ジョーカーの紹介:2019年アメリカ映画。『バットマン』の悪役として有名なジョーカーの誕生物語。大都会ゴッサム・シティで道化師として暮らしていた一人の孤独な男アーサー・フレック。ピエロメイクの大道芸人として、病弱な母を支える心優しい面もあり、同じアパートに住むソフィーに好意を抱いている。どんな時も笑顔で人々を楽しませなさいと言う母の言葉通り、コメディアンを目指してドン底から抜け出そうとするアーサーが、なぜ巨大な悪のカリスマ『ジョーカー』へと変貌したのか。切なくも衝撃的真実の物語。「ジョーカー」はヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得。リヴァー・フェニックスの弟で、8歳で俳優デビューを飾ったホアキン・フェニックスは本作で「キャリア史上最高の演技」と称賛された。
監督:トッド・フィリップス 出演:ホアキン・フェニックス(アーサー・フレック/ジョーカー)、ロバート・デ・ニーロ(マレー・フランクリン)、ザジー・ビーツ(ソフィー・デュモンド)、フランセス・コンロイ(ペニー・フレック)、ブレット・カレン(トーマス・ウェイン)、ダグラス・ホッジ(アルフレッド・ペニーワース)、ダンテ・ペレイラ=オルソン(ブルース・ウェイン)ほか
映画「ジョーカー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ジョーカー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ジョーカーの予告編 動画
映画「ジョーカー」解説
この解説記事には映画「ジョーカー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ジョーカーのネタバレあらすじ:起
大都会ゴッサム・シティは腐臭が漂っていました。市の衛生局がストライキをおこなってゴミ収集を停止しているためです。街中ゴミがうず高く積み上げられ、強い生命力を持つネズミ、スーパーラットが現れて市民を悩ませていました。そしてそれは政治の機能不全の象徴でもありました。貧富の差は拡大、困窮した人々は暴力的になり何もかもが疲弊していました。
そんなゴッサム・シティに住むアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は貧しい道化師。所属するピエロ派遣サービス、ハハプロダクションから依頼されるわずかな仕事で細々と母親ペニー(フランセス・コンロイ)と2人で暮らしていました。
アーサーは脳と神経の損傷から、緊張すると笑いの発作に襲われる病気を患っていました。母親は心臓と精神を病み、30年も前に仕えていた大富豪トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)へ送った、助けを求める手紙の返事を待つ毎日。大変な生活ではありましたが、そんな中でもコメディアンになる夢がアーサーの心の支えとなっていました。
ジョーカーのネタバレあらすじ:承
そんな中、アーサーを不幸が襲います。街の福祉予算の削減で、ソーシャルワーカーのカウンセリングと向精神薬の打ち切りが告げられました。さらには、ピエロ姿で閉店セールの宣伝をする仕事中、ストリートギャングの若者に袋叩きにされてしまいます。預かり物の宣伝看板も破壊されてしまい、会社からは仕事放棄の疑いをかけられ、さらには看板の弁償を求められたのです。落ち込むアーサーを同僚のランドルが慰めました。「これで身を守れ」そう言って差し出したのは紙袋に包まれた拳銃でした。しかしこれが裏目に出ることとなります。
後日、小児病棟でのピエロ姿での仕事中、アーサーは誤って拳銃を床に落としてしまい、ハハプロダクションを即刻解雇されます。ランドルは自分が渡した拳銃であることを否定し、アーサーを裏切ることになります。こうしてアーサーは少しずつ追い詰められていきました。
ピエロ姿で着替える余裕もないままアーサーは地下鉄に乗りました。電車内ではトーマス・ウェインの会社で働く3人のエリート・ビジネスマンが女性に絡んでいました。その女性は視線でアーサーに助けを求めますが、ストレスのせいか発作の笑いが抑えられないアーサーをビジネスマンたちはからかい、さらに袋叩きに遭います。堪えられなくなったアーサーは拳銃を取り出し、彼らを射殺してしまいました。すべては衝動的な行動でした。
そのあとに訪れた意外な高揚感。アーサーの内に秘めた何かがはじけた瞬間でした。
ジョーカーのネタバレあらすじ:転
まるで生まれ変わったようなアーサーは、同じアパートに住む美しいシングルマザー、ソフィー(ザジー・ビーツ)の唇を強引に奪って口説き、自分の出演するスタンドアップコメディショーに招待します。しかし、いざ自分の出番になると発作が治まらないアーサーのジョークに、客は無反応。ショーは失敗に終わります。
ところがこの見事なまでのスベリっぷりが人気トークショー番組の司会者マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の目に止まり、アーサーは出演依頼を受けることになりました。
一方、アーサーの母ペニーは相変わらずトーマス・ウェインへの手紙を書き続けています。ある日のこと、アーサーはこの手紙の内容を目にしてしまいました。そこに書かれていたのは、アーサーがトーマス・ウェインの息子だという衝撃の内容でした。
アーサーは、トーマスに会って真実を確かめるためにウェイン邸へ行き、門越しの幼いブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)を相手に手品を見せて気を引きます。しかしそこへ執事のアルフレッド(ダグラス・ホッジ)が現れ、「おまえの母親はイカれてる」と追い返されてしまいます。
後日、アーサーはトーマス・ウェインが鑑賞するサイレント映画の会場に現れ、トイレに立ったトーマスに近づきます。自分の父親であることを問うアーサーでしたが、トーマスは「自分は父親ではない、お前は母親が昔ウチで働いていた頃にもらわれてきた養子だ。」という衝撃の言葉を聞くことになります。それどころか顔面を殴られる始末です。
自分が養子であるという言葉を忘れられず、アーサーはアーカム州立病院へ行き母ペニーの入院記録を調べると、自分は養子でそもそも母親と血縁関係にないこと、母親は精神疾患を患っていたこと、母の交際相手の男性がアーサーを虐待して脳に損傷を負わせたという事実が、当時の入院記録や新聞記事の切り抜きから判明しました。
アーサーがこれまで信じていた愛や絆はすべて幻想でした。脳卒中で入院している母ペニーを枕で押さえ込んで窒息死させ、どうすることもできなくなったアーサーはソフィーの家へ助けを求めました。しかしそこに現れたソフィーはアーサーの名前をかすかに覚えている程度でした。ソフィーとの関係はすべてアーサーの妄想だったのです。
もはやアーサーには、守るべきものは何一つ残されていませんでした。
ジョーカーの結末
ゴッサム・シティの貧しい者たちは、傲慢なビジネスマンを地下鉄で射殺した謎の道化師を英雄化し、富裕層への反発デモが街のあちこちで行われていました。それを見たアーサーに不敵な笑みが浮かびます。
ついにマレー・フランクリン・ショー出演の日がやってきました。
アーサーが見つめているのは若かりし頃の母ペニーが写る写真。その写真の裏側にはメッセージと共に「TW」というイニシャルが。それはトーマス・ウェインからペニーへ親しみを込めて贈られた写真でした。まるで2人の関係が深く、アーサーの父親がトーマスあるという事実を暗示するかのようです。そしてアーサーはその写真を憎しみを込めて握りつぶすのでした。
ピエロのメイクをしているアーサーのもとへ、母ペニーが亡くなったことを心配して、同僚だったランドルと小人症のゲイリーが駆け付けました。アーサーを元気づけようとする2人でしたが、その場でアーサーは裏切り者のランドルの喉をハサミでかき切り、倒れた彼の頭を壁に何度も叩きつけて殺してしまいました。一方、唯一自分に優しくしてくれていたゲイリーをアーサーは見逃して帰すのでした。
ビジネスマン殺しの事情聴取のためアーサーを追う警察から逃れつつ、アーサーはマレー・フランクリン・ショーの楽屋へとやってきました。
楽屋に現れたマレーに、ピエロのメイクと衣装で身を固めたアーサーは注文をつけました。「呼ぶのは本名ではなくジョーカー(冗談屋)と紹介してくれ」と。こうしてジョーカーとして生まれ変わった悲しい道化師アーサー。
マレー・フランクリン・ショーのスタジオに拍手で迎えられたのも束の間、ビジネスマン射殺の犯人は自分だと告白し、自分を笑いものにしようとしたマレーを恨んでいたジョーカーは拳銃を取り出すと、テレビの生放送中にマレーを射殺。ジョーカーとして最初の大舞台のショーで果たしたパフォーマンスは、ゴッサム・シティで暴徒化する市民をより一層白熱させました。
ウェイン一家3人は混乱する市街地から逃れようとするも、ピエロの仮面をかぶった暴漢に追い詰められ、トーマスと妻マーサは射殺されるのでした。そこには一人呆然と立ち尽くす幼いブルース・ウェイン(将来のバットマン)の姿がありました。
パトカーで連行されるジョーカー。市民はピエロの仮面をかぶり、不満を爆発させる。この光景にジョーカーは心が満たされていくのを感じた様子でした。
そこへ、ジョーカーの乗せられたパトカーに救急車が突っ込み、警官は瀕死、ピエロ仮面姿の男たちがジョーカーをパトカーから助け出します。車のボンネット上にジョーカーが立ちあがると、彼を取り囲み、まるで彼を英雄かのように讃える市民たちの姿がありました。
(ラストシーン)ジョーカーはアーカム州立病院へと収容されていました。手錠をかけられて小さな部屋でソーシャルワーカーのカウンセリングを受けていましたが、またしても笑いの発作が出てきます。どうしたのかと聞かれたジョーカーは「面白いジョークが浮かんだ。理解されないだろうけど。」と言います。しばらくするとジョーカーはダンスをしながら部屋を出てきました。ソーシャルワーカーを殺害したのか、ジョーカーが歩くあとには血にまみれた足跡が残されていました。
以上、映画「ジョーカー」のあらすじと結末でした。
「ジョーカー」感想・レビュー
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こんな悲惨な状況でも、自殺などせず、自分の人生を悲劇ではなく喜劇と受け止め、生きたいように生きていく。メークなしでもジョーカーに見えてきたラストが凄かった。
トーマスがアーサーを殴り倒したシーンで、アーサーが実子の可能性も?トーマスには記録改竄を出来るくらいの力は十分にある。とすれば、ブルース・ウェイン=バットマンとジョーカーは異母兄弟ということになり、これまた凄いことになる。
エリート証券マン3人のクズっぷり。公共の場での泥酔で逮捕されるアメリカ、銃社会アメリカが良く分かる。
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あの若かりし頃の母親の写真裏の書き込みと、TWの署名シーンで、やはりアーサーはトーマス・ウェインの実子(隠し子)だったんだろうなと思った。
よほど親しい相手じゃなければ写真の裏にあんなことは書かないだろうし、ましてや階級社会のアメリカでは、ただの使用人相手にするわけがない。市長選挙中の立場・今の家族にそれを隠したい気持ちが無ければ、アーサーを感情的にトイレで殴るような真似もしないと思う。
そうなるとバットマンには兄がいて、実はそれがジョーカーだっていう裏設定は面白い。 -
虚実入り混じる内容でアーサーがアイデンティティ・クライシスによって加速度的に壊れていく脚本が非常に上手いです。
ジョーカーがゴッサム市民のヒーローとなる展開は「狼たちの午後」、唯一優しかったゲイリーを見逃すシーンは実話の津山三十人殺しを彷彿とさせました。
いずれも社会不安、弱者叩きが根底にあるエピソードでしたね。 -
これはもうDCユニバース映画ではなく、ジョーカーという仮面を被った現代に蘇るアメリカニューシネマ映画でした。
この映画では見向きもされなかった障害持ちの貧困男性がやがて誰もが知っている狂気の体現者ジョーカーになる過程を丁寧に描いていますが、その過程は非常に説得力のある描写でした。ヒトラーしかりビンラディンしかり麻原彰晃しかりそしてジョーカーしかり悪の権化というのは本人の力のみならず不満を持つ人々が祭り上げるものだと感じさせます。
アメリカやヨーロッパで評価されたのも肯ける内容でした -
どん底の男がさらに不幸になると考えるか、全てから解放されて自由になると考えるかだね
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底辺にいる男が地獄を見る。
おどろおどろした中で救われるのが音楽。この音楽が無かったらこの映画はもっとただ暗い思い映画で終わる。
云いたいことは山のようにあるらしく、こちらもそれを受け止めなければいけないというしんどい状況になりがちだけどリバーフェニックスの弟はうまい芝居で映画の中に入り込ませてくれた。
ホアキン・フェニックスは上手い。 -
全て見ればわかる。
演技、演出が考え抜かれた映画。
今の世界と重なる節があるかも。
最高の映画でした -
今の時代故にこそ喝采が浴びせられたのだろう。
日本で格差、格差と取り上げられるが、アメリカは洒落にならないレベル。
元々アレだったが、一般人はもう子供を大学に行かせられなくなってる程。
不幸のどん底にある主人公が悪のカリスマと化す話はいくつもあるけど
精神疾患や虐待の上の障害、銃に富裕層の傲慢さとアメリカの暗部が
無理なくストーリーに詰め込まれて、演技・演出も最高だった。
バットマンファンでなくとも一度は見ておくべき映画です。 -
最初は自身が見ていたジョーカーと違うのではないかと不安で、もし違ったら受け入れられるのだろうかと思っており、映画をみるのが遅くなったのを憶えています。
しかし、実際に見てみると、確かに従来のジョーカーとは違いますが、その違いが逆に良い、という自身の中で革命を起こした作品になりました。
ホアキン・フェニックスの演技がリアリティを持ってきて、それと同時にコメディを思い起こさせるダンスであったり、貧困にあえぐ人々の辛さとずるがしこさ、そこからくる社会の不安や不満すべてを混ぜて、それでいて美しいという感想が出てくる映画でした。人々を巻き込んでいくジョーカーとして、新たなジョーカーとして私の中ではすぐに浸透したのも印象的です。 -
終始タクシードライバーと比較してしまう自分がいました。
しかしこれは悪のヒーロー。
暴動なんて無縁の日本じゃこれを観ても、社会が生み出した悪とは捉えられないかも。
主演の演技は素晴らしい。
ところどころで本来のイケメンぶりが出てしまう事でリアリティを感じるシーンもあった。
脚本は素晴らしく疑問符が浮かぶようなシーンがほぼ無い。非常に観やすい。
デニーロが最後に撃たれるシーンは、言い回しはおかしいかも知れないが”感慨深いもの”がありました。 -
世の中の理不尽の底辺にある人間が、最強の犯罪者に育って行く。
格差の激しいところでは、多々起きてるだろう話。
ただアメリカは貧しい国からの移民がどんどん入って来たりして、格差が増えてるのもあるとは思うけど… -
心優しい道化の青年が悪のカリスマとなり、バットマンとの因縁が
生まれた過程が丁寧に描かれていた。
印象に残ったのは、警察に連行されていくところを、暴動の群衆に助け出されボンネットに丁寧に寝かせられ、起き上がった所での大歓声
「メシアの生誕!!」か、そしてラスト、それまでずっと薄暗かった画面が
光が燦燦と降り注ぐ感じの中、病院の廊下を意気揚々と踊りながら去っていくところが強烈だった。
最後に、母の若かりし頃の写真の話だが、私は皆さんとは違って、それすら
母の偽装だと解釈したのだが?
あれだけ母思いだったのに、母を殺したのも、自分の不幸の元凶が
全て母親だったと確信したからだろう。 -
チャップリンは言った。
人生はクローズアップして見れば悲劇で、ロングに引いて見れば喜劇だ、と。
相反する要素を備えているからこそ、人はダークヒーローにひきつけられるのかもしれない。
しかしジョーカーの人生がどんなに悲惨だったとしても、殺人や犯罪は間違いだ。
そういう意味で主人公の行動には全く共感できない。
カタルシスもない。彼はゴッサムの住人は思いやりがない、もしジョーカーが道に倒れていたら踏みつけて行くだろう、と言います。
しかしそれはジョーカー自身にも言えることです。
拳銃を渡した同僚やソーシャルカウンセラー(や、彼女を雇っていた市)は善意やできる範囲でジョーカーを助けようとしていました。
結果的には彼らはジョーカーの助けにはなりませんでした。
当たり前ですが人は無制限に他者を助けることはできません。
また自分の権利を越えて他者を害することもおかしな話です。
ジョーカーの行動はあまりに衝動的で納得できません。
理由の積み重ねは映画の中で充分描かれていますけれども。映画の中では、混乱したゴッサムからバットマンとジョーカーが産まれました。
二人が表裏一体として扱われるのは公式の見解ですが、社会の荒みようが救われない人間を連鎖的に産み出している、とも解釈できます。
そういう点で視聴後に虚無感しか感じないのです。映画の中で「皮肉」がテーマとして扱われていることは理解できます。
しかしそれでクスリともさせられなかったあたり失敗作、または凡作と言っていいかと。 -
純粋無垢な少年の心に虚無感を与えるくらいにはインパクトのある作品。
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悪役が主役でこういう映画が出てきたらいよいよヒーロー映画の作り方も変えていかないといけない。
そうさせるだけの説得力がある革命的な作品。 -
ホアキンフェニックスの演技が素晴らしい!!それに尽きます。
シリーズのファンでもなく過去作の知識もありませんがこの映画の釘付けになりました。
ただただジョーカーが可哀想な映画なのに
深く考えさせられ、ラストは何故か満たされた気持ちになる。配役、演出、音楽、何もかも非の打ち所がない作品でした。
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富裕層が映画を見ている外では貧困層による大暴動が起こっているシーンは皮肉が聞いていて最高だったね。
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正直、後味のいい映画ではなかったが、見終わった後、心に引っかかったことは多い。作られたのはコロナ前だが、街を跋扈するスーパーマウスはコロナのことだと思える。登場人物も皆切なく、日本の片隅に行けば、どこにもいそうな人々だ。アーサーがトーマスの実子であるかどうかは、映画を観ているときに、直観的にそうだと思った。長男はAで、次男ブルースはBだと。映画を観たあと、アーサーという名前を調べてみると、アーサー王伝説に行き当たった。アーサー王は、先代王の隠し子だという設定で、なるほど欧米人には、アーサーという名前が権力者の隠し子であることが暗示されるのかと思った。だとすると、そうとは知らずに母を殺したアーサーが余計に哀れだ。タクシードライバーが出世作であるデニーロが、あの役を演じようと思った心情も興味深いと思った。
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これからもジョーカー2などにバットマンが登場したりしてジョーカー対バットマンみたいになって面白そう‼︎‼︎ワクワクします‼︎
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×ソゴミによる政治テロ、安倍元総理の謀殺がなければ、
今でも「わー楽しいなぁ」などと無責任に観られたんですけどね
音楽と共に鼓動が跳ねる引き込まれ様は、素晴らしかった。主人公(アーサー)の画像が大半を占める映像なのに飽きることなく、少しずつ壊れていく様子が表情や雰囲気からきちんと伝わってくる演技も見ものだ。
何においても救いがなく、思春期ならば共感から抜けられなくなるのでは?と思ってしまった。
ストーリーとしては胸くそ悪!と思う方も居るだろう…正しくは無いんだろうが、一応アーサーは救われていると思う。