ブタがいた教室の紹介:2008年日本映画。テレビ放送され話題を呼んだドキュメンタリー、大阪の小学校の新任教師による教育をもとに映画化した感動作。6年2組に1匹のブタがやってきました。2組の生徒たちはブタを育てて最後は食べようと飼い始めますが愛着のわいたペットを簡単に食べることはできず、話し合いが続きます。
監督:前田哲 原作:黒田恭史 出演:妻夫木聡(星先生)、大杉漣(仁科教頭)、田畑智子(池沢先生)、池田成志(小鷲先生)、ピエール瀧(榎木伸哉の父)、原田美枝子(高原校長)、北村匠海(拓実)ほか
映画「ブタがいた教室」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ブタがいた教室」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ブタがいた教室の予告編 動画
映画「ブタがいた教室」解説
この解説記事には映画「ブタがいた教室」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ブタがいた教室のネタバレあらすじ:起
新学期が始まった4月、6年2組の担任・星先生(妻夫木聡)が1匹の子豚を連れてやってきました。クラスのみんなに命の大切さ、食べて生きることの尊さを学んでほしいと考える星先生。1年間クラスで飼い、最後はそのブタを食べようと提案します。生徒たちは毎日世話をして1年間育てることを決めました。
高原校長(原田美枝子)たちはブタを飼うことに難色を示しますが、子供たちは飼うことを楽しみにしており、父兄への報告をおこたらないと星先生は約束。「想像している以上に、ブタを飼うことは大変なこと」と指摘される星先生ですが、やる気満々です。
子供たちはさっそく、ブタを飼うための小屋を作り始めました。クラスメイトが和気あいあいと作業をするのを、横でただ見ているだけの転校生のハナ(甘利はるな)。ハナはなかなかクラスに馴染めずにいました。
次の日、生徒だけで作った小屋を見て驚く星先生。そして校庭でブタを飼うことが決まり、生徒たちは大はしゃぎです。名前を決めようとする生徒たちに、ペットではないブタに名前を付けることを反対する星先生。しかしブタは「Pちゃん」と名づけられ、その様子を見て「先が思いやられる…」と教頭は頭を抱えます。
ブタがいた教室のネタバレあらすじ:承
飼育係を決めて、休みの日も順番にPちゃんの世話をします。給食で余った残飯をもらい、餌やりや小屋を洗うなど、一生懸命にPちゃんを育てる生徒たち。
そんなある日、ついに保護者から苦情が出てしまいます。臭いが服に付く、けがをしたなどの文句を言う保護者。残飯を用意するために、自分が食べずに残す生徒もいて、「ブタを育てて食べることは残酷」と言われてしまいます。そんな保護者に反論する星先生。すると校長が「子供たちと星先生を見守ってほしい」と頭を下げ、その場は何とかおさまりました。
そんなある日、ハナは黙ってPちゃんを学外に連れ出します。しかし「散歩させていた」と、星先生にハナをかばうウソをつく生徒たち。この事がきっかけとなって、ハナはクラスに馴染んでいきました。
ブタがいた教室のネタバレあらすじ:転
夏になり、クラスのみんなでPちゃんと花火をしたりして、ペットのように可愛がる生徒たち。二学期になり、Pちゃんはどんどん大きくなります。Pちゃんを育て始めて半年ほどたった時、星先生はクラスのみんなにPちゃんを「食べる」か「食べない」か、今どう思っているかを問いました。
賛成派、反対派いろいろな意見が出て、喧嘩まではじまります。「ペットとして愛着がわいてきたPちゃんを殺して食べるなんて出来ない」との意見が多くあり、結論は出ませんでした。しかし星野先生は、「食べると言った意見に変わりはない」と述べ、生徒たちは悲しげな表情を浮かべます。
職員室では、星野先生がブタを飼ってくれそうな農場を一件ずつあたりますが、なかなか見つかりません。家に帰ってもPちゃんのことを気にする生徒たち。家族の会話でも、Pちゃんの話題でもちきりです。豪雨で小屋が壊れそうな時は、保護者も手伝い、大切に育てられるPちゃん。クリスマスには、ハナが手作りのマフラーをPちゃんの首に巻いてあげました。
正月、星先生がブタ小屋に行くと、校長がPちゃんのために毛布を用意していました。「自分も子供だったら、ブタを飼育してみたかった」とPちゃんをなでる校長。この頃、星先生は「子供たちに残酷なことをしているのかもしれない」と後悔していました。しかし校長は「生き物と真剣に向き合うことは、残酷なことですか?」と問いかけます。
ブタがいた教室の結末
三学期になり、星先生は職員室でブタを引き継ぎ、育ててくれるクラスを探します。すると生徒たちも、Pちゃんを育ててくれるクラスを探し始めました。すると3年生が引き継ぎたいと、名乗り出てくれました。卒業まで残りわずかというところで、再度話し合いがもたれ、「3年生に引き継ぐ」か「食肉センターにおくる」を泣きながら話し合う生徒たち。話し合いは難航し、全く決まりません。
卒業式まであと三日、もう一度「3年生に引き継ぐ」か「食肉センターにおくる」のどちらかに投票をすることになりました。多数決でちょうど半分にわかれ、最終判断は星先生に委ねられます。
次の日、星先生はクラスのみんなをPちゃんの小屋の前に集めました。そして自分の決断、「食肉センターに送る」ことを告げました。そして引き継いでもらう予定だった3年生に、謝る生徒たち。校庭でPちゃんと一緒に遊んで別れを惜しみました。
卒業式の日、食肉センターのトラックがPちゃんを引き取りに来ました。みんなでPちゃんの大好きなトマトをあげてお別れをし、Pちゃんがトラックで去っていくのを泣きながら追いかけるのでした。
以上、映画「ブタがいた教室」のあらすじと結末でした。
「ブタがいた教室」感想・レビュー
-
相当以前に、映画では無くて、実際にあった出来事としておいて、テレビで観ました。
最後に食肉にする予定があるのなら、名前まで付けて、一緒に遊んだりしたら、情が入ってしまう事を、予測出来ないのですか?
トラウマができるだけだと思いますが。
トラウマを作る事で、命の大切さを学ぶのでしょうか? -
ネコさんいう方の感想、この教育の趣旨が理解されてませんね
非常に考え方が浅い方だと呆れました
というかモノの本質をみれない頭で、理解したつもりになって批判を繰り広げる、あまたいる浅慮集団はこういうのの集まりなんだとよくわかりました
映画の中でも子供の一人が、Pちゃんはダメでそれ以外の豚はいいの?みたいな事を言ってましたが、その言葉だけでもこの教育方法の趣旨がわかると思うんですけどね
わからないなら、その程度の頭だとあきらめてください -
小学生の時にこの映画を学校のクラスで観た。
その時はよくわからなかったが、涙が止まらなかった。
命をいただくことで人間は生きていける。
そのことに感謝をしなければならない。
だから私たちは食べる前にいただきますを伝えている。
決して軽んじてはいけないことを学んだ。 -
泣いた。
-
通りすがりの情報難民さんの感想へ
よっぽど変な経験させない限り、子どもはどんな生き物にだって愛情を持てるのは当たり前です。
そしてそこへ豚を「食べるため」といって持ってきても、普通は家族か友人ような愛情をもつのは必然、
そしてそれを屠殺して食べるというのは明らかに異常ですよ。
本当に命についてしっかり考えてるとはとても思えません。
むしろ愛情があっても食べてもいいなら、この教育をした教師やその家族を屠殺して食べても問題ないという事にもなります。
ホームレスや中東地域の難民、普段の仕事で忙しい日常では、周りから存在を無視・視界から消されてるのが当たり前のように扱われる人間もいます。
どんな生命も人として扱うか、無視するような生き物として扱うかは、つまるところ人が愛情・友情・人情といった情を持って接するかなんです。
人間だから大事、豚だから家畜として情を持つななどという考えは、昔の、黒人は人間の要件を満たしていないから人権はない。
それと変わりません。
詰まるところ、この授業は人種差別の肯定の根幹にもなりかねません。
それと映画では、票が半分に割れたところに先生の1票で「屠殺される」事が決まりましたが、この映画の元となった実話のほうでは、「食べる」という目的を明確にせず飼育を開始され、どうするか決める事になった時、生徒達は最終的に32対0で「下級生に引き継ぐ」事にしましたが先生の1票だけで「屠殺される」事になりました。
生徒達に説明をせず、名前をつけ世話までさせたのを、自分だけの独断で屠殺とは、なんと卑劣で傲慢な事か。
これらの事からもこの教育方法は、思春期前の人間の愛情や倫理観を弄ぶだけの、実に浅慮で残酷、無価値で無責任な実験としか言いようがありません。
これを教育などと言うのはもってのほかです。 -
実話と映画を混同するのはどうかと思います
いくらドキュメンタリーだとしても映画としては半数で割れて星先生に結論を委ねられました
前提として先生は飼育して最終的に食べると宣言されています
それを実話ではどうだった等と語るのは少なくともここでするべきではないのではないでしょうか -
確かに残酷なお話だとは思う。
でもそのために育てて食べるということを先生は宣言していた。情をもつことを理解していたけれど身をもって命の大切さ、食べるという簡単な行為の裏にある背景の重さというのを、考えて理解して欲しかったんだと思う。
人とそれ以外の動物命の重さは変わらない。
でもその人によって必ず大切さは変わってくる。見ず知らずの他人と大好きな人、どちらかが必ず死んでどちらかが助かるってなったら大好きな人を選ぶ人が多いと思う実際は両方大切な命なのに
今の世の中では牛や豚などが殺されて食べられても犯罪にならない。
人を殺したら犯罪になる
本当に平等な世の中になるのは難しいと思う。
でも、だからこそ食べるときに命に感謝し動物の命をいただいているということを忘れたらいけないと思う -
これは感動する。
-
感謝して食べる?それは、間違いです。そもそも、生き物を、食べる事は、人間のわがままです。
人間は、生き物と共存しながら、米と野菜で生きられます。 -
感謝して食べるってのがそもそも自分勝手で傲慢であり食われる側への侮辱だよ
もし自分が食われる側になって感謝とか言われたらどう思うよ?
俺だったら怒りしか湧かないけどな -
食べるために育てるんだからそこに文句言ってもな
こういうのって殺すことばかり批判されるけど、批判するなら産ませるな育てるなというべきだと思うんよ
いい物語だと思いました