんど生き埋めにしてしまいます。夜になり、彼女は夫を助けだし、ナットを外すためのレンチをなくしてしまったと言い出します。二人で山小屋まで帰りますが、三人の乞食がきたら誰かが死ななければといいだし、フラッシュバックで彼女が息子が窓から落ちる場面を目撃したいたことが分かります。明け方、レンチを床下から発見した彼はナットをはずし、妻を殺します。山小屋を去る夫は丘に立ち、何人もの顔がわからない女性が丘を上がってくるのを見ます。
8年ほど前に1度だけ観ているので今回は2度目の鑑賞ということになる。最初はレンタルだったので字幕ありの修正版だったが、今回は【無修正版】を入手したので当然ながら字幕はついていない。私が【保存版】にしている作品の殆ど全てが「無修正の字幕なし」なのである。前回は修正版だったのでモザイクだらけだったが、映画と言う「娯楽芸術:大衆文化」にモザイクを入れるのは作者と作品に対する侮辱行為であり冒涜以外の何ものでもない。字幕があるのに越したことはないが、英語版なら何とかなるので躊躇なく無修正の方を選んだわけである。ところで「アンチクライスト」は賛否が分かれる映画の代表選手であることは周知の事実。「アンチクライスト」に拒絶反応を含めた様々なコメントが寄せられているのは、この作品に対する注目度の高さを示すバロメーターではないだろうか。この映画の題名の意味する所は旧来のキリスト教的世界観を全面否定するのではなく、見せかけの「建前上のキリスト教信者」に対する「警鐘」であると分析している。更に深読みすると、それは「本音と建前」或いは「本質と現象:表層」のことではないか。つまり、夫は今まで(普段)は妻の本質を見てこなかった。山小屋で絶望の淵に立たされて初めて夫が妻の本質を見極め認識したのである。人間は普段は愛する者の表面だけを見て自分の理想像と同化させようとする。これが建前であり現象(表層)なのだ。夫は自分が窮地に立たされてやっと愛する者の本質を見極めたのである。この映画の中の夫(ウィレム・デフォー)の事を敢えて私は「自分」と表記した。その意味は、この作品があくまでも夫の立場に立った一人称で構成されているからに他ならない。そのことは映画のタイトルを見ればひと目で解る。原題:原文では「ANTICHIRS♀」と明記されており、Tの文字が♀(雌:メス)記号に置き換えられて女性(female)を明確に示しているからだ。この文字(ロゴ:筆跡)を書いたのは妻(シャルロット・ゲンズブール)であるが、それを認識しているのは夫(ウィレム・デフォー)の方なのである。だからこの映画は夫の(男の)立場に立った視点(一人称)で描かれた怖ろしい「奇譚」なのである。厳密に言うとこの作品は「男性は被害者であり女性が加害者」と言う二元論ではない。どちらかが「善」でどちらかは「悪」と言う単純な図式ではない。しかながら多くの伏線やヒントを映画の中で気前よく露呈したことで、結果的にトリアー監督は多くの世の女性を敵に回してしまったのである。「賛否両論」の否定派が女性に占める割合が大きいことはことは明らかだ。カンヌ国際映画祭での一部のブーイングは正に「自明の理」でありこの作品が背負うべき宿命でもある。女性たちには申し訳ないが、文学も音楽も絵画も映画も男性側の視点に立った作品が圧倒的に多数を占めている。敢えて嫌な(陳腐で下賤な)表現を使えば、芸術の多くは男性の自慰行為(マスターベーション)でもあると言えよう。「第一章」(grief:悲嘆)の冒頭のシーン。葬儀の参列の中のシャルロット・ゲンズブールの無表情で蒼ざめた顔はまるで死者のようである。この時は既に妻の魂は彼岸(あの世)へと旅立っていて、残されたのは抜け殻の肉体と悪魔に洗脳された別人格だけであった。しかし夫はそのことには気づかない。倒れた妻を献身的に介抱することで妻の回復を祈願する。ここから悲劇の幕が切って落とされるのである。妻は抜け殻の空虚さを埋め合わせる為に夫に暴力を振るい、自傷行為や過激なセックスなどを求めるようになる。自分の肉体と精神(本質)が乖離し魔物に憑依された狂女を見事に演じ切ったシャルロット・ゲンズブール。カンヌの女優賞に輝くゲンズブールの鬼気迫る熱演は映画史に名を刻む歴史的な快挙である。夫のデフォーが妻のゲンズブールに急所を一撃される。妻が無慈悲にも夫の傷付いた陰茎をしごき立てると血膿が出てくる。思わず寒気がする壮絶な描写である。鬼女(妻)から逃れて「這う這うの体」(ほうほうのてい)で穴に隠れている夫の心境や如何に。この洒落にもならないリアルな鬼ごっこで、「How dare you leave me:よくも私を見捨てたな!」と必死になって絶叫する妻の「鬼の形相」が怖すぎる。このゲンズブールの狂気に満ちた絶叫を聴いて私は恐怖のどん底に落された。この作品は単純なホラー映画でもスリラー映画でもないが、ロブ・ライナーの「ミザリー」やキューブリックの「シャイニング」に匹敵する「恐怖感」は尋常ではない。そしてこの映画のキーワードである「3人の乞食」とはズバリ【潜在意識】のことではないかと思う。その「3人の乞食」である、鹿(grief:嘆き)もキツネ(pain:痛み)もカラス(despair:絶望)も最後まで夫(一人称なので自分)について来る。この潜在していたものが顕在化することで決着が着くのである。だから「3人の乞食」が現れて夫が偽らざる自分の意志(本心)によって妻を絞め殺したのである。これはリビドー(衝動)ではなくて確固たる信念に基づいている。妻も夫も相手に対しての攻撃性や強い殺意を潜在的に隠し持っていた。それら(3人の乞食)が解き放たれた時にこそ「海は裂け山が動く」のである。私の独断と偏見で一方的にまくし立てたが、まだまだもの足りないのである。こんなものではないと言いたい。チョットでも切り口を変えたならまた違った視点が現れるであろう。ことほどさように、「アンチクライスト」はエリアが広く根が深いのだ。だから誰がどのような分析や解釈や解説をしても何ら不思議ではない。最終的にはこの本を書き自らが監督したラース・フォン・トリアーが「この映画の意味は○○と言うのが真実なのですよ」と、そう言ったら全てが収まるであろう。トリアーは生粋のデンマーク人であるが、デンマーク人の死生観は独特で暗くてグロテスクな面が見受けられる。なので私は暗くて不気味な森をひとつのリアルな地獄と見立てた。この世(此岸)と隔絶した地獄の中に蠢く得体の知れない「魑魅魍魎」たち。木の実や虫やヒナ鳥に姿を変えて夫に試練を与える魔物の存在。その地獄の底で鬼女と化した抜け殻の妻を抱いて殺されかける夫の悲劇。トリアー監督は自らが精神疾患を抱えた芸術家であるが、私も同じ経験者なので彼のセンシティブな多感さは充分に理解できる。序章は美しいモノクロで撮りきり、ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」が流れる。その息をのむような美しさは絶品である。そこから抜け出て窓から落下してゆく乳幼児は「楽園からの追放」を意味すると解釈している。キリスト教的世界観とユング心理学の織りなす重層的な精神世界が「アンチクライスト」の本質であると結論づけてこの作品への論評を締めくくりたい。世界中で物議を醸すこの悪夢のような醜悪で美しいホラー映画は、ラース・フォン・トリアーが広く世に問うた世紀の大傑作であり「我が最愛の作品の一つ」となった。