峠 最後のサムライの紹介:2019年日本映画。慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は旧幕府軍の東軍と、明治新政府軍の西軍に二分していた。慶応4年、鳥羽伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発。越後の小藩、長岡藩の長老・河井継之助は東軍西軍いずれにも属さず、近代兵器を備えてスイスのような武装中立を目指した。しかし、平和への願いもむなしく談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と戦う決断を下した。原作は累計発行部数398万部超の大ベストセラーとして今なお読まれ続けている司馬遼太郎の名著『峠』。動乱の幕末に生きた最後のサムライ、河井継之助の最後の1年を描いた歴史超大作。
監督:小泉堯史 出演:役所広司(河井継之助)、松たか子(おすが)、香川京子(お貞)、田中泯(河井代右衛門)、永山絢斗(松蔵)、芳根京子(むつ)、坂東龍汰(小山正太郎)、榎木孝明(川島億次郎)、渡辺大(花輪求馬)、AKIRA(山本帯刀)、東出昌大(徳川慶喜)、佐々木蔵之介(小山良運)、井川比佐志(月泉和尚)、山本學(老人)、吉岡秀隆(岩村精一郎)、仲代達矢(牧野雪堂)ほか
映画「峠 最後のサムライ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「峠 最後のサムライ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「峠 最後のサムライ」解説
この解説記事には映画「峠 最後のサムライ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
峠 最後のサムライのネタバレあらすじ:起
慶応3年10月。
徳川慶喜が旗本を集め「政権を朝廷へ返上する」と伝えました。この大政奉還により、260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎えることとなりました。
しかし、薩摩藩と長州藩の薩長勢力はそれだけでは満足しませんでした。徳川家の権力を完全消滅させるために王政復古の大号令を発布し、明治新政府の樹立を宣言。政権の掌握に成功した西軍は鳥羽伏見の戦いをきっかけに、慶応4年1月、戊辰戦争へと発展させました。
その頃、越後国を治めていた長岡藩は藩主牧野雪堂のもと家老に就任した河井継之助が藩政の改革を行っていました。江戸や長崎を遊学した経験を持つ継之助は広い知見を得ており、日本が東軍か西軍か二分する中、戦争を回避しようとガトリング砲などの近代兵器を備えて長岡藩をスイスのような武装中立の藩にする準備を進めていました。
峠 最後のサムライのネタバレあらすじ:承
西軍は天皇家の菊紋が入った錦旗を掲げたため官軍となり、東軍は図らずも賊軍とされてしまいました。どちらに付くべきか藩論も二分される中で、物騒な世の中になっていきました。継之助は妻おすがと酒を飲みながら束の間の幸せをかみしめました。
そんな中、東軍の中心となる会津藩討伐のため北を目指した西軍が、ついに長岡にほど近い小千谷まで迫ってきました。
慶応4年5月。
継之助は小千谷の慈眼寺を訪れました。新政府軍監、土佐藩の岩村精一郎と会談をするためです。継之助は雪堂から託された嘆願書を差し出し、民たちをこれ以上犠牲にしないよう平和的解決のための調停役を申し出ました。ところが、精一郎は激怒しました。上納金の献上も遅れていながら嘆願書まで受取れと言う継之助を断固拒否。さっさと立ち去ってしまいました。
しかし、なんとしてでも戦争を避けたい継之助は諦めることなどできませんでした。何時間たっても慈眼寺から離れず、門番に何度も謁見を訴えました。あたりはすっかり暗くなっていました。しかし、睡眠を邪魔された精一郎は継之助を強制的に追い払い、会談は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と戦う決断を下しました。
峠 最後のサムライのネタバレあらすじ:転
長岡藩は奥羽越列藩同盟に加盟し、北越戦争を開戦させました。長岡藩兵は山本帯刀らによる近代的な訓練と最新兵器の武装により、大軍を率いた西軍と互角に戦いましたが、絶対的な兵力に劣る長岡軍は少しずつ押され始めていきます。
そして5月19日。守りが甘かった信濃川を西軍が強行渡河し、長岡城を奪われてしまいました。
その後、継之助はある奇襲を思いつきます。それは湿地帯の八丁沖の沼を深夜にかけて渡り、長岡城を奪還するという作戦です。7月24日、夕刻。この地を知り尽くしている鬼頭熊次郎を先頭に渡沼作戦は実施され、翌日、長岡城を奪還しました。一度落城した城が奪還されることは異例の事態でもありました。
しかし、この時に継之助は左足に流れ弾を受け重傷を負ってしまいます。
一方西軍は、一度は後退するもののすぐに体勢を立て直し反撃に出ました。ここにきて同盟藩だった新発田藩の寝返りが判明し、兵力を失った東軍は攻撃に耐えることができず、7月29日に長岡城は再び落城。奪還からわずか4日後のことでした。
こうして北越戦争は西軍の勝利に終わりました。
峠 最後のサムライの結末
傷が悪化した継之助はもはや1人で歩くことができず、担がれながら会津に向けて八十里峠を渡りました。しかし、途中でこれ以上は進むことはできないと判断した継之助は従僕の松蔵だけを残し、付き人らと別れ会津塩沢で休むことにしました。
8月15日。
継之助は松蔵を呼び言いました。「火葬の仕度をしてくれ」と。
その翌日、継之助は息を引き取りました。
おすがが継之助の句を詠みます。
形こそ 深山がくれの 朽木なれ
心は花に なさばなりなん
以上、映画「峠 最後のサムライ」のあらすじと結末でした。
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