わたしは光をにぎっているの紹介:2019年日本映画。『四月の永い夢』の中川龍太郎監督が、主演に松本穂香を迎えて製作したヒューマンドラマです。再開発の波に揺れる東京・葛飾の商店街を舞台に、銭湯で働く主人公の女性が閉店を前にある決断をする過程が描かれます。
監督:中川龍太郎 出演者:松本穂香(宮川澪)、渡辺大知(緒方銀次)、徳永えり(島村美琴)、吉村界人(新井稔仁)、忍成修吾(井関夕)、光石研(三沢京介)、樫山文枝(宮川久仁子)、小川あん(ジャスミン)、長屋和彰(スーパーの店長)、松本妃代(石田妃菜)、小林萌夏(上野七海)、桜まゆみ(銭湯の常連客)ほか
映画「わたしは光をにぎっている」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「わたしは光をにぎっている」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
わたしは光をにぎっているの予告編 動画
映画「わたしは光をにぎっている」解説
この解説記事には映画「わたしは光をにぎっている」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
わたしは光をにぎっているのネタバレあらすじ:起
宮川澪(松本穂香)は20歳。早くに両親を亡くした澪は祖母・久仁子(樫山文枝)が営む長野県・野尻湖の民宿「宮川旅館」で働いていました。この地で先祖代々80年に渡って営業してきた旅館でしたが、久仁子の病気を理由に旅館を畳むことになりました。
澪は亡き父の友人だった三沢京介(光石研)を頼り、一人で東京の下町に向かうことになりました。内気で人付き合いが苦手な澪に、久仁子は「見る目、聞く耳、それがあれば大丈夫」と励ましました。久仁子が入院する日、久仁子はひとり旅館の浴場を掃除していました。久仁子は澪に、大好きな詩だという山村暮鳥の「わたしは光をにぎっている」の本を授けました。澪は従姉妹の石田妃菜(松本妃代)らに久仁子を託し、電車に乗って東京へと旅立ちました。
「自分は光をにぎつてゐる いまもいまとてにぎつてゐる 而もをりをりは考へる 此の掌をあけてみたら からつぽではあるまいか からつぽであつたらどうしよう」
東京に着いた澪はビラ配りをしていたエチオピア人(Derbew Yenet)に道案内をしてもらい、京介が経営する下町の古い銭湯「伸光湯」に到着しました。ぶっきらぼうな京介は客の老人が来ても「(老人は)回数券買ってるから。ここは顔見知りしか来ないし」と接客に立とうとしませんでした。京介は「仕事が決まるまで好きに使っていいから」と「伸光湯」の一室を澪に提供しました。
「伸光湯」の常連客である映画監督志望の緒方銀次(渡辺大知)とOLの島村美琴(徳永えり)が営業時間が終わったにも関わらず酒を飲んで語り合っていました。京介は特に気にすることもなく、いつも通りに浴槽の掃除をしていました。澪は「はじめまして。ここにお世話になります」と銀次と美琴に挨拶しました。
澪は地元のスーパーでアルバイトをすることになりました。銀次と美琴は澪のためにおでん屋で就職祝いをしてくれました。銀次はおでん屋の店主など地元の様々な人々にインタビューするドキュメンタリー映画を撮っていました。銀次は自分がカメラに映るのを嫌がる澪に「今の澪ちゃんは今しかいないんだよ。人間は細胞だって心だって変化していくでしょ? 変化する動態が人間なんだよ。同じ風は二度と吹かない。俺はそれを切り取りたいんだよ」と持論を述べました。
わたしは光をにぎっているのネタバレあらすじ:承
澪、銀次、美琴は、美琴の彼氏である新井稔仁(吉村界人)が働くラーメン屋へ行きました。店にはすっかり酔っぱらった京介も顔を出しました。
美琴からスーパーでのバイトを決めた理由を訊かれた澪は「(2週間の試用期間が過ぎれば)正社員になれるから」と語りましたが、美琴は「なったらなったで大変だよ」とぼやきました。銀次は「仕事なんてやりたいことをやればいいんだよ」と言うと、稔仁は「やりたいことをやるんじゃなくて、やれることをやるのが仕事ってもんだよ」と語りました。銀次は稔仁が札幌で独立することを明かし、美琴は「聞いてないんだけど」とキレました。
稔仁と美琴を店に残し、澪と銀次は酔い潰れた京介を連れて「伸光湯」に戻ることにしました。6年前にこの町にやってきた銀次はその頃から「伸光湯」のお世話になっているのです。
澪はスーパーの店長(長屋和彰)と先輩店員の上野七海(小林萌夏)の下で働き始めました。しかし、客からの注文にも上手く応えられず、仕事の要領も覚えられない澪はすぐにスーパーを辞めてしまいました。澪は京介から次の仕事はどうするのか問われましたが、何も答えられませんでした。
そんな時、澪の元に久仁子から電話がかかってきました。「ちゃんと生きてますか? (体調は)大丈夫。私はちゃんと生きてますよ。目の前のできることからひとつずつ、できないことよりできそうなことから。小さなことでもいいから(始めてみよう)」久仁子の言葉に背中を押された澪は「伸光湯」を手伝うことにしました。澪は京介から浴場の掃除のコツや窯の焚き方などを教えてもらいました。「伸光湯」は昔ながらの薪で湯を沸かしているのです。
やがて澪は自ら番台に座って接客を始め、常連客とも少しずつ言葉を交わせるようになっていきました。澪は女湯を覗き見しようとした老人の男を一喝、京介に出入り禁止にすべきではと主張しましたが、京介はこの銭湯はあくまでも客たちの憩いの場だとして出入り禁止にはしない考えを伝えました。
澪は更なる集客を目指して“みかん風呂”を企画しました。澪が近所の青果店主(桜まゆみ)からみかんを仕入れていると、銀次と彼を手伝っているミニシアター「キノ・シネマ」スタッフのジャスミン(小川あん)がドキュメンタリー映画を撮っていました。
みかん風呂を用意した澪でしたが、客の一人(小川友子)が娘がみかんアレルギーであることを理由にクレームをつけてきました。澪と京介はひたすら平謝りし、京介は「こういうのは事前に告知するものだ」と澪に忠告しました。
わたしは光をにぎっているのネタバレあらすじ:転
銀次の映画が完成し、澪は早速「キノ・シネマ」に見に行きました。銀次は見に来てくれたお礼として、澪を劇場の裏側に案内しました。
学生時代からこの映画館でバイトしている銀次は「営業が終わったら映画見放題だしね。でもシャワーがなくて、そちらにお邪魔してます」と映写室を寝床にしていました。銀次は澪にフィルムカメラの使い方を教えました。「これは現像するまでどんな仕上がりかはわからない」澪は早速カメラで映画館内を撮影して回りました。
銀次は澪とジャスミンを食事に誘いました。銀次は今やシャッター通りになりつつある、完成して50年になるアーケード街への思いを熱く語りました。ジャスミンが一足先に帰ったのち、元恋人の井関夕(忍成修吾)と一緒にいた美琴と一緒に居酒屋で飲むことにしました。
美琴は近々転勤する予定であり、井関とも稔仁とも離れ離れになることが決まっていました。男性経験のない澪は少し拗ねてしまいますが、美琴は「澪ちゃんは(人とは)話せないんじゃなくて、話さないんだよ。そうすることで自分を守ってるの」と本質を突いてきました。
公園のベンチにひとり佇む澪はどこかへ電話をかけましたが繋がりませんでした。そこへたまたま通りかかったエチオピア人が澪をエチオピア料理店に招待しました。エチオピアの人たちとのふれあいで、澪の表情にも少し笑顔が戻っていきました。澪はもてなしてくれたお礼に「うちにも来てください」とエチオピア人を誘いました。
翌日。「伸光湯」の郵便受けにある封筒が届けられていました。京介はその中身を澪に伝えようとしましたが、一生懸命に働く澪の姿を見るとどうしても話せませんでした。京介は「今日は休むわ」と外出の支度を始めると、澪は「私がやるんで」と言い出しました。澪は一人で浴場を掃除し、窯を焚き、湯船に張ったお湯の加減を確かめていきました。
澪が一人で「伸光湯」を切り盛りしている頃、京介は稔仁の店で飲んでいました。既にこの地域は再開発の対象となっており、稔仁はこれを機に故郷の札幌に帰る意思を固めていました。すっかり泥酔した京介は町のあちこちに貼られていた再開発を告知するポスターを破り捨てていきました。
後片づけも終わり、すっかり静かになった「伸光湯」に京介が帰ってきました。京介は澪に、「伸光湯」を含む町の一角が立ち退きを迫られていることを告げました。京介は「わかってたことだけど…」と深くうなだれていました。
翌日。追い打ちをかけるように「伸光湯」に1本の電話がかかってきました。それは久仁子の訃報を知らせるものでした。澪は京介と共に野尻湖に戻り、一児の母となった妃菜と再会しました。京介は澪の叔母に、「伸光湯」を畳むその日までは澪の面倒を見ることを約束しました。
わたしは光をにぎっているの結末
澪は夜明け前の野尻湖に入り、かつて久仁子と共に船に乗った時のことを思い出していました。久仁子は澪が本を読んでいないことに気付くと、「言葉は必要な時に向こうからやって来るものなのよ。形あるものはいつかは姿を消してしまうけれど、言葉はずっと残る。言葉は心だから。心は光だから」
「伸光湯」を潰すことになってしまったことを悔やむ京介に、澪はかつて久仁子から教わった言葉を振り返りながら「見る目と聞く耳、それがあれば大丈夫。最後までやりきりましょう。どう終わるかって多分大事だから。うん、ちゃんとしましょう」と語りかけました。
東京では「キノ・シネマ」も、稔仁の店も、商店街の店も次々と閉店していき、次々と取り壊されていきました。そして「伸光湯」最後の営業日。澪と京介は大感謝祭を開き、浴場で銀次が撮ったドキュメンタリー映画の特別上映会を行いました。
「伸光湯」には銀次、美琴、稔仁や町の人々が訪れ、スクリーンにはこの町の人々の営み、そしてこれから消えようとしている町の風景が克明に映し出されていました。その夜、澪は京介のすすり泣きを聞きました。翌朝、澪は京介に見送られて「伸光湯」を後にしました。
「けれど自分はにぎつてゐる いよいよしつかり握るのだ あんな烈しい暴風の中で摑んだひかりだ はなすものか どんなことがあつても おゝ石になれ、拳 此の生きのくるしみ くるしければくるしいほど 自分は光をにぎりしめる」
それから1年後。タワーマンションに引っ越した京介は求人誌を手に再就職活動に勤しんでいました。そして「鹿島湯」という銭湯を訪れた京介は、そこの番台に座っている澪の姿を見つけました。
以上、映画「わたしは光をにぎっている」のあらすじと結末でした。
この映画の感想を投稿する