心の傷を癒すということ≪劇場版≫の紹介:2020年日本映画。1995年に発生した阪神・淡路大震災で被災しながらも、被災者の心のケアに尽力した精神科医・安克昌をモデルにし、震災から25年後の2020年1月~2月に放映されたテレビドラマ『心の傷を癒すということ』全4話を劇場公開作品として再編集した作品です。
監督:安達もじり 出演者:柄本佑(安和隆)、尾野真千子(安終子)、濱田岳(湯浅浩二)、森山直太朗(安智明)、浅香航大(北林史也)、清水くるみ(片岡心愛)、上川周作(安壮介)、濱田マリ(ママ)、谷村美月(結城理恵)、趙珉和(谷村英人)、内場勝則(校長先生)、平岩紙(新島聡子)、キムラ緑子(朴美里)、石橋凌(安哲圭)、近藤正臣(永野良夫)ほか
映画「心の傷を癒すということ≪劇場版≫」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「心の傷を癒すということ≪劇場版≫」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
心の傷を癒すということ≪劇場版≫の予告編 動画
映画「心の傷を癒すということ≪劇場版≫」解説
この解説記事には映画「心の傷を癒すということ≪劇場版≫」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
心の傷を癒すということ≪劇場版≫のネタバレあらすじ:起
1970年7月、大阪。当時10歳の少年・安和隆は在日韓国人の家に生まれ育ちました。和隆は上に兄・智明、弟・壮介がいる3人兄弟の次男坊で、一代で貿易会社を興して財を成した父・哲圭(石橋凌)のおかげで何一つ不自由のない暮らしを送っていました。多忙な哲圭に代わって家を守っていたのは勉強熱心な母・美里(キムラ緑子)でした。
ある日、和隆は智明や壮介と共に勉学に励んでいました。和隆はこっそり船の絵を描いており、美里が確認に行くと「もう勉強は終わった」と言ってみせました。その後、和隆は美里の化粧台の引き出しが開けっ放しになっていることに気付き、壮介と共に中を覗いてみると、そこには「外国人登録書」が入っていました。そこで和隆は母にはふたつの名前“安田美里”、そして“朴美里”があることを知りました。
壮介が美里にこのことを訊いてみると、美里は自分たち一家全員は在日韓国人であり、本名は“安”であるが日本で生きていくために通名“安田”を使っていることを打ち明けました。和隆は普段は“安田和隆”と名乗っていましたが、本当の名は“安和隆”でした。
1978年4月。18歳になった和隆(柄本佑)は高校最後の春を迎えていました。和隆は明るい性格の大親友・湯浅浩二(濱田岳)と共に将来医者になろうと誓い合っており、一緒に勉強したり励まし合ったりしていました。兄の智明(森山直太朗)は将来原子力科学者になりたいとの夢を持っており、父・哲圭は世界に誇れる学者になるようエールを送りました。
そんなある日、和隆は湯浅から、自分は医学部進学を諦めるかもしれないという弱気な電話を受け取りました。和隆は湯浅を公園に呼び出すと、実家が開業医である湯浅はこれから患者の死と向き合っていかなければならないことに耐えられるか不安を抱えていました。そこで和隆は愛読している精神科医・永野良男(近藤正臣)の著書を紹介して励まし、湯浅もようやく再び医者の夢を目指す気になりました。和隆は湯浅に初めて自らの本名と国籍について打ち明け、湯浅は笑いながら本名の“安”で読んであげると言いました。二人は医学部に進学したら一緒にジャズをやろうと約束しました。
心の傷を癒すということ≪劇場版≫のネタバレあらすじ:承
1981年4月。和隆と湯浅はめでたく医学部への進学を果たし、約束していたジャズに興じる日々を送っていました。あるカフェのステージで和隆はピアノを、湯浅はサックスを演奏し、その腕前はもはやプロ級にまで達していましたが、カフェのママ(濱田マリ)は「人に腕前を聞くほどじゃあ、まだまだやな」と朗らかに笑いました。
ある日、和隆は医学を志すきっかとなった永野の講義に参加しました。講義が終わった後、和隆は永野に声をかけ、緊張した面持ちで「先生は寂しくはないですか? 先生の本を読みましたが、並外れた知性ゆえに普通に見えている景色と違うものを見ておられるようです。自分を、自分の考えを誰もわかってくれないという気持ちはどのようなものでしょうか?」と問いかけてみました。永野は「どうも過大評価をもらったようだ」と返しました。
ある日、和隆はひとり映画館で小津安二郎監督の「東京物語」を見ていました。しかし、途中で近くで電車の音が鳴り響き、重要な台詞を聞きそびれてしまいました。和隆は近くに座っていた女性にその台詞について話しかけられました。その女性も同じく聞き逃してしまったようでした。その翌日、和隆は再び同じ映画を見ました。映画館にはあの女性も来ていました。
和隆は永野から、医学部を出たらどの分野に就きたいのか問われました。和隆は一瞬言葉につまりましたが、精神科医になる決意を固めていました。智明は既に研究のためアメリカに渡っており、哲圭から将来の進路について問われた和隆は正直に精神科医になると答えました。哲圭は「そんな訳の分からない職業はやめろ」と反対しましたが、和隆の決意は揺るぎませんでした。
和隆はカフェのステージでやりきれない気持ちをピアノにぶつけていました。そんな時、先日映画館で出会った女性がカフェを訪れ、和隆のピアノを褒めてくれました。女性の名は終子(尾野真千子)といい、和隆と同じ在日韓国人でした。同じ境遇である和隆と終子はたちまち意気投合、交際することになりました。そして和隆は「終子、100歳まで一緒に生きよう。結婚してください」とプロポーズし、和隆と終子はなじみのカフェで挙式をあげました。
心の傷を癒すということ≪劇場版≫のネタバレあらすじ:転
医学部を卒業した和隆は精神科医となり、終子との間には長女・春子をもうけていました。やがて和隆は医局長に出世、公私共に幸せな日々を送っていた、はずでした…。
1995年1月17日、午前5時46分。和隆一家は今まで経験したことのない激しい揺れと凄まじい轟音で目を覚ましました。この日、関西一帯を阪神・淡路大震災が襲ったのです。和隆は終子と幼い春子を大阪の実家に預け、負傷者で溢れかえる病院へと向かいました。そこでは永野が対処に追われていました。程なくして、和隆は生存していた湯浅と再会しました。なじみのカフェも半壊してしまいましたが、ママは無事でした。
大震災から数日後、和隆はある新聞記者から、精神科医の視点から被災者の内面や内情を探って記事にしてほしいと依頼されました。しかし、精神的に余裕のない和隆は依頼を断りました。それでも和隆は被災者の心のケアをしようと立ち上がり、被災者が集まる場所に出向いては様々な人々の話を聞いて心に寄り添ってあげることに尽力し始めました。
その頃、大阪の美里の元に身を寄せていた終子は、公園のベンチで美里と隣合わせになった女性が「あの地震はバチが当とうたのかと思うわ」と言い出し、美里が反論する場面に遭遇しました。終子は黙ってうつむいたままでした。
大阪では和隆の弟・壮介(上川周作)が哲圭の会社を手伝っていましたが、会社の経営はかなり傾いていました。そんな折、和隆は壮介から終子が倒れたことを知らされ、急いで大阪に駆けつけました。終子は震災ストレスを抱えており、彼女は余震のリスクがあることを承知のうえで神戸の和隆の元に戻ることを選びました。しかし、哲圭は最後まで和隆と打ち解けることはありませんでした。
和隆の元には様々な事情を抱えた被災者が訪れていました。助けを求める声を振り切って逃げたことを悔やみ続ける女性、“震災ごっこ”と称して机を揺らし遊ぶ子供、祖父が未だに行方不明のままであるにも関わらず気丈に「自分よりも辛い人たちはたくさんいる」と振る舞う少年などなど…。
やがてマスコミの震災に関する報道が日に日に縮小されていくなか、和隆は神戸の人々の現状を伝えるべく、一度は断った新聞への記事の寄稿をしようと思い直していました。和隆は避難所となっている学校の校庭でキックベース大会を開こうと呼びかけ、束の間ながらも人々に久々の笑顔が戻りました。その光景を見た和隆は「人の心を癒せるのは医者じゃない。医者にできるのは人の心に寄り添うことだけだ」と決意を新たにしていました。
震災で損壊した湯浅の病院の再建が決まった頃、和隆は避難所の被災者の中に毎日のように酒をあおってはパニック状態に陥っている一人の女性の存在を知りました。片岡心愛(清水くるみ)というその女性は以前、和隆が勤める病院に急性アルコール中毒で運び込まれたことがあり、また早くに両親を亡くして精神が不安定になったことから多重人格者と化していました。
和隆は片岡の気持ちに寄り添い、ゆっくりと治療を進めていくことにしましたが、片岡は自分が弱いからこうなったと言って病院を出ていこうとしました。和隆は「違う。耐えられないような悲しみや苦しみを感じたから、生き延びる方法を見つけようとしたんだ。生きる力が強いんだ」と言葉を掛けました。その後、和隆は片岡にジャズピアノを教え、生きがいを見つけてほしいと語りました。
心の傷を癒すということ≪劇場版≫の結末
大震災から1年後、和隆と終子の間に第2子が誕生しました。しかし、哲圭の事業は失敗し、無理がたたって身体を壊してしまいました。
ある日、和隆が新聞に寄稿した記事が1冊の本となり、フロンティア学芸賞を受賞しました。授賞式には永野も駆けつけ、和隆のこれまでの功績を褒め称えました。和隆は賞状を病床の哲圭に見せると哲圭は涙を流し、これまで在日韓国人ということで差別されてきたこと、見返すために事業を興したけど全て失ったことへの後悔を打ち明けました。哲圭が他界したのはこの数ヶ月後でした。
震災から5年後の2000年。和隆は解離性障害についてまとめた本を執筆していました。神戸の街も少しずつ復興が進んでいき、病院も再建されていました。しかしこの頃から、和隆の身体は病魔に蝕まれていました。
検査の結果、和隆は末期ガンに侵されていました。和隆はこのことは第3子を身籠っていた終子には伏せておくことにし、残された時間の中でやりたいことをノートに書き綴っていきました。しかし、終子も和隆の病を知って泣き崩れ、アメリカから智明も緊急帰国してきました。和隆は残された日々を病室ではなくあくまでも患者とその家族のために費やすことを決意しました。
2000年10月。すっかり痩せ衰えた和隆は湯浅と共にジャズコンサートを見にいきました。「お前の隣が最高の席や」と寄り添ってくれる湯浅の姿に和隆は涙を堪えました。その後、和隆は苦渋の決断で片岡に担当医が代わることを告げました。片岡は和隆の弾くピアノに穏やかな笑顔を見せました。和隆は自分の車椅子を押してくれる美里に「心のケアって何か分かった。ひとりぼっちにさせないことだ」と語りました。
2000年11月。和隆の病状は悪化し、入院を余儀なくされました。同じ時期に終子は無事第3子を出産、和隆は我が子に“灯(ともしび)”と名づけました。「この子は僕と終子の世界を明るくしてくれる。僕の7ヶ月を明るくしてくれたように。いつも家に帰ると終子が待っていてくれると思ったから仕事も頑張れたんだ。ありがとう…」
2000年12月2日。39歳で安和隆は生涯を閉じました。その後、智明は2011年に発生した東日本大震災の際に原子力科学者として対策に全力を注ぎました。和隆が遺した著書「心の傷を癒すということ」は被災者支援に今でも強い影響力を与えています。そして終子は成長した子供たちと共に復興が進む神戸の街を歩いていました。その傍らにはいつまでも和隆が優しく微笑みながら見守っていることでしょう、ずっと…。
以上、映画「心の傷を癒すということ≪劇場版≫」のあらすじと結末でした。
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