健さんの紹介:2016年日本映画。昭和を代表する映画俳優、高倉健。親交のあった関係者の話とともに貴重な映像を交えながら知られざる高倉健の素顔に迫ったドキュメンタリー映画です。第40回モントリオール世界映画祭ワールドドキュメンタリー部門にて最優秀作品賞を受賞しました。
監督:日比遊一 出演者:高倉健、邱林、川本三郎、降旗康男、山田洋次、八名信夫、梅宮辰夫、中野良子、ユ・オソン、ジョン・ウー、マーティン・スコセッシ、ヤン・デ・ボン、マイケル・ダグラス、中井貴一(語り)、ほか
映画「健さん」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「健さん」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
健さんの予告編 動画
映画「健さん」解説
この解説記事には映画「健さん」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
健さんのネタバレあらすじ:起
2014年に逝去した昭和を代表する映画俳優高倉健、愛称健さん。彼の足跡を辿ろうと一人の俳優が日本にやってきました。映画「単騎、千里を走る。」に出演した中国人俳優邱林は健さんについてあれほど謙虚な俳優に出会ったことはないと振り返ります。世界的スターにもかかわらず、偉ぶったところがなく、誰に対しても対等に接するその姿に邱林は尊敬の念を抱きました。雲南州麗江で撮影を終えた時、健さんは寂しがる邱林に対して、別れを惜しむことはない、一緒に仕事をして楽しい思い出を作れたじゃないかと励ましたと言います。邱林は10年前に健さんから貰った服に身を包み、日本を歩きます。KENは戦後の日本を象徴する二枚目スターだと語るのは異色任侠映画「ザ・ヤクザ」のシナリオを執筆したポール・シュナイダーです。シュナイダーの影響を受けたというマーティン・スコセッシ、ヤン・デ・ボン、ジョン・ウーなど錚々たる映画監督も健さんのファンを自負します。
健さんのネタバレあらすじ:承
映画評論家の川本三郎は健さんの魅力について青年、侍、そしてアウトサイダーの部分、三つを兼ねそろえた非常に稀な映画俳優だと分析します。数多くの任侠映画で人気を博した健さん。その任侠映画のピークは高度成長に沸く東京オリンピック前後にやってきました。豊かさを求める時代になりつつも義理や人情を重視する任侠映画が人々を熱狂させていきます。任侠映画の面白さは時代に逆行しているところにありました。俳優山下義明は東映撮影所での健さんの様子を常に妖気が漂い、圧倒的なオーラがあったと振り返ります。さらに健さんは朝が弱く、毎朝遅刻してきたという意外な素顔も明かします。写真家今津勝幸は仁王像のような佇まいがある俳優だったと懐かしみます。どんな角度から撮っても様になる男、それが健さんの俳優としての魅力でもありました。数々の映画でタッグを組んだ映画監督降旗康男は健さんが一番怖い批評家であったとも語ります。素顔の高倉健、本名小田剛一としての私生活の転機は1959年2月に歌手の江利チエミと結婚したことです。しかし幸福な暮らしは長くは続かず1970年に自宅が全焼、その後江利チエミとも離婚します。チエミの姉が巨額の借金を抱えたことで迷惑が及ばないようチエミから離婚を申し出たと言います。チエミの葬儀の日は二人の結婚記念日であり、健さんの誕生日でもありました。健さんは自分が行くと迷惑がかかるからと葬儀には出席せず、裏からそっとお参りをしたといいます。
健さんのネタバレあらすじ:転
健さんは46歳にして東映と決別します。任侠映画以外への出演が少なかった健さんが新たな映画に取り組みます。前科者が愛する妻のもとへと向かう姿を描いたロードムービー「幸福の黄色いハンカチ」。この映画における演技が高く評価され、数々の国内の映画賞を受賞しました。映画監督の山田洋次は健さんについて日本人が憧れる典型を身をもって表現し続けた俳優だと懐古します。管理社会に属さずじっと色々なことに耐え忍ぶ、その姿に日本人の多くが共感をしました。映画「ブラックレイン」で共演したマイケル・ダグラスは出演するまで高倉健という俳優について知らなかったと言います。長い撮影期間を共に過ごしたダグラスはどんな時でも健さんの芝居がぶれないこと、常に凛としているところ、謙虚で慎み深いところにも感服したと振り返ります。ブラック・レインで撮影監督を務めたヤン・デ・ボンはロサンゼルスの自宅に健さんを招くなど公私にわたって親交を深めていた仲でした。ヤン・デ・ボンは健さんを世界でトップの役者であると断言、少ないセリフでも役を的確に表現する演技力を持っていたと絶賛します。実妹森敏子は健さんの子供時代について語ります。小学生の頃冷たい川に飛び込み、肺を悪くして母タカノを大変心配させたという健さん、母は息子が映画俳優となった後も過酷な撮影で身体を壊さないかといつも心配していたと言います。1989年母タカノが亡くなった時、健さんはいつまでも母のそばを離れようとしませんでした。母タカノは生前私の息子は日本一の息子だと誇らしげな顔で語っていたと言います。
健さんの結末
漫然と生きるのではなく、一生懸命な男を演じたいと健さんは言いました。健さんに憧れ続けたジョン・ウーはジョン・トラボルタやトム・クルーズといった大物俳優に対する演技指導でも健さんのようにしなやかで優雅で自信に満ちた動きを求め続けてきたことを明かします。ジョン・ウーは中国で大ヒットした映画「君よ憤怒の河を渉れ」のリメイクに挑戦することになりました。マーティン・スコセッシは映画「沈黙 -サイレンス-」において健さんに出演のオファーをしましたが、結局出演は叶いませんでした。健さんは冬の松を意味する「寒青」という言葉を好み、愛用の時計にも刻んでいたといいます。凍てつく冬の風雪の中で青々と生きている松、冬の松のように青々と人を愛し、信じ、楽しませる。そういう松のように生きられたらという健さんの願いが込められています。邱林は一期一会の言葉の大切さを実感していました。妹敏子は遠くから訪ねてきた邱林を温かく出迎えます。最後は高倉健に魅了された人々が「健さん」と名前を呼びかけるところで物語は幕を閉じます。
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