利休にたずねよの紹介:2013年日本映画。山本兼一の第140回直木三十五賞受賞の千利休の生涯を描いた歴史小説を原作とした時代劇映画。キャッチコピーは「この男、歴史を狂わす」で、十一代目・市川海老蔵が19歳から69歳までの主役・千利休を演じています。千利休の師匠・武野紹鴎役には、海老蔵の実父である十二代目・市川團十郎が特別出演していますが、團十郎が2013年2月に死去したため、最後の親子共演作となりました。
監督:田中光敏 出演:市川海老蔵(千利休)、中谷美紀(宗恩)、伊勢谷友介(織田信長)、大森南朋(豊臣秀吉)、市川團十郎(武野紹鴎)、ほか
映画「利休にたずねよ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「利休にたずねよ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
利休にたずねよの予告編 動画
映画「利休にたずねよ」解説
この解説記事には映画「利休にたずねよ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:1.プロローグ:利休、切腹の朝
大嵐の中、千利休の屋敷は豊臣秀吉の3000の兵士に囲まれていました。利休は縁側で白装束を身にまとい静かに座っていました。そこに妻・宗恩が灯りを持ってきましたが、利休は灯りを消すように言いました。利休は一服の茶に己の全てを捧げてきました。利休は「天下を動かしているのは、武力と銭金だけではない」と呟きました。利休は秀吉に対して命乞いもせず、「私が額突くものは、美しいものだけでございます」と答えました。それに秀吉は憤ったのでした。そして、利休には妻以外に、ずっと昔から想い人がいたのでした。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:2.利休、切腹、21年前
織田信長が天下を手中に収めようとしていたときのことでした。まだ豊臣秀吉が木下籐吉郎で、信長の足軽に紛れ込もうとしていたときのことでした。信長は、鷹狩りから城に帰ると、茶頭たちからの茶器に価値をつけ、買いあさっていました。夕暮れ間近、そこへまだ堺の三茶人の1人であった宗易(後の千利休)が一つの黒漆塗りの硯箱を持って来ました。宗易は、その硯箱を縁側に置き、裏返した硯箱の蓋に水を注ぎました。それを見た信長は宗易に袋に入っていた金をすべて与えました。側にいた籐吉郎がそれを覗いて見ると、金箔と螺鈿で飾られた花びらと波模様の間に天空の月が水に映り、真に美しい景色を生み出していました。ある春の日、宗易は高弟・山上宗二を伴い、ある屋敷で茶会を開きました。利休が茶を点て、客人に差し出し、客人が茶を飲もうとすると、そこに桜の花びらが一枚、舞い落ちてきました。客人が天井を見ると、そこには満開の八重桜の枝が飾ってありました。屋敷に戻った宗易は高弟・山上宗二に「茶は人の心にかなうのが大事」と諭しました。宗易は妻が飾った生け花にも美を見いだし、夜ともなると、透かした二羽の小鳥の紙を使った灯りで、掛け軸の花の枝の絵にそれを当て、まるで二羽の小鳥が掛け軸の花の間を飛んでいるかのような様子に「おもしろい」と言い、そこにも美を見いだしていました。妻・宗恩は自分のような者が宗易の妻でよいのかと尋ねると、宗易は「妻とすべきおなごは、そなたしかおらん」と静かにはっきりと言いました。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:3.利休、切腹、12年前
宗易は信長の茶頭として仕えていました。信長は安土城を造り、その一つの部屋に海外の宣教師が献上品を持って来ました。そこには一輪の花の蕾が花瓶に入れて生けてありました。宣教師は出世した籐吉郎に案内され、信長との茶の席に行きました。初めて来た宣教師は小屋を見て「まるでアヒル小屋だ。また不味いものを飲み、ガラクタを見せられるのか」と何度も来ている宣教師に言うと、彼は「あの男に会えば、考えが変わります」と答え、案内しました。宗易は宣教師に一服の茶を点てました。初めて来た宣教師はその茶の美味さに驚きました。すると信長は小さな茶壺を指し、宣教師に「これにいくら出す?」と問いました。宣教師は「その小壺に大金を払うヨーロッパの人間はいない」と答えました。すると宗易は「その者は正直者でございましょう。それはただの土くれを捏ねて焼いたものですから」と言いました。宣教師は宗易に「では価値はどこに?」と尋ねると、宗易は「あの蕾をどうご覧になりましたか?命の芽吹き。一服の茶で心が浮き立ち、蔵の土の壁でさえ、輝いて見える。それを見いだせる者しか、分からないことがございます」と答えました。すると信長は「その見いだした価値を誰が決める?」と宗易に問うと、宗易は「美は私が決めること。私が選んだ品に伝説が生まれます」と答えました。信長はそれを聞き、控えていた籐吉郎に宣教師からの献上品を全て持ち帰らせるように指示しました。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:4.利休、切腹、10年前
ある日、羽柴秀吉(木下籐吉郎)は主君・信長から怒りをかい、打ち首まで追い詰められていました。秀吉は死ぬ前に一度、宗易の茶を味わいたいと宗易のもとにやってきました。宗易の茶室には「閑」という文字の掛け軸が飾られていました。しばらくすると、宗易が一つの椀物を持って秀吉に差し上げました。それは稗の粥でした。宗易は懐から竹の皮で包んだものを差し出し、「お取り上げを」と言い、その場を離れました。秀吉が竹の皮を開くと梅干しが一つでてきました。秀吉は梅干しをひとかじりし、梅干しを粥の中に入れると、一心不乱にその粥をかき込むように食べ尽くしました。宗易が茶室に戻ると、秀吉は昔、自分が百姓だった頃の話しを涙しながら語りました。それを聞いた宗易は「閑かな心でおいでなさいませ」と秀吉に優しく語りました。秀吉は掛け軸の「閑」を再び見ました。宗易は秀吉に「すべての重荷を一度、降ろされたらよろしいのです。今、生きている喜びを、この一服の茶で味わいなさいませ」と言い、秀吉に茶を差し出しました。宗易は「おとりなし、私からもしてみますゆえ」と秀吉に言うと、秀吉は「ありがたきお言葉」と頭を下げました。ある日、宗易はある瓦職人・長次郎に茶碗を焼いてもらうように頼みに行きました。その茶碗は独特の形のものでした。ある雨の日、娘・おさんが父・宗易を探して、母・宗恩のもとに来ました。その日、ムクゲの花が咲いていました。宗易はムクゲの花が咲く頃、いつも姿を消してしまっていました。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:5.利休、切腹、9年前
この年、本能寺の変で信長が落命しました。その葬儀を取り仕切ったのは、当時、一番の出世頭であった豊臣秀吉でした。秀吉は天下統一を目前にしていました。あとは柴田を倒すのみといったところまできていました。その時、宗易から天王山の新しい茶室の名前の許しを請う文が来ました。その茶室の名は「待庵」でした。秀吉はそれを見て「勝ちに焦る我が心が手に取るように見えるか…」とヒントをもらい、「雪が降れば柴田は越前から出て来れまい。さすれば、その時が天下への時」と家臣を一つにまとめました。新たな茶室「待庵」に最初の客人は、妻・宗恩でした。そこは、にじり口から入ると、正面に床があり、二畳ほど広さで、壁は黒ずんだ荒壁で、平天井の竿縁は竹で仕上げてありました。宗恩は宗易に、「こちらに座っていると、なんだか子供時分に戻ったような心地になりますね」と素直に感じたままを答えました。冬が来て、雪が降り出した頃、秀吉は柴田軍を降伏させ、天下人へとなりました。利休は待庵で懐にいつも大事に収めていた緑釉の香合を出し、それを客人に見立て、一服の茶を点てました。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:6.利休、切腹、6年前
この年、豊臣秀吉は関白となり、遊興にふけっていました。宗易は「利休」と改めることになりました。その名は、大徳寺の和尚・古渓宗陳によれば「“利”は鋭い刃物、その鋭さも程々にせよという教えを込めて、“利”を“休”め」という意味が含まれていました。古渓宗陳は北政所に「今のままでは、才ある者から疎まれることに」と利休を案じました。彼の案じた通り、他の茶人からは陰で利休への苦言が飛び交っていました。秀吉は利休に黄金の茶室をつくらせました。そして、そこで御門を招いて秀吉、自ら茶を点て、献上し、「良き茶であった」という言葉をいただきました。しかし、秀吉はその茶室の裏で利休が茶を点てる影を見ながら茶を点てたのでした。茶の献上が終わった後、秀吉は利休に「どうして御門までも人は茶に夢中になるであろうか」と問うと、利休は「それは茶が人を殺すからでございましょう。…人を殺してもなお、手にしたいだけの美しさがございます」と答えました。秀吉は、利休が懐にいつも大事に持っている緑釉の香合は、非常に高価なものだろうと言いました。利休は「私に茶を教えてくださった方から戴いたものでございます」と答えました。秀吉は「女人であろう。…わしのもとへ連れてこい!」と言い、去っていきました。ある日、利休の集めた器を収めている蔵の中で、妻・宗恩と高弟・山上宗二が茶会の準備のために、器を選んでいました。山上宗二は器を見て「世の中が美しいもので動いているのでございます。ですが、美しいものは、恐ろしい。お師匠さんの側近くにいるので、私にはよくわかるのでございます」とこぼしました。利休は瓦職人・長次郎のところにいました。長次郎は利休の図面通りに作ったのですが、利休はその出来上がったものに納得がいっていませんでした。長次郎は懐からあの緑釉の香合を出し、掌で握っていました。長次郎は「高麗の壺か。握ってもええか」と言うと、利休は小壺を長次郎に握らせました。長次郎は「こういうことか。しっくりと掌に馴染む」と呟きました。すると利休は小壺のふたを開け、中身を見せました。その中には女性の爪が入っていました。利休は長次郎に「この白い指が持って、なお毅然と揺るぎのない器をつくっていただきたいのです」と頼みました。利休の高弟・山上宗二がひとり、旅立ちました。大阪城では、石田三成が秀吉に、「大名たちの中には細川忠興はじめ、利休の弟子と堂々と名乗る者も出ており、天下統一が早まるのは利休のお陰ともてはやしてございます。利休が大きな力を持つ前に潰しておかねば」と進言していました。秀吉は「まだまだ欲しいものがたくさんある。利休にはまだいてもらわねば」と答えました。秀吉は朝鮮(高麗)出兵を考えていました。しかし、利休はそれに異を唱えました。ある日、秀吉は京都の北野天満宮の境内と松原で、一般庶民も参加しての大規模な茶会を開きました。その茶会には京都だけではなく各地からも大勢の人々が参加しました。千利休の野点のところには、特に大勢の人々が集まっていました。秀吉は大笑いしながら、利休に茶を点てるように言いました。利休は秀吉のために茶を点て始めました。秀吉は利休に「朝鮮への出兵の件じゃが、反対しておるらしいの。そうであれば、わしは切らねばならぬぞ。…おぬしはそんなに死にたいか」と利休に言うと、集まっていた人々に「笑え!」と命じました。集まっていた人々は秀吉の命に背くわけにもいかず、笑い出しました。人々の笑い声の中、利休は閑かに無言で茶を一服、点てました。北条攻めに来た豊臣秀吉の陣に、利休の高弟・山上宗二が、利休を訪ねてきました。山上宗二は、利休からもらった高麗の茶碗一つを道具として精進してきたと、利休に告げました。山上宗二は利休の茶の湯を、「益々、強引になられましたな。型破りで天衣無縫、ただの竹やかごを名物なみに扱うのは、言ってみれば、山を谷、西を東と言いくるめられるのと同じこと」と表現しました。その時、秀吉から利休に茶を点てよとの命が来ました。また、その席で弟子から挨拶をさせるようにとのことでした。そして、秀吉の前で高弟・山上宗二は丁重に挨拶し、「ただの茶人でございますれば、敵も味方もございません。…数々の無礼の段、平にお許しいただきとう存じます」と頭を下げ言いました。すると秀吉は山上宗二の宝としていた茶碗を、「つまらぬ茶碗だな」と言い、放り投げました。山上宗二は憤り、茶碗を持ち、その場を去ろうとしました。利休は涙を目にためながら、庭の砂に頭をすりつけて、山上宗二を助けるため、秀吉に許しを請いました。しかし、秀吉は許さず、山上宗二を斬り殺しました。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:7.利休、切腹の年
石田三成は、大徳寺の三門(金毛閣)に利休の木造が飾られているのを確かめに来ました。光成は「股の下をくぐれということかな」と大徳寺住持の古渓宗陳に尋ねると、住持は「めっそうもございません。それに関白様からはお許しを」と答えましたが、光成は「追って沙汰を下す。京よりの追放は免れぬと思え」と住職に言い渡し、出ていきました。その数日後、古渓宗陳は京から追放の命を受けました。古渓宗陳が旅立つとき、見送りに来た細川忠興は「最近では目に見えて疎んじられておられます。このままでは利休殿のお立場が…」と相談すると、古渓宗陳は「人の世では三毒の炎が燃えさかっていると申します。貪欲、瞋恚、愚癡。…秀吉様の毒は、たぶん“貪り”と見ております。…いよいよ気をつけねば、利休殿の全てを食い尽くしましょう」と語り、京を去りました。その後、秀吉は利休の娘・おさんを側室にする旨を伝えてきました。しかし、妻・宗恩はそれを断りました。ある雪の降る寒い日、炭を利休がのこぎりで切っていると、おさんがやって来ました。おさんは父のその様子を見て、子供の頃の竹藪の中での楽しかったときのことを思い出しました。宗恩が降り積もる雪に残る娘・おさんの足跡を追うと、炭小屋の中でおさんが首を吊って死んでいました。利休は涙を流し悲しみました。茶室で利休が茶を点てていると、「棺桶がまいりました」と宗恩が知らせに来ました。宗恩は茶碗を見て「ようやく、できたのですね。あなた様が思い描くお茶碗が」と呟きました。宗恩はおさんも楽しみにしていたことを思い、涙しました。利休は茶を宗恩に差し出し、「そなたへの茶だ。悲しみにばかり遭わせ、すまん」と閑かに語りかけました。秀吉は、三門の利休像は張り付けにし、民衆の前で燃やしました。そして、秀吉は利休に蟄居を命じました。秀吉は、利休が常に大事に持っている緑釉の香合を出せば全て許すと命じてきました。しかし、利休は「私が額突くものは、美しいものだけでございます」と答えました。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:8.若かりし頃の利休
利休は胸に秘めていたかつての想い出に思いをはせました。19歳の頃、利休は遊び人で、日々色街に通い、遊びほうけていました。利休はいきつけの遊郭の女将・たえに「今の流行は“わび茶”よ。…俺はこれを持って弟子にしてもらう」と言い、自作の竹でつくった茶杓を自慢げに持ち歩いていました。利休は、「そんな竹のへらがかい?」というたえに、「美しい茶杓になる。俺には分かる」と言っていました。そんなある日の夜、蔵にある女が連れ込まれてきました。翌日、利休は自作の竹でつくった茶杓を茶人・武野紹鴎に差し出し、弟子入れを申し出ました。そして、利休は彼女の素性を武野紹鴎に問いました。彼女は高麗のある王朝の娘で、さらわれ、売りとばされてきた、国王への貢ぎ物でした。武野紹鴎は何も食べないその女に困っていました。そこで利休はその女の世話をすることになりました。利休は、琉球から雇われた料理人から、料理や言葉の手ほどきを受け、彼女に食事を摂らせることに成功しました。それから利休は、彼女の世話をするうちに、彼女の美しく、そして気高い姿に魅了されていきました。ある日、彼女は懐から緑釉の香合を取り出し、利休に見せました。彼女は母国語で何か呟きましたが、利休には分かりませんでした。そこに現れた武野紹鴎は「美しいという意味であろう」と教えました。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:9.利休の駆け落ち
明後日に彼女を献上品として運ぶことを耳にした利休に、琉球から雇われた料理人は「高麗に帰りたいか?」という言葉を教えました。利休はどんなに彼女と気持ちを通じさせようとも、この恋が叶うことはないことは分かっていましたが、利休はその夜、彼女の檻を開け、「高麗に帰りたいか?」と言うと、彼女と駆け落ちをしました。その途中、彼女は庭に咲いていたムクゲの花を一輪とりました。利休の父・千与兵衛は翌朝、武野紹鴎に謝罪に来ました。武野紹鴎は怒ることなく、利休の作った竹の茶杓を見ながら、「おもしろい美しさを見つける」と言いました。利休は追っ手から身を隠しながら、海辺の漁師小屋へ逃げ込みました。彼女は懐から庭で摘んできた一輪のムクゲの花を取り出しました。それは枯れ始めていました。利休は古びた竹筒に水を入れ、そこに、水揚げするようにムクゲの花の枝の先を少し刃物で切り、生けました。その時、二人の元へ、追っ手が迫ってきました。利休は「命に代えて、あの女は渡さない」と自分の首に刃物を当て、追っ手に言い放ちました。追っ手たちは、二人を生け捕りにするため、下がりました。言葉が通じない利休は、彼女に「国に帰るのは難しい、生きたいか?それとも死ぬか?」と書きました。すると彼女は、利休が生けたムクゲの花が生き生きと咲いているのを見て、「ムクゲの花は一日しか咲かない。それでも、今、生きていることに喜びを感じている。人の世は恋々と慕って、死を憂いてもしょうがない」と書いてきました。彼女は死を覚悟していたのでした。利休と彼女は涙しながら抱き合い、心中を決意しました。利休は持ってきた茶道具で茶を点てました。そして、彼女の茶に殺鼠剤の粉を入れ差し出しました。彼女は、利休にある言葉を言い、それを飲み、息絶えました。利休も後を追い心中しようとしましたが、殺鼠剤を入れた茶を飲むことができませんでした。
利休にたずねよのネタバレあらすじ:10.茶人・利休、誕生
大雨の中、町に帰ってきた利休は、死の直前に彼女が言った言葉を、琉球から来た料理人から教えられました。彼女が最期に利休に告げた言葉は、「あなたは生きて」という意味でした。利休は大粒の雨に打たれながら、号泣しました。帰ってきた利休は、師匠・武野紹鴎に謝罪しました。武野紹鴎は利休に「あの女の命など、…名物の茶碗にとても足りん。…そなたの美に対する執念。まさしく茶人と言ってよかろう」と言いました。そして、武野紹鴎は新しい茶室に利休を招き入れ、床の間に飾っている一つ花瓶を見て「床がいまひとつ満足しておらん」と言うと、利休は花瓶の右の取っ手を欠けさせ、その破片もそのままにしました。その床の間を見た武野紹鴎は満足しました。武野紹鴎は利休に、高麗の女の躯に小指の先がなかったことを聞くと、利休は「私にも心あたりはございません」と答えました。
利休にたずねよの結末:11.エピローグ:利休を偲ぶ妻・宗恩
利休は、白装束で独り茶室に入り、高麗の女の遺品である緑釉の香合から、彼女の小指の先を、赤く燃える炭の中にいれると、「これでようやく、お傍に…」と呟きました。そして、自らの茶を点て、飲み干しました。見届け役は茶室が狭いため、介錯ができませんでした。利休は潔く自刃しました。利休が切腹した後、妻・宗恩は涙を流しながら、利休が大事にしていた緑釉の香合を投げ壊そうとしましたが、できませんでした。宗恩はひとり、利休の茶室で茶を点てながら、「格子のついた窓。小さな炉。柱も天井も、壁土で塗り込めた床。人が腰を屈めなければ入れない程の躙り口。すべては美しいもの。出会いが生み出した、我が夫・利休が追い求めた究極の茶の席。最後に私がお尋ねしたかったのは…」と利休に思いをはせました。
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