ゴジラ-1.0の紹介:2023年日本映画。日本が世界に誇る特撮映画『ゴジラ』シリーズの第37作(海外製作・アニメ版含む)、国産実写作品としては『シン・ゴジラ』(2016年)以来7年ぶりとなる第30作、そしてゴジラ生誕70周年記念作品であり、第1作『ゴジラ』が公開された1954年11月3日(ゴジラの日)にちなんで2023年11月3日に日本公開されました。本作は監督に『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズなどの山崎貴、主演に連続テレビ小説『らんまん』でも共演している神木隆之介と浜辺美波を迎え、時代設定を第1作(公開年・舞台設定ともに1954年)よりも前の太平洋戦争終戦直後とし、大戦を生き残った元特攻隊員や復興途中の日本がゴジラの脅威に立ち向かう様を描きます。
監督・脚本:山崎貴 出演者:神木隆之介(敷島浩一)、浜辺美波(大石典子)、山田裕貴(水島四郎)、青木崇高(橘宗作)、吉岡秀隆(野田健治)、安藤サクラ(太田澄子)、佐々木蔵之介(秋津淸治)、田中美央(堀田辰雄)、遠藤雄弥(齋藤忠征)、飯田基祐(板垣昭夫)、水谷咲笑(明子)ほか
映画「ゴジラ-1.0」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ゴジラ-1.0」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ゴジラ-1.0」解説
この解説記事には映画「ゴジラ-1.0」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ゴジラ-1.0のネタバレあらすじ:起
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)。「零戦」で特攻に向かったはずの海軍少尉・敷島浩一が小笠原諸島・大戸島の守備隊基地に着陸してきました。敷島は機体が故障したと主張しましたが、整備主任の橘宗作は機体に故障個所は見当たらず、敷島が嘘をついて特攻から逃げてきたことを見抜きました。橘はこの戦争の結果は見えていると黙認しました。
しかしその夜、島に突如として身長15mほどの怪獣が現れ、基地を襲撃してきました。それは島に昔から語り継がれている伝説の怪獣「呉爾羅(ゴジラ)」でした。敷島は橘から「零戦」の機銃で応戦するよう命じられましたが、恐怖のあまり引き金を引くことができませんでした。ゴジラは基地の整備士たちに襲い掛かり、敷島と橘を残して全員死亡してしまいました。夜が明け、橘は引き金を引かなかった敷島に怒りをぶつけました。やがて戦争は終戦を迎え、敷島は本土に引き上げる船で橘から整備士たちの遺品である家族写真と手紙を渡されました。
1945年12月。敷島は焼け野原と化した東京に帰ってきました。実家は空襲で失われ、敷島は隣人の太田澄子から両親が死んだことを知らされました。家族を失った太田は特攻から逃げて生きて帰ってきた敷島を責めました。
ある日、闇市にいた敷島は、万引きに失敗して逃走していたひとりの女性から赤ん坊を押し付けられました。敷島は女性が赤ん坊を引き取りに現れないので途方に暮れていると、物陰に隠れていた女性と遭遇しました。女性の名は大石典子といい、赤ん坊は典子が空襲で死にかけた女性から託されたもので名を明子といいました。敷島は成り行きから典子や明子と共同生活を始め、太田から食糧を恵んでもらって何とか生活しました。
ゴジラ-1.0のネタバレあらすじ:承
1946年3月。敷島は典子と明子を養うため、給料の良い仕事を見つけました。それは戦時中に米軍が仕掛けた機雷を除去する仕事であり、典子は危険だと反対しましたが、敷島は金のためにこの仕事に就くことにしました。
敷島は木造の特設掃海艇「新生丸」に乗り込み、艇長の秋津清治、かつて大戦時に兵器の開発に携わった過去のある元技術士官の野田健治、戦争に出征していない若手乗組員の水島四郎ら乗組員たちと親しくなっていきました。敷島は稼いだ金で小さな家とバイクを買い、生活にもゆとりが出てきました。
秋津は敷島に典子と結婚しないのかと促されましたが、大戸島で死んでいった隊員たちを思うとどうしても踏み切れず、自分は家族を持つ人間ではないと頑なに拒みました。そんな敷島は毎夜のようにゴジラの悪夢にうなされていました。
1946年7月。米軍はビキニ環礁にて核実験「クロスロード作戦」を実行しました。この際、たまたま近海にいたゴジラは核実験の放射能を浴びて被曝し、その影響で細胞が活性化、ゴジラはみるみるうちに身長50.1mまで巨大化していきました。
1947年3月。敷島は自分と結婚する意志がないことに業を煮やした典子は自立することにし、銀座の会社に事務職として就職することにしました。典子は仕事中は明子を太田に預けることにしました。
その頃、ゴジラは次々と米軍の艦艇を沈めていました。米軍はゴジラの存在を知り、その細胞から大量の放射能を検出しており、ゴジラが日本へ向かっているとの予測を立てていましたが、当時関係が悪化していたソ連を刺激しないためにも米軍は直接軍事行動を起こさず、ゴジラの対応は全て日本政府に任せる方針を決定しました。日本は戦後に接収されていた艦艇や戦車などを一時的に返還してもらい、シンガポールにて自沈処分される予定だった重巡洋艦「高雄」も日本へ向けて出発することになりました。
1947年5月。小笠原近海にて作業をしていた「新生丸」は、巨大生物らしきものによって破壊された船舶に遭遇しました。敷島はこの巨大生物がかつて大戸島を襲ったゴジラではないかと推測し、あの時よりも巨大化・狂暴化していることを察知しました。「新生丸」は「高雄」が到着するまでの間、時間稼ぎとしてゴジラを足止めするよう極秘指令を受けましたが、対抗できる武器が回収した機雷2発のみでした。
「新生丸」は機雷を使ってゴジラへの攻撃を試みましたが、ゴジラの驚愕の再生能力の高さには全く歯が立ちませんでした。ゴジラが「新生丸」に向けて光線を吐こうとしたその時、やってきた「高雄」が「新生丸」の危機を救いました。「高雄」はゴジラとの戦闘を開始しましたが、ゴジラは「高雄」目がけて光線を放ち、「高雄」は海の藻屑となって沈んでいきました。怪我をした敷島は気を失いました。
ゴジラ-1.0のネタバレあらすじ:転
横須賀の病院で目を覚ました敷島は、秋津・野田・水島からゴジラが東京へ向かっていること、日本政府は混乱を恐れてゴジラの情報を国民に伏せていることを知らされました。帰宅した敷島は典子に意を決して打ち明けました。自分は特攻から逃げたこと、大戸島でゴジラと遭遇したこと、そしてそのゴジラと再び遭遇したことを話した敷島は「自分は生きていてはいけない人間だ」と語ると、敷島が人知れず心の苦しみを抱えていたことを知った典子は彼を抱きしめ、生きていかなければならないと励ましました。
翌日、ゴジラは東京湾の防衛線を突破し、遂に東京に上陸しました。典子が出勤した後、ラジオの臨時ニュースでゴジラの襲来を知った敷島は典子を救うべく銀座に向かいました。その頃、電車に乗っていた典子は車両ごとゴジラに咥えられましたが、川に飛び込んで何とか脱出しました。
ゴジラは東京の街並みを破壊しながら進み、品川を経て銀座へと向かいました。ようやく典子と合流した敷島は群衆の中を逃げようとしましたが、ゴジラは応戦していた戦車隊を光線で薙ぎ払い、その光線による爆風が襲い掛かってきました。典子は咄嗟に敷島を路地へと押し込み、その直後に爆風に吹き飛ばされていきました。空からは黒い雨が降り、典子を失った敷島はゴジラへの復讐を誓いました。
典子の葬儀をしていた敷島は野田に誘われ、極秘裏にゴジラを倒すための作戦会議「巨大生物對策説明会」に参加しました。そこには秋津や水島、数多くの元軍人の姿があり、説明会のリーダーである駆逐艦「雪風」元艦長の堀田辰雄が現状を説明しました。駐留連合国軍はソ連を刺激する恐れがあるとして軍事行動を避け。占領下で軍隊を失った日本は民間人のみでゴジラに立ち向かわなければならなくなったのです。
作戦は駆逐艦4隻の提供を受け、野田はゴジラをフロンガスの泡で包み込み、相模湾の深海1300mまで一気に沈めて急激な水圧の変化を与える第一次攻撃、それに続く第二次攻撃として深海で大きな浮袋を膨らませ、海底から海上まで一気にゴジラを引き揚げ、凄まじい減圧を与えてゴジラの息の根を止めるという「海神(わだつみ)作戦」を提案しました。
その後、敷島・野田・秋津・水島は話し合いをしました。野田の作戦では、海中に放射線測定器を大量に設置してゴジラの動向を掴み、スピーカーでゴジラの鳴き声を流してゴジラに縄張りを荒らされたと思わせる計画でした。敷島は飛行機でゴジラを誘き寄せる作戦を提案し、野田から本土決戦用に開発された局地戦闘機「震電」の提供を受けることになりました。「震電」に可能な限りの爆薬を搭載し、ゴジラの口に特攻するという命がけの作戦でした。
ゴジラ-1.0の結末
敷島は「震電」を飛べるようにするため、苦労の末にようやく橘を探し出しました。敷島は「俺たちの戦争は終わっていない」と橘を説得、橘は「震電」の整備に取り掛かりました。
放射線探知機がゴジラの存在に反応し、遂に作戦は決行されることになりました。野田はかつての大戦はあまりにも命を軽視しすぎたと振り返り、この戦いは未来を生きるための戦いだと力説しました。敷島は太田に明子を託し、典子の写真を「震電」の操縦席に貼って乗り込みました。
相模湾に出現したゴジラは再び上陸しました。敷島はゴジラを海に誘導し、2隻の駆逐艦がゴジラの体にガスボンベをつけたワイヤーを巻きつけました。そしてゴジラは作戦通りに深海に沈められましたがまだ生きていました。すかさず作戦第二弾が実行され、ゴジラは浮袋によって浮上させられましたが途中で止まってしまいました。駆逐艦が引き上げようとしましたが、パワー不足により逆に引きずり込まれそうになりました。
その時、秋津から残るよう言われていた水島が沢山の民間の船を引き連れて駆け付け、総出でゴジラの引き上げに協力しました。引き上げられたゴジラは急激な圧力の変化に苦しみ、その隙を突いて敷島は「震電」でゴジラの口に特攻しました。
敷島は間一髪でパラシュートで脱出しました。ゴジラの体は爆発を起こし、自壊しながら海へと沈んでいきました。任務を終え、帰還した敷島は太田から典子が生きているとの知らせを受け、彼女が入院している病院へと向かいました。再会を喜び合う敷島と典子でしたが、典子の首元には黒い痣らしきものがありました。そして死んだはずのゴジラの細胞は海の底で再生を始めていました・・・。
以上、映画「ゴジラ-1.0」のあらすじと結末でした。
「ゴジラ-1.0」感想・レビュー
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ゴジラの描き方も、特撮技術もいろいろ進化して凄さを感じたが、それにしても今まで散々作られたゴジラ映画との差別化をどのようにして出すのか?と思いながら見た。神木隆之介の演技も良かったし、皆で立ち上がろうといういかにも日本人的な結束の描き方もいいと思う。この映画が海外でも評価されているところが個人的には大変嬉しい点である。
いやーこれはすごい映画だった。
未だに語彙力が無くなってる。すごい映画だった。