愛の狩人の紹介:1971年アメリカ映画。プレイボーイの男と真面目な男、親友同士の2人の長年における女性遍歴を、若き日のジャック・ニコルソン、サイモン&ガーファンクルのアーサー・ガーファンクル、のちのフォトグラファーとして活躍するキャンディス・バーゲンら賑やかなキャスティングで描く。
監督:マイク・ニコルズ 出演:ジャック・ニコルソン(ジョナサン)、キャンディス・バーゲン(スーザン)、アーサー・ガーファンクル(サンディ)、アン=マーグレット(ボビー)、リタ・モレノ(ルイーズ)、シンシア・オニール(シンディ)、キャロル・ケイン(ジェニファー)、ほか
映画「愛の狩人」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「愛の狩人」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「愛の狩人」解説
この解説記事には映画「愛の狩人」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
愛の狩人のネタバレあらすじ:起
大学寮のルームメイト、ジョナサン(ジャック・ニコルソン)とサンディ(アーサー・ガーファンクル)。プレイボーイで女性とは体だけの関係を楽しむジョナサンに対し、サンディはセックスに心を求める真面目なロマンチストと、恋愛に関しては正反対の2人だった。
ある日、近くの女子大との懇親パーティーに参加した2人は、そこにいた女子大生スーザン(キャンディス・バーゲン)に目を止める。美人の彼女に一目ぼれしたサンディは、ジョナサンにけしかけられてなんとか話すことに成功し、2人はデートを重ねるようになる。
サンディはデートの様子を逐一報告、何度かキスは交わすものの、その先を許してくれないと聞いたジョナサンは、スーザンに興味を持ち彼女を誘い出すと、手慣れた彼にスーザンも応え、易々と体の関係を持つ。
愛の狩人のネタバレあらすじ:承
そうとは知らないサンディは、求めは拒み続けるスーザンをなだめすかしてやっと初体験に至り、一方で単なる遊びのつもりだったジョナサンは、いつしかスーザンを本気で愛するようになる。
そのうちにサンディの報告を聞くことに耐えられなくなったジョナサンは、自分の方に気持ちがあることは分かっているからサンディに話せとスーザンに迫る。彼を傷つけたくないから話せないというスーザンに言わないなら自分が話すとジョナサンは脅すが、そんなことはできないと見透かされてしまう。
態度を変えようとしないスーザンにジョナサンは気持ちが離れたと告げ、2人の関係はそこで終わる。
愛の狩人のネタバレあらすじ:転
数年後、医師となったサンディはスーザンと結婚して円満な家庭を持ち、税理士となったジョナサンは相変わらずのプレイボーイぶりで独身のままだった。
豊満な女優ボビー(アン=マーグレット)に最高の相性を感じて一緒に暮らし始めたジョナサンは、平凡な暮らしに退屈を感じるようになっていたサンディにシンディ(シンシア・オニール)という女性を紹介する。
愛人を得て満足したサンディとは裏腹に、ジョナサンはボビーとの関係が徐々に悪化、結婚を求めるようになった彼女と言い争いが絶えなくなる。ある晩、いつものように言い争いになった末にボビーが自殺を計り、ジョナサンは諦めて彼女と結婚する。
愛の狩人の結末
それからまた時は経ち、彼らは40歳になっていた。ジョナサンは愛人を伴ってやってきたサンディに、過去の女性遍歴を語ってみせ、娘をもうけるがボビーとは離婚したと告げる。
かつて心のともなったセックスを求めていたサンディも、今ではスーザンとの安定した結婚生活を続けながら、年若い愛人との関係を続けており、体だけの関係を楽しんでいたジョナサンは、今では娼婦相手に決まったパターンでしか欲求を満たせなくなっていた。
2人はそれぞれの過去を振り返り、恋愛観を語り合いながら夜の街を歩くのだった。
以上、映画「愛の狩人」のあらすじと結末でした。
マイク・ニコルズ監督の「愛の狩人」は、ある種の傑作だと思う。
だが、女性にとっては残酷極まりない映画だろう。
徹底して”男”を描き、本質的に女性を拒否しているからだ。
1940年代後半に青春期を過ごし、今、”中年”と呼ばれる男たちのセックス・ライフをたどる。
性格の全く対照的な主人公たちは、東部の大学時代から親友同士だ。
二人は美しい女子学生スーザン(キャンディス・バーゲン)に目を付ける。
純情派のサンディ(アーサー・ガーファンクル)がおずおずと、アタックすれば、肉体派のジョナサン(ジャック・ニコルソン)は、ひそかに、素早く手を出して、先にモノにしてしまう。
だが、彼女は、結婚相手にサンディを選ぶのだった。
数年後のニューヨーク。今は社会人として出世街道を歩む二人の男たち。
医師のサンディは、幸福な家庭を自慢するが、独身の税理士ジョナサンは、飽くことなく情事を追い求める。
その相手の一人、グラマーな美人のCM女優(アン・マーグレット)との濃厚な快楽場面と、やがて襲う破局の空虚感が凄い。
それは郷愁に溢れた学生時代の描写と対応して、胸を突き刺す痛みとなる。
時が流れ、男たちも年を重ねて、彼らはもう”立派な”社会の中堅層だ。
だが出会えば、女の話に終始し、時には平然と愛人交換もやってのける。
かつての気弱な優等生サンディも、今や進歩派気取りのヒッピー風で、若い情婦をとくとくと連れ歩く俗物だし、一方あれほど精力家だったジョナサンは不能と成り果てて、年増の娼婦に自信回復をすがる無残さだ。
思えば二人の男は、女性を全く性の対象としてしか扱っていない。
そうした彼らの背後に、現代アメリカの精神風土の荒廃が浮かび上がる。
青春が幻影であり、愛が幻想にすぎない時代の”男”の虚しさを、これほど強烈に描いた映画も珍しいと思う。