三度目の殺人の紹介:2017年日本映画。弁護士の重盛のもとへ来た依頼者は、殺人の罪で捕まった1人の男。彼はなぜか罪を認めており、そのうえで減刑を願っていた。さらに奇妙なことに、その男は会う度に供述を変え、その真意は測れない。初めはあまり興味の無かった男の話、しかし次第に重盛は真実への興味を抱き始めるのだった。「三度目の殺人」は「そして父になる」の是枝監督と福山雅治が再びタッグを組んだ日本の闇に迫る本格サスペンス。本作は第74回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に正式出品、2018年の第41回日本アカデミー賞では最優秀作品賞など6部門を受賞した。『三度目の殺人』には原作はなく、原案・脚本も担当した是枝裕和監督のオリジナル映画です。
監督:是枝裕和 出演:福山雅治(重盛朋章)、広瀬すず(山中咲江)、満島真之介(川島輝)、市川実日子(篠原一葵)、松岡依都美(服部亜紀子)、井上肇(小野稔亮)、斉藤由貴(山中美津江)、吉田鋼太郎(摂津大輔)、役所広司(三隅高司)、ほか
映画「三度目の殺人」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「三度目の殺人」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
「三度目の殺人」の予告編 動画
映画「三度目の殺人」解説
この解説記事には映画「三度目の殺人」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
「三度目の殺人」ネタバレあらすじ:起
重盛朋章(福山雅治)が弁護を頼まれた容疑者の三隅高司(役所広司)。彼は先日1人の男性を撲殺、ガソリンをかけて焼き殺した殺人の容疑にかけられていた。当初から罪を認めていた三隅は、殺人に加え窃盗も行っていたため死刑は確実だった。
しかし減刑を望むという三隅を仕方なく弁護することになった重盛は周辺の調査を始める。彼と共に働く摂津大輔(吉田鋼太郎)は三隅に不信感を抱いていた。彼に最初に会った摂津は、ころころと供述を変える三隅に辟易していた。それは重盛に対しても同じだった。
幾度か彼の元へと足を運ぶ重盛だが、その都度三隅の話は二転三転しており、真実をなかなか掴めない。とりあえずは死刑ではなく無期懲役とする減刑を目標とし、部下と共に調べていく。
ある日、重盛は三隅の住んでいた家へと足を向けると意外な事実が飛び込んでくる。
「三度目の殺人」ネタバレあらすじ:承
被害者の男性は三隅の働いていた会社の社長。彼をクビにした男であり三隅の供述のとおり、怨恨による殺人であることは確かなようだった。そして現在メディアで話題になっているのは被害者遺族の、娘・山中咲江(広瀬すず)と母親・山中美津江(斉藤由貴)である。
三隅の家へと向かった重盛は、大家にこの家へ来ていた人物について聞く。すると足の悪い少女が目撃されているということだった。その少女は被害者の娘・咲江で、三隅は自分の殺した男の娘と繋がりを持っていた。
さらに明らかになるのは、彼が被害者の妻・美津江と交わしたメール。そこには被害者の妻から三隅へ宛てた「例の件お願いします」と書かれたメッセージがあった。『妻・美津江が主犯となる保険金殺人事件』その考えも浮かぶが、確かな証拠はない。
しかし考えれば考えるほど不信感は募る一方で重盛は頭を抱える。
「三度目の殺人」ネタバレあらすじ:転
裁判の日が刻一刻と迫る中、重盛は部下と2人で北海道へと足を運んでいた。三隅の殺人は今回が初めてではなかった、かつて殺人の罪で30年投獄、その時の事件の詳細を聴きに来たのだ。
しかし当時の事件を知る人間もまた、彼の供述の変わり方に頭を抱えていた。重盛達が分かったのは殺人の事実と、今と変わらぬ謎の性格、そして消息の掴めない三隅の娘だった。
そしていよいよ裁判の日がやってきた。その日の裁判では『保険金殺人を狙った被害者の妻・山中美津江を主犯とした事件』、そうなる予定だった。結局、美津江は口を割らなかった。そして裁判の後、重盛達の事務所へとやってきたのは娘の山中咲江。
そこで咲江は衝撃的な事実を告げる。自分と三隅の仲、そして殺された父親の正体。父親は咲江に性的暴行を繰り返していたのだ。
「三度目の殺人」結末
咲江は自身の過去を全て裁判で話すつもりだった。その上で三隅を救おうと考えていた。その事実を三隅に話すと一転、彼はなんと「罪を認めない」と言い始めた。最初は否認していた、しかし検事と弁護士両方から「認めれば罪は軽くなる」と言われたからだと。
突然の告白に混乱するも、すでに進んでいる裁判を途中でやめることは出来なかった。そして咲江には真実を伏せるよう説得し、裁判は続行となった。
一時、裁判は混乱を見せたが、当初の予定通り裁判は進み、三隅は有罪となり死刑を宣告される。
重盛は最後まで三隅の心を理解できなかった。父に性的虐待を受けた過去を暴露しようとした咲江を守るために裁判を混乱させた、そう思おうとはしたが結局の所、真実は分からない。ましてや相手は殺人犯、常人の考えではその心を掴むことはできないのだ。
以上、映画「三度目の殺人」のあらすじと結末でした。
「三度目の殺人」事件の真犯人と、三度目の意味
真犯人がはっきりと分からないまま映画は幕を閉じるため、多くの人がスッキリしない気持ちだと思います。是枝監督作品の多くは結末の描写をあえてぼかし、観客に考えさせるような作品が多く、本作「三度目の殺人」についても「殺人は2回なのに、三度目の殺人というタイトルが意味しているものは?」「事件の真犯人は誰なのか?」「真実は何だったのか?」というモヤモヤする多くの謎を残しています。作中では事件の真相は描かれず、裁判で有罪判決が下されるという結果だけを映し出しています。
真実とは何だったのか、考えられるものとしては、1.三隅が咲江のために殺人を犯した、2.咲江による父親殺人を三隅がかばった、3.三隅と咲江の共犯だったが三隅が罪をかぶった、などが考えられます。しかしこれはあくまで観客に委ねられた結末です。
本作「三度目の殺人」で是枝監督が訴えたかったことは何だったのでしょうか。法廷シーンではこれら真実を追求する描写があえて薄くなっていた印象があります。ではこの映画に込められたメッセージは何だったのか。三隅はかつての殺人の罪で30年投獄されていました。その時の裁判長(重盛の父)宛てに手紙を送っています。その理由を「裁判長は人の命を自由にできるじゃないですか」と答えています。そして今、三隅は裁判によって裁判長から死刑判決を言い渡されます。これこそが「三度目の殺人」を意味しているのではないでしょうか。是枝監督が訴えたかったこと、それは、真実を明らかにすることよりも結果を前提に裁かれること、死刑という制度によって人が人を裁く(殺す)こと、それら現在の日本の司法制度に対するメッセージだったのかもしれません。
「三度目の殺人」感想・レビュー
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観終わっての、正直な感想としては、よく解らないです。
よくドラマなどにある、逆転無罪へのアンチテーゼかなとも思いましたが、
とにかく、現実と空想の境がハッキリせず、より解りにくかったです。
賞をとった作品にありがちな、これのどこがスゴいのって作品でしょうか。 -
この映画を見る人によって、感想はまちまちだと思いますが、私は三隅が咲江をかばっているのだと思います。三隅単独で殺したのか、咲江との共犯か、咲江が殺してしまったのを手伝ってしまったのか、それらについてはわかりません。ただ、性的虐待を父から受けていたことを咲江に話させないために、殺人を急に否認したり、最後までとぼけて、重盛にも「自分は咲江をかばうような人間ではない。」というようなことを言ったりする三隅は、相当頭が良く、性根が座っていると思います。死刑が確定することさえも恐れず、咲江のことを思って否認した三隅はすごいと思います。もちろん、殺人は許されることではないと思います。ただ、実際問題として、母親の美津江が事実を隠そうとしている以上、咲江を助けるのは難しいでしょう。
また、司法制度もおかしいと思います。検察は自分たちの主張を通そうとするあまり、自分たちの不利になる証拠を出させないように、あらゆる手段を講じます。世の中には、冤罪の人たちがたくさんいるはずです。裁判所は事実を明らかにする場所ではありません。世の中の人がある程度、納得して安心させるために、検察官・裁判官が事実に基づいて記されているとされている文書に従って、機械的に裁いているだけです。木村拓哉主演のドラマ「ヒーロー」のような検事はいません。いないからこそ、ドラマになり得るわけですが・・・。現代は、真実なんてどうでもいい時代なのかもしれませんね。冤罪の人がたくさん出たとしても、有罪とされた事実の方が大事なのでしょう。悲しい世の中です。 -
窓辺に来た小鳥に餌をやり、優しく呼びかける場面
それこそが人柄を表しそんな心を持つ人が司法により殺される事が3度目の殺人 -
映像的には盛り上がる場面はありませんが、ストーリーはただのミステリーではなく本当に誰がやったのか特に動機が判らない。
私は途中で「誰かをかばっている」と革新しましたが、見ていくうちに「いや違うのか」いや違うか?判らない、そんな複雑な内容です。
普通の映画なら最後に真犯人が現れて何故かばったのか?犯人は誰なのか、犯人の動機は明らかになるのですが、この映画はとても深いです。
役所広司は広瀬すずをかばって無実なのか、広瀬すずが犯人なのか、
役所広司が最後に死刑判決になります。しかしわざと死刑判決になったようにも取れるし複雑です。
最後に弁護士福山雅治と犯人役所広司が面会するシーンで交わした話の内容が更に謎を深めます。見る人によって色々な解釈ができる映画です。 -
殺人があったという事意外に確かな客観的事実は何もなく、結局誰が犯人なのかも判らないという非常にモヤモヤした結末だったが、観客が未解決の実在の犯罪を追っているような気持になる映画だった。
人を殺すという多くの人間にとっての非日常を理解するため、「誰が」「何のために」というキーワードがとても意味をもってくる。この場合は被害者の娘の証言を信じるならば、また、被告人にも恨まれていたことを考えると、被害者は殺されてもおかしくない。しかし一体誰が犯人なのか、、。この映画では真犯人にフォーカスしていないのだ。
人間の心はあまりにも複雑で、あやふやで、確かなものなど何もない。つまり誰だって殺人犯になり得る、もっと言えば、そのあやふやな人間が、一方で同じ人間を裁いている危なっかしさを描き出しているのではないかと思った。 -
この映画を見て、三隅と言う人は本当は善人なのじゃないのか?と思いました。
善人過ぎるが故に苦しんでる人を見過ごせない、例え自分の周りの人を不幸にするとしてもあかの他人を不幸にしてる人間を排除してしまう。
北海道での殺人では、借金取りに苦しんでる人達を見過ごせずに、その借金取り達を殺してしまった。
次の殺人では父親からレイプされて苦しんでる娘を見過ごせずに、その父親を殺してしまった。
最後に、三度目の殺人は自分の周りを不幸にしてしまう自分を死刑にする事で、自身の娘への贖罪や、父親にレイプされていた娘を庇う事ができると考えたのでしょう。
並大抵の善人にできる事ではありません。
人を殺してはいけない事ですが、生きていてはいけない人間がこの世の中にいる事も事実です。
自分が三隅の立場になったとしても、やはり三隅のように人を助ける事ができるとは思いません。
本物の善人にしかできない事でしょうから。 -
一度目は金銭目的として
二度目は人助けを目的として
三度目は無罪を主張加害者の主張によって被害者は結局3回名誉を失ってしまったことが三度目の殺人という意味か。
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これは 結局、三隅が犯人ではあるが 周りの人(悪人) を誰も裁けないので、自らが悪人になって最も罪深い殺人をして 誰かを救ってるが 真実を知らない人にはやはり 三隅が身勝手な駄目な悪党にうつる。
器と言うのは、色んな意味が考えれて‥‥‥ -
この映画の真実は、重森父の発言が全てなのでは…
相手の気持ちがわからない、なんの感情もなく人を殺せる、殺したくなったから殺す、その手の障害を持った本当の殺人者。いわゆるサイコパス殺人
最後のシーンで重森と三隅が重なり合うような撮影シーン。
これは重森自身が三隅の本当の心情を理解できたたと思い、三隅に少しずつ重なるように撮影されていたが、三隅の発言により三隅の本性、真意を理解し、ただ単に自分が良いように理解しようとしていただけで、実は三隅が本当のサイコだと気付き、実は全く理解できていなかった、という心情を二人の距離が離れるような撮影の仕方で表現していたのでは?なんて思いました冒頭から弁護士である重森自身も似たようなシーンが多くあり、この映画の登場人物全員が感情に流されない、ある意味職業柄かもしれないが現実的な発言が多かったように思う
その対比として満島演じる若手の後輩は、最近の考え方に近い感情論の発言になっている
今の世の中、相手の気持ちがまるでわかったかの様な発言が多いが、本当のことなど本人にしか解らないんだよ、というような皮肉が込められているように感じた。
[三度目の殺人]という題名の三回目の殺人に関しては、咲枝の法廷での発言を奪ったことにより、この先も本当のことを打ち明ける機会を奪ったことによって咲枝の心を殺した=殺人なのかなと思った
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結局のところ誰が犯人なのかが最後はうやむやになると言う結末ですが、この映画では真犯人の追及よりも、「ここでは誰も本当のことは言わない」と言う咲江の言葉や冤罪、裁判が裁判官のスケジュールや裁判員への配慮で進んでいくビジネスのような描写に裁判とは誰の為にあるのかと言うことを考えさせられる闇の深さを感じました。
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みんなの総意をくむ役割の人として、三隅がいる。
一度目の殺人は、みんなを苦しめる高利貸しをみんなが恨んでいた。その総意として自分が手となり殺した。
二度目は、お父さんが死ねばいいと心で思っていた咲江や、保険金を期待する被害者の妻の総意として、自分が手となり被害者を殺す。
三度目は、裁判で罪を認めさそうとする関係者達の総意として自分が死ぬ。
すべて自分の意志ではなく周辺の総意を行動にする人が三隅なのだと思った。総意で生きているから供述もいつもブレている
現実社会の中でも殺人まではいかないまでも、周囲の総意に忖度し、自分の倫理や思考を使わずに行動する現代の人を殺人というテーマで具現化しているように感じた。 -
個人的には、咲江が父親殺しの犯人で、三隅がそれを被ったと解釈しました。犯人ではないのに死刑になるため、司法による殺人として三度目。三隅が殺した、咲江との共犯、であれば死刑でもやむなしと思う。色々思わせぶりなシーンはあるけど、真実なんて見る側には分からない。三隅と咲江が誰かを殴り殺すシーン?回想?があるが、この作品に限らず、最後まで作る側が何を伝えたいのかハッキリ示さないのは卑怯だと思う。
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アメリカの古い犯罪映画や、黒澤明監督の「天国と地獄」を念頭に置いて、カメラを回したという、是枝裕和監督の「三度目の殺人」。
この作品で、福山雅治が切れ者の弁護士を演じる。
同期生だった吉田鋼太郎の頼みで、彼が引き継いだのは、食品加工会社の社長が殺害された事件だった。被告の役所広司には、三十年前に、やはり殺人の前科があり、裁判官だった主人公の父親が、事件を裁いた因縁もあった。
しかし、再調査を始めた主人公に相談もなく、被告は被害者の妻である、斉藤由貴から殺人の依頼があったと週刊誌に告白し、世間を騒がせることになる。
社長殺しをめぐる謎が、二転三転する面白さは、法廷ものとして期待を裏切らない。
しかし、その一点のみに目を奪われると、この作品のテーマを見逃すことにもなりかねない。真実は、トリックスター然とした役所広司の頭の中にしかなく、拘置所の接見室で、彼の話に耳を傾ける福山雅治は、繰り人形でしかないからだ。
そういう意味で、この作品は、司法の限界を描いた社会派のドラマであるとも言えるだろう。市川実日子演じる若手検事と、満島真之介の弁護士助手役に見え隠れする、真っすぐな正義感が、この作品のテーマを別角度からも鮮明にしてみせる。
市川実日子の上司役の岩谷健司の、ほとんど無言の演技が、形骸化した司法制度を象徴するかのように、心の澱となって、私の心にいつまでも残り続けるのだ。
この作品を見終わったときに、これはミステリーではなくドキュメントのような作品だと感じました。
ひとりの殺人犯を通して事件の真相に迫っていくような構成になっていますが、解決というよりはありのままを見せているような感じで、それを見た視聴者がどう感じるかも含めて作られている印象です。
そして登場する人物に説得力を持たせている役者陣の存在感はまさに迫真の演技と呼べる映画だと思います。