舞妓はレディの紹介:2014年日本映画。訛りのきつい少女が一人前の舞妓になるべく奮闘する姿を描いた作品。歌は吹き替えなしで出演者が生歌を披露している。
監督:周防正行 出演:上白石萌音(西郷春子)、長谷川博己(京野法嗣)、富司純子(小島千春)、田畑智子(百春)、草刈民代(里春)、渡辺えり(豆春)、竹中直人(富さん)、ほか
映画「舞妓はレディ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「舞妓はレディ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
舞妓はレディの予告編 動画
映画「舞妓はレディ」解説
この解説記事には映画「舞妓はレディ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
舞妓はレディのネタバレあらすじ:起
京都の花街・下八軒では、今日も舞妓遊びが繰り広げられていました。しかし下八軒には舞妓がたった一人しかおらず、その舞妓の百春(田畑智子)も、もうじき30歳を迎えようとしていることから、いいかげん芸妓にさせてくれないかと女将に頼んでいます。
節分の夜に下八軒の万寿楽に少女が訪ねてきました。その少女は名前を春子(上白石萌音)と言い、青森から舞妓を目指してやってきたのでした。舞妓がたった一人しかいない下八軒では本来歓迎すべきものでしたが、春子はその生い立ちから、津軽弁に加えて鹿児島弁も混じるという曲者で、押しかけるようにして尋ねてきた春子は女将の千春(富司純子)に門前払いされてしまいます。偶然居合わせた言語学者の京野(長谷川博己)は、春子の訛りが鹿児島弁と津軽弁であることをすぐに見抜き、彼女に興味を持ちます。
京野は同じ席に居合わせていた老舗の呉服屋の社長である北野(岸部一徳)と、春子の訛りを直して立派な舞妓にするというお題で賭けをします。京野が勝った場合は、これからのお茶屋遊びの勘定は北野が持ち。負けたら下八軒には出入り禁止というものでした。春子は京野が後見人となることで見習いとして万寿楽に住み込むことになり、舞妓としての修行が始まるのでした。
舞妓はレディのネタバレあらすじ:承
春子は着物の着付けもろくに行なうことができず、舞妓になるための修行は0からのスタートとなりました。舞妓になるためには京都弁は必須ですが、春子は京都弁はおろか、少し焦るだけで鹿児島弁や津軽弁が出てしまう始末で、とくに言葉遣いには手を焼いていました。春子は言語学者である京野の大学へと足を運び、京野からパソコンの音声解析を駆使した京都弁の発音や、舞妓に必須の三単語など実践的な京都弁を学んでいきます。
他にも踊りや三味線、長唄など慣れない修行に春子は必死についていくのでした。厳しい稽古を終えて京野のもとへやって来た春子は、京野がやって来る前に研究室で眠ってしまいます。京野がやって来たことで目を覚ました春子は、稽古について思わず京都弁で愚痴を漏らしますが、言葉の端々に誤った京都弁が散見され、京野に言葉遣いを直されてしまうのでした。
その日も遅くまで京野とともに京都弁の練習は続きました。京野は春子に「京都の人でもしゃべる言葉や所作はみな異なる」と言い、だからこそ春子が京言葉を話しているときも自信を持って話すべきだと語るのでした。帰り道、花街まで送ってくれた京野の姿に、春子はいつしか惹かれていくのでした。
舞妓はレディのネタバレあらすじ:転
しかし春子は肝心なときに鹿児島弁が出てしまったり、些細なミスを繰り返してしまうこともありました。また京野と同じ大学で助手をしている大学院生の西野からは、舞妓という仕事を良く思っていないことを聞かされ、京野も春子のことを思って京言葉を教えているわけではなく、自らが花街で認められたいがために行なっていることだと話すのでした。
そんなことが重なり、春子はあるとき声が出せなくなってしまいます。そんな話を聞いた呉服屋の北野は、イップスではないかと話し、京言葉を話さなくてはならないというストレスから、言葉自体が話せなくなったのではと話すのでした。自らの話したことがきっかけで言葉が話せなくなったのではと気に病んでいた西野は、京野に相談し、京野は自分も春子と同じく鹿児島出身であることを伝えて春子を励まします。
女将の千春は自分が若い頃の初恋の話や、目をかけていた舞妓・一春の話などを聞かせます。それを聞いて春子はハッとします。春子は幼い頃に両親を亡くしていましたが、若い頃の母は京都で舞妓をしており、一春という名前で舞妓をしていたと聞かされていたのでした。春子は千春から少しずつでも稽古に出てみないかと勧められ、踊りの稽古を再開します。
厳しい踊りの師匠は春子がしゃべれなくても容赦することはなく、その厳しい姿勢に春子は初めて涙を流してしまいます。しかし初めて感情をあらわにしたことがきっかけとなり、春子は再び声を出せるようになるのでした。
舞妓はレディの結末
声が出せるようになり、春子の舞妓になるための修行は続いてしました。そして春子の先輩舞妓である百春は芸が認められるようになり、ようやく舞妓から芸妓へと鞍替えすることができたのでした。春子は京野のもとへ行き、京都弁で書かれた本を朗読します。それは紛れもない綺麗な京言葉で、春子の舞妓修行の努力のたまものでした。
また、踊りも上達し、所作や振る舞いは舞妓と言うにふさわしいものになっていました。そしてついに春子は「小春」として舞妓デビューをすることが決まるのでした。
春子が舞妓になった日には、万寿楽の女将や芸妓が総出で祝い、北野や京野など馴染みの客もやって来ていました。女将や芸妓たちは春子が一春の娘であることに気がついていたと言い、春子は驚くのでした。さらに春子は京野の研究室で西野から、京野が本当は東京の出身であることを聞かされます。京野は鹿児島弁で話していたのは春子を励ますためだったと言いますが、春子はショックを受けた様子で喉元を押さえ、再び声が出なくなったふりをして京野たちを慌てさせるのでした。
節分の夜、思い思いの仮装をした花街の人たちと舞い踊りながら、春子は北野に一人前の舞妓として認められます。京野も賭けに勝利したことで大手を振って花街を歩けるようになり、春子は歌いながら「先生のことが大好き」と叫ぶのでした。
以上、映画「舞妓はレディ」のあらすじと結末でした。
「舞妓はレディ」感想・レビュー
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この映画は、往年の名作「マイフェアレディ」を「舞妓はレディ」に置き換えた周防正行のエポックメイクな「記念碑」である。かの名匠ジョージ・キューカーもアッと驚く斬新な演出は、まさに周防の独断場であろう。諧謔と哀愁の妙このコントラストは大胆であるが繊細でもある。このユーモアとペーソスとアイロニーを詰め込んだ「折衷の美学」こそが周防正行の世界なのである。京随一の花街「上七軒」を下八軒に置き換えて「極彩色」の紙芝居が展開してゆく。ヒロインの春子は16歳の「おぼこ娘」でこれは「ダイアの原石」である。「京ことば」と「花街ことば」を身に付けるのは成人にとってはいささか難しい。でも育ち盛りの賢い少女なら問題はない。春子の「天真爛漫」な笑顔と「感傷的」な仕草、この「光と影」(光彩と陰影)の対比と折衷が素晴らしい。私はふと浅田真央のことを思い出した。2007年1月に「なみはやドーム」でお姉さんの舞さんと16歳の真央ちゃんに初めて出逢った。しかし彼女はこの時もう既に「原石」ではなかった。私はまだまだあどけない真央ちゃんと談笑した(真央ちゃんは大爆笑)。その時に間近で見た真央ちゃんの「瞳の輝き」(目のキラキラ)が忘れられない。真央ちゃんがお姉さんと一緒に開演前の観客席の通路を走ってウオームアップした直後のことだった。そして自分の出番(アイスショー)を終えた後も、バックヤードで雑誌の取材や写真撮影に笑顔で応じる明るい真央ちゃん。この作品で春子を等身大で演じた上白石萌音16歳と浅田真央の16歳が被って見えたのである。真央ちゃんの「瞳の輝き」と萌音ちゃんの「瞳の輝き」がラップしていて思わず涙が出そうになった。そして私はかねてより浅田真央には是非とも艶やかな「舞妓姿」を披露して欲しいと熱望していた。しかし残念ながら私はプロデューサーでもなければクリエイターでもない。現場を預かる運営スタッフ(現場責任者)に過ぎない。なので2015年の「エアウィーブの新作CM」に舞妓姿の真央ちゃんをみた時は甚く(いたく)感動した。もしも舞妓姿の16歳の萌音ちゃんと真央ちゃんがお酌をしてくれたなら、私はその場で倒れてそのまま昇天してしまうかも知れない。絶対にこんな「両手に花」などはないのだから。 萌音の「糖蜜」の甘さを抑える草刈民代の「絶妙の渋さ」もまた際立っていた。舞踊藝術(バレエなど)のマニアなので草刈民代の肢体と振る舞いにはついつい目がいく。草刈民代は「宮崎アニメ」に登場する逞しき「女傑」の役がお似合いだ。セクシーでシャープでクレバーなのだから。 岸部一徳などの生粋の京都人もしっかりと映画の画面を引き締めていた。私もまた生粋の京都人である。千本丸太町から千本今出川(西陣のど真ん中)が私の故郷だ。上七軒がある北野天満宮の界隈は子供時代の遊び場でもあった。そして上七軒のお茶屋は父の「遊園地」なのであった。正月には我が家の大広間(座敷)に親戚一同が揃い、上七軒からは芸者さんがふたりと、料亭が丸ごと(スタッフ全員が)出張しての「新年会」が恒例なのであった。私は花街にはついぞ縁がなかったが、父は上七軒に心身ともに入り浸っていたのだ。お茶屋(置屋)の女将さんの一人娘が毎月集金にやって来た。その折には高級な和菓子や高価な玩具をもらったものだ。いったいどれだけの金をつぎ込んだものやら見当もつかない。祖父母もまた北野界隈で料亭を営んでいた。これらは昭和30年代~40年代に掛けてのエピソードである。 「舞妓はレディ」を通して万華鏡を覗き込み、浦島太郎の亀(タイムマシン)に乗って、半世紀も前の「昔の西陣」(パラレルワールド)を垣間見たのだ。そしてふと我に(現実に)かえった時に、隔世の感を覚え郷愁の念に駆られるのである。富司純子も私も竜宮みやげの「玉手箱」を開けてしまったのだ。「齢」を重ねた富司純子の「しわの深さ」(年輪)を見てふとそう思ったのである。NHKのBS放送での7年振り2度目の映画鑑賞であった。
ミュージカル演出も素晴らしいし、萌音ちゃんの初々しい演技も可愛かった!