ピアニストの紹介:2001年フランス,オーストリア映画。見るものに衝撃を与える鬼才ミヒャエル・ハネケが手がける音楽だけに邁進してきたピアノ教師の内に秘めた歪んだ愛の形を描いています。2001年カンヌ国際映画祭で審査員グランプリと男優賞、女優賞を同時に受賞しました。
監督:ミヒャエル・ハネケ 出演者:イザベル・ユペール(エリカ)、ブノワ・マジメル(ワルター)、アニー・ジラルド(エリカの母)、アンナ・シガレヴィッチ、スザンヌ・ロタールほか
映画「ピアニスト」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ピアニスト」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ピアニスト」解説
この解説記事には映画「ピアニスト」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ピアニストのネタバレあらすじ:起
エリカ(イザベル・ユペール)はウィーン国立音楽院でピアノの教師をしています。抑圧的な母親(アニー・ジラルド)のせいかエリカは39歳になった今でも男性と関係をもった事がありません。仕事終わりにポルノショップの試写室で使用済みのティッシュの臭いを嗅いでみたり、パーキングで行為中のカップルを覗き見して、自らは放尿するなど、歪んだ性癖を持っているエリカでした。それ以外はいたって真面目に生きてきたエリカなのです。
そんなエリカの前にハンサムな上流階級の青年ワルター(ブノワ・マジメル)が現れます。ある日ワルターはエリカが演奏するのを見て好意を抱きます。彼との出会いがエリカを少しずつ変えていくのでした。
ピアニストのネタバレあらすじ:承
エリカと関わりを持ちたいワルターはエリカに会うために音楽院を受験し、見事合格します。入学してからワルターはエリカに猛アピールを開始しますが、エリカは至って冷淡な態度をとり続けます。
エリカの教え子のオーディションの日、緊張している彼女の隣にワルターが座り談笑しているのを目撃したエリカは、今まで感じたことのない嫉妬心に駆られ、女子生徒のコートの中にガラス片を入れ、女子生徒が怪我をして泣き叫んで大騒ぎの中、エリカはトイレに逃げ込みます。
エリカを追いかけてきたワルターは部屋に入るとエリカを抱き締めます。キスを受け入れたエリカでしたが、ワルターが自分に触れる事を許さず、口と手で行為を始めました。そこでは果てる事が出来なかったワルターでしたが、すっかりエリカを射止めたものと思い「次はうまくやれる」と言って前向きに捉えるようになります。
ピアニストのネタバレあらすじ:転
個人レッスンの場でワルターは今後の二人について話し出しますが、エリカはただ手紙を渡すだけでした。しかし手紙を読まずにエリカの自宅に押し掛けたワルター。エリカは母親を遠ざけて自室に閉じ籠ります。そこでワルターに手紙を読むように指示しました。そこには顔を殴れだとか、縛り上げて壁一枚隔てた場所に放置しろ等、マゾヒズム的なルールが書かれていて幻滅したワルターは、エリカに侮辱の言葉をぶつけ出ていきます。
母親から男を家に連れ込んだ事を非難されたエリカは母親を押さえつけてキスします。拒絶した母親を見てエリカは嗚咽をもらし泣き出すのでした。
それ以来、エリカは焦ったようにワルターを求めるようになり、彼が練習するアイスホッケー場に向かい、手紙の件を謝罪し、ワルターに奉仕しようとしますが失敗に終わり、さらにはワルターに幻滅されてしまうのです。
ピアニストの結末
ある夜、エリカの家にやってきたワルターは母親を部屋に閉じ込め、エリカを殴り付けて犯していきます。手紙のとおりエリカの望んだシチュエーションでしたが、思っていたのとは全く違う現実にエリカはただ泣くばかりでした。
翌日、顔を腫らせたままエリカはナイフをバッグに忍ばせて、怪我をした女子生徒の代理で演奏するコンサート会場に向かいます。次々と集まる観客の中、ワルターを探すエリカ。ようやく見つけたワルターは昨夜の事は何もなかったかのようにいつも通り、爽やかな笑顔でエリカに挨拶をして会場に入っていきます。それを見送ったエリカは、持ってきたナイフを取り出し、自らの左胸を突き刺して全てを投げ棄て、会場を出ていきました。
以上、映画「ピアニスト」のあらすじと結末でした。
このミヒャエル・ハネケ監督の「ピアニスト」は、女性の心の闇を鮮烈に描き、2001年カンヌ国際映画祭でグランプリ、主演女優賞、主演男優賞を受賞した秀作だ。
音楽の世界は非情だ。実力の差がはっきり出てしまう。
音楽を志す者は、小さい頃に社会から隔離され、すべてを犠牲にして努力する。
しかし、栄光を獲得できるのは、ほんの一握り。
途中で挫折した者は、犠牲のツケを払わされることになる。
この映画の主人公エリカ(イザベル・ユペール)も、そんな犠牲者の一人だ。
幼い頃からピアニストになるために教育を受け、恋人も作ることも許されずに生きてきたのだ。
エリカは、名門ウィーン国立音楽院のピアノ科の教授になった今も、まだ性体験がなく、母親の監視下で社会との関係を断ったような日々を送っている。
そんなエリカの前に、才能あふれるワルター(ブノワ・マジメル)が現われ、エリカに愛を求める。
ところが、エリカはワルターに特異な性的要求をする。彼女はマゾヒストだった——-。
エリカはどんな時も、あごをツンと上げ、人を見下す表情を崩さない。
容赦ない罵倒の言葉を生徒に投げつける。時には、生徒の指をガラスで傷つける。
彼女は日常生活ではサディストだ。
その裏には、挫折者の悲哀が渦巻いている。
そういう人物が性的には真逆の志向を持つことは、現実にもよくあることだ。
しかし、実は彼女はマゾヒストにはなれていない。
マゾヒズムは、人間の暴力的な衝動を知性でコントロールしようという装置だと思う。
社会性を逸脱しても快楽を得られるサディズムとは、表裏一体でありながら、知的次元が違うのだ。
ところが、社会性の欠けたエリカにはそれが分からない。
ワルターに一方的に手紙を送り、サディスティックな行為を細かく強要する。
戸惑うワルターは、衝動の赴くままに彼女を殴る。
それは、もはやマゾヒズムではない。この時、彼の絞り出した言葉が、この映画のテーマだ。
「ルールは二人で考えるものだよ、先生」。
エリカは、ずっと望んでいたマゾヒストにもなれずに人生をさまよっている。
彼女が、救われる日は恐らく来ないだろう。
死ぬまでツケを払い続けるのだ。
こんなにも哀しいヒロインは、ちょっと見たことがない。