荒野の用心棒の紹介:1964年イタリア,スペイン,西ドイツ映画。黒澤明監督の『用心棒』を非公式にリメイクしたマカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)の先駆けとなった作品で、『用心棒』の権利を持つ東宝と法廷闘争に見舞われた曰く付きの作品です。アメリカとメキシコの国境沿いの小さな町を舞台に、クリント・イーストウッド演じる流れ者のガンマンが町の勢力争いに飛び込んでいく姿を描きます。
監督:セルジオ・レオーネ 出演者:クリント・イーストウッド(ジョー(名無しの男))、ジャン・マリア・ヴォロンテ(ラモン・ロホス)、マリアンネ・コッホ(マリソル)、ホセ・カルヴォ(シルバニト)、ヨゼフ・エッガー(ピリペロ)ほか
映画「荒野の用心棒」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「荒野の用心棒」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
荒野の用心棒の予告編 動画
映画「荒野の用心棒」解説
この解説記事には映画「荒野の用心棒」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
荒野の用心棒のネタバレあらすじ:起
アメリカとメキシコとの国境沿いにある小さな町サン・ミゲル。ある日、この荒野の町に、一人の名無しの男(クリント・イーストウッド)が現れました。名無しの男は親しくなった酒場の店主のシルバニト(ホセ・カルヴォ)から“ジョー”というあだ名をもらいました。
ジョーはシルバニトから、この町ではこの町がドン・ミゲル・ベニート・ロホス(アントニオ・プリエート)とジョン・バクスター保安官(ウォルフガング・ルスキー)の二大勢力が町の覇権を巡って抗争を繰り広げており、住民も怯え、儲かるのは棺桶屋のピリペロ(ヨゼフ・エッガー)くらいなものだと聞かされました。ジョーは自分を侮辱したバクスターの手下4人をピストルの早撃ちで仕留め、100ドルの報酬でミゲルの手下になりました。
荒野の用心棒のネタバレあらすじ:承
そんなある日、ミゲルの息子にしてライフルの名手であるラモン(ジャン・マリア・ヴォロンテ)がこの町に舞い戻ってきました。ラモンはバクスター一味に停戦を呼びかけ、自分の役目は終わったと感じたジョーはミゲルの元を去り、シルバニトの家の2階に居候することにしました。その後、ジョーとシルバニトは、メキシコとの国境沿いの川でラモン一味がアメリカ軍の騎兵隊を機関銃で皆殺しにし、あたかもメキシコ軍の仕業かのように装って金を奪い取る場面に遭遇しました。かねてから二大勢力の殲滅を考えていたジョーとシルバニトは一計を案じ、ラモン一味が殺した騎兵隊兵士の死体を墓標に立てかけてあたかも生きているかのように装い、バクスター側にラモン一味の所業を告げて両者の対立を煽りました。
荒野の用心棒のネタバレあらすじ:転
やがてジョーらの狙い通り、ラモン一味とバクスター側は銃撃戦に発展しました。ジョーはその間にとラモンが騎兵隊から奪った金を探している最中、ラモンの愛人マリソル(マリアンネ・コッホ)が監禁されているのを目撃しました。やがて銃撃戦の最中にバクスターの息子アントニオ(ブルーノ・カロテヌート)を人質に取ったラモンは、マリソルとの人質交換に応じました。 その夜、宴会の席でジョーは酔っ払ったふりをしてラモンの手下を射殺、マリソルを逃がしてやりましたが、ラモンに見つかって捕らえられ、凄惨なリンチを受けたジョーは利き腕の左腕をこっ酷く痛めつけられました。決してマリソルの行方について口を割らなかったジョーは命からがら脱出、ピリペロに匿われました。ジョーはピリペロが調達してくれた拳銃で、右腕での早撃ちの特訓を開始しました。
荒野の用心棒の結末
ジョーの脱走に気付いたラモンはバクスター一味の仕業だと思い込み、バクスターの家に殴り込んで彼を抹殺しました。ラモンはミゲルとともにシルバニトを捕え、ジョーを誘き寄せるために町の真ん中でリンチを加えました。そこにジョーが現れ、ラモンはジョーを銃撃しましたが、ジョーは胸に鉄板を仕込んでおり平然としていました。動揺するラモンをジョーは射殺、背後からジョーを狙ったミゲルもシルバニトが射殺しました。町にようやく平和が訪れ、ジョーは静かに町を去っていきました。
“マカロニ・ウエスタンというジャンルの元祖となったセルジオ・レオーネ監督の傑作で、クリント・イーストウッドの出世作ともなった作品「荒野の用心棒」”
この映画「荒野の用心棒」は、公開当時、黒澤明監督の「用心棒」の無断流用問題を起こした事で歴史的に有名なイタリア製西部劇、通称、淀川長治さん命名の”マカロニ・ウエスタン”(海外ではスパゲッティ・ウエスタン)の傑作です。
確かに観てみると、どこからどこまで全てと言っていい程、黒澤作品にそっくりで、その厚かましさが結果的に、この映画を面白く作り上げており、同じ黒澤オリジナルによるアメリカ映画の「七人の侍」に惚れ込んだユル・ブリンナーが翻訳権を買い取り、舞台をメキシコに移して映画化した西部劇の痛快作「荒野の七人」(ジョン・スタージェス監督)や「羅生門」を西部劇に置き換えポール・ニューマン主演で撮った「暴行」(マーティン・リット監督)等より、よほど筋が通っているような気さえしてくるから不思議です。
それは、黒澤明芸術の風土的な置き換え等は意識せずに、徹底的にストーリーと人物設定の面白さだけを拝借しようという意識が働いているせいかも知れません。
三船敏郎の用心棒を演じるのは、当時、アメリカのTVで「ローハイド」のロディ・エーツ役で出演するも、全く人気のなかったクリント・イーストウッドが乾坤一擲、イタリア製西部劇に活路を見い出して、その後のアメリカへの凱旋帰国をして、ご存じの通り、「ダーティハリー」の大ヒットで一躍アメリカのトップスターに踊り出る事になりました。
徹底的に対立する二つのグループの動きを操って、うまいもうけを狙う、煮ても焼いても喰えない、一匹狼のふてぶてしいキャラクターを、イーストウッドは寡黙なたたずまいの中にうまく表現していると思います。
そして、ひげ面に葉巻をくわえたポンチョ姿のイーストウッドにとっては、大スターへのきっかけを作ったエポック・メイキングな作品として、長く映画史に残る作品になったのです。
黒澤作品に見られる心理的な陰影のある描写は、かなりぼやけていますが、女を逃がしてやるきっかけとして、オリジナル作品にはない子供を使った人情噺に仕立て上げた趣向等はうまいなと感心します。
ただ、酒屋の亭主、棺桶屋、鐘つき等の描写はほとんどオリジナル通りですが、このあたりは残念ながらあっさりとし過ぎていて、コクがないというか、オリジナルには到底及びません。
「用心棒」のすり替えの最大の狙いは、恐らく、何段にも積み重ねられたアクション場面をどう西部劇調に仕立て上げるか、というところにあるのだと思いますが、その点でオリジナルの最後の三船敏郎対仲代達矢の対決への持って行き方を、実にワクワクする程の演出で見せる、セルジオ・レオーネ監督は、やはりただ者ではないなと感じました。
特に、最後の果し合いが、敵方の別宅から街の広場、更に一対一の対決へと三段構えにした盛り上げ方のうまさ、イーストウッドが相手の正確な射撃の狙いを見越して胸に厚い鉄板の防弾チョッキをぶら下げているという趣向等、観ていてうれしくなってきます。
その他にも、この映画には見せ場がたくさん盛り込まれていますが、マカロニ・ウエスタンらしく、本場のアメリカの正統派西部劇とは違って、かなりどぎつい表現で押し通しているのも、ある意味、成功していると思います。
当時の沈滞していたアメリカの西部劇に刺激を与え、映画的な残酷趣味のはったりを効かせたマカロニ・ウエスタンという、一ジャンルを確立させるきっかけを作った作品としても、この映画はエンニオ・モリコーネの一度聴いたら忘れられない哀愁の旋律と共に、映画史に長く残る傑作になったのだと思います。