サンマとカタール 女川つながる人々の紹介:2016年日本映画。東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県女川町の復興の軌跡を約2年にわたり追いかけ、人間の底力を描いた渾身のドキュメンタリー映画です。深い悲しみを負いつつも復興に命を懸ける町の人々の姿を、救いの手を差し伸べた中東カタールとの絆と共に綴っています。キャッチは「あの日、生かされた俺たちは熱い」で、監督は『李藝 最初の朝鮮通信使』などの乾弘明、ナレーションは名優・中井貴一です。
監督:乾弘明 音楽:引地康文 ナレーション:中井貴一 題字:池端信宏 出演者:阿部淳、石森洋悦、阿部由理、阿部美奈、須田善明、ほか
映画「サンマとカタール 女川つながる人々」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「サンマとカタール 女川つながる人々」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
サンマとカタール 女川つながる人々の予告編 動画
映画「サンマとカタール 女川つながる人々」解説
この解説記事には映画「サンマとカタール 女川つながる人々」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
サンマとカタール 女川つながる人々のネタバレあらすじ:起・あの日からの決断
「あの日」2011年3月11日、千年に一度と言われる未曾有の悲劇が女川を襲いました。その住民の約1割が犠牲となり、8割以上が住まいを失いました。それは全ての被災した市町村でも人口比で最も悲惨な被害で、中心部は根こそぎ津波にのみ込まれてしまい、町は失うものは何もなくなってしまいました。
宮城県女川町は、牡鹿半島の付け根に位置する水産業の町です。JR石巻線の終着駅で、天然の良港として古くから栄えた美しい港町でした。震災前は山に囲まれた僅かな平地におよそ1万人が暮らしていました。「あまりの被害に、急がないと取り残される…」そんな危機感からいち早く、地元主導での復興を女川町は決断します。
サンマとカタール 女川つながる人々のネタバレあらすじ:承・カタールからの希望
そんな女川町のシンボルは、サンマです。震災があった年の秋から、女川では秋刀魚収穫祭を開き続け、人々に元気を与えました。水産業の復興は急務でした。しかし、国の復興支援では時間がかかります。そんな水産業に携わる人々の背中を押したのは、大型冷凍冷蔵施設「マスカー」です。それは遥か中東の国カタールからもたらされました。
1971年、カタールで世界最大規模の天然ガス田が見つかりましたが、当時のカタールではそれを開発する資金も技術もありませんでした。その時、手をさしのべたのが日本の企業でした。開発によってカタールは驚異的な発展を遂げます。「日本は友であり、重要な相手国」カタールは震災直後に基金「カタールフレンド基金」を設立し、その基金によって津波対応したマスカーが急ピッチで建設されたのでした。
「前を向いてもらいたかった。難しいだけで不可能はないということを分かってほしかった」いち早くマスカーが完成すると、周辺の水産加工エリアには続々と工場が再開しました。そして、女川町の産業基盤である水産業が復活します。
サンマとカタール 女川つながる人々のネタバレあらすじ:転・若者たちの輪
若者たちは自主的に組織を立ち上げ、行政と共に新しい街づくりに取り組みます。街はゼロからの街づくりを選択します。海沿いに漁港施設や水産加工団地、かさ上げした町の中心部に駅、役場、商業施設などを集約させ、住宅は高台に、人の命を最優先した街づくりを開始しました。
若きリーダーたちは集まり、復興祭の開催を企画します。それは震災後、皆がバラバラで動いていたものが、同じ目標を持つことで横のつながりができるのではないかという想いからでした。また、それは未曾有の震災の記憶を忘れないためでした。
「やらなきゃ、わからない。もしダメな方向になっても、これをやり遂げた事実は、この地域には残るはず」祭りをきっかけにつながった若者たちはそれぞれアイデアを出し合い、そして、ベテランたちが周囲との調整に立ちました。こうして全く新しい街づくりが進んでいきました。
「なんで俺、生きてんだろう?」「死んでる人って、生きていると思う。今まで一緒に過ごしてきた人は、その人の心の中で一生、生き続けていく」拭い切れない悲しみに悩みながらも、若者たちの眼差しは前に向かっていました。そして2015年3月、JR女川駅が再開します。女川町の新たな一歩が始まりました。彼らが練り上げた復興祭では、善意から継続的に女川に訪れてきてくれている「ももクロ」のライブも開催され、たくさんの人々が集まりました。
サンマとカタール 女川つながる人々の結末:新たな一歩へ
駅前商店街の建設が進む中、一足早くオープンしたのが、女川水産業体験館「あがいんステーション」です。「あがいん」とは地元の言葉で「めしあがれ」という意味です。女川のおいしいものをブランド化して全国に売り込みたいと、復興祭で知り合ったメンバーが中心となって始まりました。メンバーは色々な新商品を積極的に開発・販売し、被災地に対する人々の目を変えていきました。
震災前の状態に戻すだけでなく、より広いマーケットを視野に入れた新規事業が、次々と立ち上がります。目指すのは海外への輸出です。その先にはイスラム教の人が食べられるハラール食品も視野にあります。しかし、ハラール食品では宗教上、酒もみりんも使えません。その中で様々な工夫をこらして商品を開発し、手ごたえをつかんでいきます。
一方、街づくりも問題に直面しながらも、着実に進んでいきます。街びらき第2弾として、2015年12月、駅前商店街「シーパルピア女川」がオープンしました。女川駅が再開してから9カ月、ようやく約27店舗が集まる商店街と海に続く美しいレンガ道のプロムナードが完成しました。それは普通の暮らしへの小さな一歩であり、また、生まれ変わった女川の新しい形を示唆していました。「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。」と…。
以上、映画「サンマとカタール 女川つながる人々」のあらすじと結末でした。
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