エルネスト~もう一人のゲバラ~の紹介:2017年日本,キューバ映画。1960年代、革命家チェ・ゲバラと共に革命に身を投じた日系二世フレディ前村の生涯を、彼の姉弟であるマリー前村ウルタードとエクトル・ソラーレス前村の共著『革命の侍・チェ・ゲバラの下で戦った日系2世フレディ前村の生涯』を基に日本とキューバの合作により映画化した歴史ドラマです。
監督:阪本順治 出演者:オダギリジョー(フレディ前村ウルタード)、永山絢斗(森記者)、ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ(チェ・ゲバラ)、ロベルト・エスピノーサ・セバスコ(フィデル・カストロ)、ルイス・マヌエル・アルバレス・チャルチャバル(グスタボ)、アルマンド・ミゲール(ホセ)、ヤスマニ・ラザロ(アレハンドロ)、ダニエル・ロメーロ・ピルダイン(ハシント)、ジゼル・ロミンチャル(ルイサ)、アレクシス・ディアス・デ・ビジェガス(ホアキン)、ミリアム・アルメダ・ビレラ(タニア)、エンリケ・ブエノ・ロドリゲス(ベラスコ)、田中幸太朗(矢口)、深海哲哉(朝山)ほか
映画「エルネスト」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「エルネスト」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
エルネストの予告編 動画
映画「エルネスト」解説
この解説記事には映画「エルネスト」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
エルネストのネタバレあらすじ:起
1959年7月24日、日本の外務省・中南米課のもとに1本の電話が鳴りました。約半年前にキューバ革命を実現させたチェ・ゲバラ(ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ)率いる使節団が急遽予定を変更して広島へ向かうというのです。
マスコミがほとんど関心を示さないなか、地元の中国新聞社の記者・森(永山絢斗)だけが取材に同行、チェ・ゲバラ一行は平和公園や原爆病院などを視察して回り、改めて原爆の悲惨さを痛感したチェ・ゲバラは「あなた方はアメリカに酷い目に遭わされたのになぜ怒らないのか」と疑問を呈しました。
1962年4月、キューバの首都ハバナには、ボリビアからひとりの日系人・フレディ前村ウルタード(オダギリジョー)がやってきました。祖国に貢献する為に医学を学ぼうと来たフレディはヒロン浜勝利医学校に留学、勉学の合間を縫ってボリビア人留学生やキューバ人学生らと交流を深めていきました。
エルネストのネタバレあらすじ:承
フレディが留学してから5日目、後に“キューバ危機”と呼ばれる事態が発生しました。当時東西冷戦の真っ最中だったアメリカはキューバがソ連の核ミサイルを隠し持っているという疑惑を持ち、キューバにも核戦争の危機が忍び寄っていたのです。
既にボリビア人留学生のまとめ役となっていたフレディ宛に、キューバの最高指導者フィデル・カストロ(ロベルト・エスピノーサ・セバスコ)から指令書がもたらされました。その内容は、学生たちに対しアメリカと戦う意志があるのか問うものでした。フレディは即座に戦いへの参加を希望、仲間たちと共に学業を一時中断して軍事訓練に励むことになりましたが、結局数日で危機は過ぎ去り、フレディは複雑な気持ちを抱えたまま学業に戻ることにしました。やがてフレディはハバナ大学の医学部に進学しました。
エルネストのネタバレあらすじ:転
1963年の元旦。チェ・ゲバラは学校を訪問、生徒らを前に核戦争の悲惨さやアメリカとソ連の身勝手な締結への憤りを語りました。チェ・ゲバラに質問する機会を得たフレディは「あなたの絶対的な自信はどこから来るのですが?」と問いかけたところ、チェ・ゲバラは「自信とかではない。私は常に怒っているんだ。怒りは憎しみとは違う。憎しみから始まる戦いは勝てない」と語り、フレディはチェ・ゲバラの思想に深く共感していきました。
その後、フレディは勉学に励むなかで、男に妊娠させられた挙句捨てられた女友達を助け、教授の助手としてわずかながらも給料を得ました。
1964年11月5日、祖国ボリビアにて軍事クーデターが勃発しました。フレディと仲間たちは祖国の為に奨学金を辞退して帰国することを決意、インターンの資格を得ることで大学側から許可を得ました。フレディは大学に通いながら時折ボリビアに戻り、農村などで困っている人々を診て回りました。
エルネストの結末
祖国の反政府運動に加わる決意を固めたフレディはキューバ政府が募集する革命支援隊に志願、これを機に大学を辞めて軍事訓練に参加することにしました。8ヶ月にも及び過酷な訓練の末、チェ・ゲバラから直接合格通知を与えられたフレディは“エルネスト・メディコ”
1966年10月、フレディは女友達にいつかの再会を約束してキューバを離れ、チェ・ゲバラ率いるゲリラ部隊と共にボリビアへ帰国しました。しかしその9ヶ月後、フレディの所属する部隊はチェ・ゲバラ率いる本隊とはぐれてしまい、近くの住民から教えてもらった安全な浅瀬を渡っている時でした。住民の密告で部隊の動向を知ったボリビア政府軍が襲撃をかけ、フレディを残して全滅してしまいます。唯一生き残ったフレディは捕えられてチェ・ゲバラの居場所を吐くよう拷問を受けますが決して答えることなく、1967年8月31日、フレディは25歳の若さで処刑されました。その年の10月9日、チェ・ゲバラも逮捕されて処刑されました。 キューバ・サンタクララにあるチェ・ゲバラ霊廟には、“エルネスト・メディコ”の名が刻まれたフレディ前村ウルタードの慰霊碑も設けられ、今なお同窓生たちが慰霊に訪れています。
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