FAKEの紹介:2016年日本映画。聴覚障害を抱えながら音楽活動を続け、“現代のベートーベン”との異名と名声を得た自称作曲家の佐村河内守。2014年2月にゴーストライター問題が明るみとなり、その名声も地に墜ちた同氏を2014年9月から2016年1月にかけて取材した衝撃のドキュメンタリー映画です。
監督:森達也 出演者:佐村河内守、佐村河内香、森達也ほか
映画「FAKE フェイク」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「FAKE フェイク」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
FAKEの予告編 動画
映画「FAKE フェイク」解説
この解説記事には映画「FAKE フェイク」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
FAKEのネタバレあらすじ:起
耳に聴覚障害を抱えながらも(自称)作曲家として活躍、“現代のベートーベン”とまで呼ばれた佐村河内守。しかし、2014年2月に世間を騒がせた『ゴーストライター問題』が明るみとなり、その名声もすっかり地に墜ちたものとなりました。森達也監督は横浜市内にある佐村河内守の自宅マンションを訪れ、本人や妻・香の同意のもとドキュメンタリー映画の製作を開始しました。
耳に障害を抱えているとされる守は、香が手話で監督のやり取りを伝えるという形でインタビューに応じました。監督は騒動の当事者である新垣隆や神山典士とは繋がりがないことを前置きしたうえで、佐村河内夫妻が抱える“悲しみ”を撮りたいと申し出ました。
FAKEのネタバレあらすじ:承
佐村河内守は自宅のテレビで、自らが特集されたテレビ番組を観ていました。テレビには、18年間に渡って守のゴーストライターを務めていたと告発した新垣隆の記者会見の様子が映し出されていました。見終わった守に監督は「1分間の制限時間内に言いたいことを言うとすれば何を言うのか」問いかけると、守は「僕は“ゴーストライター”とは言いたくない。“共作”であることを黙っていた問題」であることを強調、自身が負う聴覚問題に関する報道、そして人々がマスコミの誤った報道を鵜呑みにして自身のことを誤解してしまっていることへの悲しみを語りました。守は、監督は守が本当に耳が聞こえないのか試すテストに対しても、脳波の検査結果も提示するなど自身は本当に耳が聞こえないことを主張しました。それでも相手の口の動きから言葉を読み取ることができるようです。
守は、自身の主張がマスコミに捻じ曲げられた要因には、自分に対するマスコミの復讐心が背景にあるのではと感じていました。結果的に世間を騙す恰好となってしまった自分が、今度はマスコミに騙されていると…。守はなぜ新垣が嘘をついて裏切ったのかと不思議でなりませんでした。
ある日、守は9ヶ月ぶりにメディア(フジテレビ)の取材を受けました。守の自宅へ取材に赴いたプロデューザーらスタッフはカメラが回っていることを承知で、守の視点から一連の騒動を語ってもらうことにしました。守はマスコミの報道姿勢を糾弾、新垣の記者会見についても厳しく批判しました。取材が終わると、守は「疲れました…」と愛猫を撫でていました。
後日、フジテレビのスタッフが佐村河内夫妻の自宅を訪れ、この年の大晦日の3時間特番「世界が選ぶ今年の顔アワード!!」(司会・おぎやはぎ、アンジャッシュ)への出演を依頼してきました。ここでも守は新垣の発言を全くの作り話だと発言、番組の出演についてはマスコミへの根強い不信感から難色を示し、最終的にインタビューは放映されることになったものの番組への出演は頑なに断りました。
FAKEのネタバレあらすじ:転
この日、佐村河内夫妻は監督を伴って久しぶりの外出に出ました。タクシーに乗って向かった先は弁護士事務所。守はコンサートなどを取り仕切っていた興行会社から訴訟を起こされており、その対応策のため訪れたのです。弁護士側は、週刊誌などで「佐村河内さんと一緒に謝罪したい」という新垣と話し合い(弁護士を通じて、もしくは本人同士で)の場を持つことを提案しました。自分はゴーストライターであり、守の楽曲は全て自分が作曲したと主張する新垣に対し、弁護士側は守の楽曲は守と新垣の共作であることを確認したうえで、今回の騒動は名誉棄損に値するという認識を示しました。
佐村河内夫妻の住むマンションに設置されている消火器が何者かにいたずらされ、警察官が捜査に来ていました。香によると、消火器のいたずらは数回も発生しているというのです。どうやら愉快犯の仕業のようでした。
ある日、守が出演を断った大晦日のフジテレビの番組に新垣が出演することになりました。守と香は自宅のテレビでその番組を静かに見つめていました。番組には守が髪を切り、髭を剃って臨んだ謝罪会見の様子も映し出されていました。すっかり髪も髭も元通りに伸びた守は、番組の出演者たちが新垣の発言を鵜呑みにして笑いにするのをじっと見ていました。完全にバラエティタレントと化した新垣は喜々として、他の番組でもマツコ・デラックスやゴールデンボンバーらとの共演を楽しんでいました。見終わった守は、自分との約束を破ったフジテレビ(を含むマスコミ全般)への不信感を露わにしました。監督は、番組制作者側には信念や思い入れなどというものは全くなく、ただ面白おかしく報じることしか考えていないと告げたうえで、守自らあの番組に出演していれば少しは状況も変わっていたのかもしれないと指摘しました。
年は明け、佐村河内夫妻は守の両親を自宅に招いて新年会を行いました。守の父は少年時代に味わった広島での悲惨な被曝体験を生々しく語ってくれました。世間は守が被曝2世という事実ですら嘘だと疑い、唯一の友人すらも守の告発記事を書いてドキュメンタリー賞を受賞した神山の言い分を鵜呑みにして離れていった…守の父は無念そうに胸の内を明かしました。
監督は、神山が守の記事で大賞を獲った「雑誌ジャーナリズム賞」の授賞式のプレゼンターを務めることになりましたが、この日は神山は欠席、代理として週刊文春の担当者が賞状を受け取ることになりました。監督は席上で担当者に対してドキュメンタリーを撮っていることを明かしたうえで、神山にも取材をしたいという意向を伝えました。後日、監督は正式に神山に取材を申し込むも多忙を理由に断られてしまいました。
ある日、佐村河内夫妻宅に目の不自由な女性“なっちゃん”が訪ねてきました。なっちゃんは施設にいた時、守がボランティアを務めたことから知り合ったのです。佐村河内夫妻を家族同然に慕っているなっちゃんは必死で覚えたての手話で守とコミュニケーションをとっていました。それ以来15年間も守との交流があるなっちゃんもまたマスコミの報道姿勢に怒りを感じており、何とか助けてあげたいと今回のドキュメンタリーへの出演を決意したのです。なっちゃんは、守がマスコミで言われているような身障者をいじめるような人物ではなく、誰にでも優しく接してくれる人間であり命の恩人だと語りました。
FAKEの結末
佐村河内夫妻は新幹線に乗り、自らも聴覚障害を患いながらも聴覚障害者のメンタルコーチをしている前川修寛のもとに向かいました。前川はブログを通じて、一連の騒動におけるメディアのありかたを批判しているのです。一連の報道で数多くの聴覚障害者が傷ついてしまったのではと感じる守に、前川は記者会見で十分謝罪は済んでいるのでこれ以上の謝罪はいらないと諭したうえで、騒動を煽った神山の行為は全ての聴覚障害者や難聴者にケンカを売っているものだと批判しました。前川は耳の不自由な人にとっても音楽は重要なものであると語り、補聴器につける特殊なイヤホンを取り出して見せてくれました。それでも全部の音は聴こえにくいので一部パートは想像を膨らますしかないとも前川は語りました。夫婦はその後観光を楽しみながら帰路につきました。
守は自宅のトランクルームから、自身が新垣に対して楽曲の指示を出したメモを発見しました。未だCD化されていないというこの楽曲の構想が非常に事細かくこのメモに記されていました。守は香に言わずに18年間新垣と共同作業してきており、新垣のアドバイスも受けたいということで高額な“ご教授料”を払ってきたと語り、「バレる恐怖」、そして妻に長年黙っていたことへの罪悪感が常にあったこと、そして離婚も覚悟していたことも打ち明けました。全てを打ち明けた守に、香は離婚について全く考えておらず、「一緒に頑張っていこう」と伝えていたことも明らかになりました。守は香がいなければ今の自分はいないと感謝の意を示しました。
ある日、守は自宅でアメリカの著名オピリオン誌『The New Republic』の取材を受けました。取材陣は騒動のこと以外にも、夫妻のプライベートなこと、交友関係、騒動以来全く仕事がなくなったことなどを聞いていきました。なぜ楽譜の書き方を学ぼうとしなかったのかとの問いには、守は「一緒に作ってくれる人がいるから、ということでしょうかね」と答えました。実際に鍵盤でメロディーを弾いてほしいとのリクエストには、鍵盤楽器などは部屋が狭いとの理由で全て処分しており、長らく鍵盤を触っていないとして難色を示しました。取材陣は実際に守が作曲していた証拠がないと言い分を立証しにくいと言い、取材は平行線をたどったままでした。
とあるショッピングモールでは、新垣が自らの著書のサイン会を開こうとしていました。監督はそのサイン会に出向き、本人に直接取材を申し込みましたが、後日になって事務所から拒否されました。
監督は守に、自分のことを何パーセント信用しているのか質問してみました。全てを信じたいという守に、監督は「全部を信じてたフリをしていたのかもしれない」と発言しました。改めてもう一度音楽を、作曲をやってみませんかという監督の問いに対し、守はしばし深く考え込んでいました。
セミの鳴く季節。監督が夫妻の自宅を訪れると、守は新しく買ったばかりのシンセサイザーの説明書に目を通していました。普段使用することのない補聴器をつけ、久しぶりにメロディーを奏でてみました。守は再び本格的に作曲活動を再開、香に一つひとつのメロディーを確認してもらいながら作業を進めていました。守はようやく完成させた楽曲『Requiem』(この映画のエンティングテーマ)を通しで監督に聴いてもらいました。監督は「僕はやっぱり、お二人(佐村河内夫妻)を撮りたいのだと思う」と語り、守も自らの新局に手ごたえを感じていました。監督はこの日が撮影最終日になるであろうことを告げ、守にこんな質問をぶつけてみました。「僕に今隠していたり、嘘をついていることはないですか?」守はうーんと唸りながら深く考え込んだままでした。
「FAKE フェイク」感想・レビュー
-
上映中何回も、佐村河内守さんは本当の事を言っているのか、嘘を言っているのか、見えないのか、聞こえないのか、カードの裏表がくるくる回るように自分の考え方が代わり、自分が報道によって知った情報は正しいのかと揺さぶられました。最後に作曲された曲が流れるのですが、その曲もどうなの? いい曲なのか全然分からない!! というところが一層そう言う気持ちを倍増させました。
私たちはニュースの何を見ているのだろうか。映画を観終わった後、私はふと、自分の見ている情報や価値観に疑問を持ちました。私たちの見ている世界は、だれかによって操作されていないだろうか。何が正しくて、何が正しくないのか、私たちはメディアによって判断させられてはいないだろうか。この映画を見て、「耳が聞こえない」という私たちの感覚は、佐村河内氏の「耳が聞こえない」感覚と一緒なのだろうか。「作曲する」とはなんなのか。そんな疑問を監督森達也は私たち主張者に投げかけている。
私は森達也の作品の中で最高傑作だと思う。それぐらい深く自分の中をえぐられた作品です。