天気の子の紹介:2019年日本映画。『君の名は。』の歴史的大ヒットから3年、新海誠監督が満を持して送り出した長編アニメーション作品。島を飛び出し、雨の降り続く東京へやって来た帆高。彼が知り合った陽菜は天気を操ることができる晴れ女だった? 本作も『君の名は。』から引き続きロックグループ「RADWIMPS」が音楽を手掛け、雨の止まない異常気象に見舞われた近未来の東京を舞台に、100%の晴れ女といわれる不思議な力を秘めた少女と、家出少年との交流を現代社会の闇も交えて新海作品ならではの映像美で描きあげていきます。なお、本作は『君の名は。』と世界観を共有しており、同作の登場人物もカメオ出演しています。
監督:新海誠 声の出演:醍醐虎汰朗(森嶋帆高)、森七菜(天野陽菜)、小栗旬(須賀圭介)、本田翼(夏美)、吉柳咲良(天野凪)、平泉成(安井刑事)、梶裕貴(高井刑事)、倍賞千恵子(立花冨美)、花澤香菜(カナ)、佐倉綾音(花澤綾音)、市ノ瀬加那(佐々木)、木村良平(キムラ)、野沢雅子(占い師)、上白石萌音(宮水三葉(特別出演))、神木隆之介(立花瀧(特別出演))ほか
映画「天気の子」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「天気の子」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
「天気の子」の予告編 動画
映画「天気の子」解説
この解説記事には映画「天気の子」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
「天気の子」のネタバレあらすじ:起
雨が降り続く世界。ひとりの少女が雨空から差し込む一筋の光に導かれ、いつしか廃ビルの屋上にある小さな鳥居に辿り着いていました。鳥居をくぐった少女は雲を突き抜けて上空高く舞い上がり、いつしか空と雲が織りなす壮大な景色を目の当たりにしていました・・・。
2021年。故郷の離島から家出してきた16歳の高校1年生・森嶋帆高(醍醐虎汰朗)は、東京に向かうフェリーでフリーライターの須賀圭介(小栗旬)と出会い、何かあったら頼ってほしいと名刺を渡されました。帆高が辿り着いた東京は異常気象に見舞われており、長期間にわたって雨が降りしきっていました。
帆高はネットカフェで寝泊まりするも金が底を尽き、身分証明書がないためにバイトにもありつけませんでした。そんな時、警察官に遭遇した帆高は補導を恐れて逃げ出し、途中で偶然にも捨てられていた拳銃を手に入れました。
たまたま出会ったファストフード店の若き女性店員にハンバーガーを恵んでもらった帆高は須賀を頼ることにし、彼の元で住み込み・食事つきで働くことになりました。須賀は姪でアシスタントの夏美(本田翼)と共に、雑誌『ムー』などにオカルト系の記事を書いており、帆高は須賀や夏美の仕事の手伝いや身の回りの世話をこなしていきました。
「天気の子」のネタバレあらすじ:承
そんなある日、帆高は以前ハンバーガーを恵んでくれた少女が怪しげな男に囲まれているところに出くわし、咄嗟に少女を連れて逃げようとしました。そして帆高は追ってきた男に拳銃を向けて発砲、弾は男には当たらなかったものの、女性は帆高を連れて廃ビルへと逃げ込みました。
少女の名は天野陽菜(森七菜)といい、自分はアルバイトをクビになったことを打ち明けると、帆高を廃ビルの屋上にある祠まで連れ出しました。そこで陽菜は「ねえ、今から晴れるよ」と告げると、あれだけ降り続いていた雨がピタリと止み、辺り一帯に晴天が晴れ渡りました。陽菜こそがまさしく都市伝説で噂になっていた“100%の晴れ女”だったのです。
母を亡くしている陽菜は弟の凪(吉柳咲良)と貧しい二人暮らしをしており、帆高は陽菜に金稼ぎのため晴れ女の能力を活かすべきだと提案、依頼用ホームページを立ち上げたところ次々と依頼が入り、「君の名は。」の主人公・立花瀧(神木隆之介)の祖母・冨美(倍賞千恵子)の依頼を聞くなどしているうちに次第に評判となっていきました。
しかし、順風満帆と思われていた晴れ女ビジネスでしたが、とある花火大会でテレビに映ってしまったことをきっかけに依頼が殺到してしまい、帆高たちは既に受けた依頼だけはこなした上で、当分の間休業することにしました。
やがて帆高は誕生日が近い陽菜のためにプレゼントを買おうと思い立ち、「君の名は。」のヒロイン・宮水三葉(上白石萌音)が働くアクセサリーショップで指輪を購入しました。一方、とある神社へ取材に出向いた須賀と夏美は、伝説の“天気の巫女”の話を聞きつけていました。
「天気の子」のネタバレあらすじ:転
帆高たちは休業前最後の依頼として須賀の頼みを聞き入れ、須賀の一人娘・萌花のために公園一帯を晴れにしてあげ、みんなで楽しいひと時を過ごしました。ところが、いざ帆高が陽菜に指輪を渡そうとすると、陽菜はいつの間にか宙に浮かび、しかも少しずつ身体の一部が透けていることに気が付きました。陽菜は帆高に、自分が晴れ女になった経緯を説明しました。
1年ほど前、導かれるように廃ビル屋上の祠に辿り着いた陽菜は、死の床にあった母ともう一度晴天の空の下を歩きたいと願ったその時から晴れ女の力を手に入れたというのです。
ところが、帆高は故郷の両親から捜索願が出されていたことに加えて拳銃を使っていたことが警察に発覚してしまい、陽菜の家や須賀の事務所にまでも警察の捜査の手が及ぶようになっていきました。須賀からも逃げるよう促された帆高は陽菜や凪を連れてとあるホテルに身を隠し、ほんの束の間の安らぎを得ました。
ところが、帆高から指輪を受け取った陽菜は自分が“人柱”であると告げ、自分が犠牲になることで東京は本来の気候を取り戻すのだと説明しました。帆高は陽菜の話が信じられませんでしたが、夜が明けるといつの間にか陽菜は姿を消しており、そして東京は数か月ぶりの晴天に恵まれていました。
「天気の子」の結末
まだ陽菜に本心を伝えていなかった帆高は、彼女が“人柱”になったことに気付き、夏美の助けを得て廃ビルを目指しました。帆高は廃ビルで待ち構えていた須賀、追いかけてきた警察を振り切って屋上の祠に辿り着き、そこで強く祈るといつしか帆高は東京の遥か上空へと舞い上がり、そこで積乱雲に囚われた陽菜を見つけました。
自分が元の世界に戻れば東京は再び異常気象に見舞われてしまうと言う陽菜に、帆高は「天気なんて狂ったままでいいんだ!」と叫び、彼女の手を取って下界へと舞い戻っていきました。そして帆高は警察に逮捕され、東京には再び雨が降り始めました。
3年後。東京はいまだに雨が降り続け、その大半が水没してしまっていました。3年ぶりに東京に舞い戻った帆高は陽菜と再会を果たし「僕たちは大丈夫だ」とこれから一緒に生きていく決意を新たにしました。
以上、映画「天気の子」のあらすじと結末でした。
新海誠監督の作品一覧
「ほしのこえ」のネタバレあらすじ(2002年)
「雲のむこう、約束の場所」のネタバレあらすじ(2004年)
「秒速5センチメートル」のネタバレあらすじ(2007年)
「星を追う子ども」のネタバレあらすじ(2011年)
「言の葉の庭」のネタバレあらすじ(2013年)
「君の名は。」のネタバレあらすじ(2016年)
「天気の子」のネタバレあらすじ(2019年)
「天気の子」考察:新海誠監督と空
新海誠監督と聞いて真っ先に浮かぶのは、美しい空模様。作品ごとにその様子は異なるけれども、描かれる空は長く、監督の作品を彩ってきている。時には遠い宇宙から電波を運び、ある時は飛行機を浮かべ、シャトルが飛び立つのを見守る事もあった。『君の名は。』では、黄昏時として時空の曖昧になる瞬間の装置の役割も担った。そして、この空は『天気の子』で、役名こそ与えられてはいないものの、天空の異世界で、天気を操るという事で、意思を持つものとして描かれている。
ずっと新海作品を変幻自在に彩ってきたこの空に、意思(役目)が与えられたことは、しかるべくして起こったことのように思う。それほどまでに、過去作品から今に至るまで、ただの『背景』で終わらせるにはもったいないと感じるほど、空の描写は卓越している。もちろん、主人公とヒロイン以外に、『気象』や空から降る魚という形以外で、意思を表す事こそないが、第三の重要な役と言っても差し支えないように思う。
そして、いつもの新海監督のスタンスかもしれないが、人間は、地球上の表面から数キロメートルの事しか、空にしても海にしても解明しておらず、そのスケールの違いの対比も暗に描いている。深海の謎については語られることはよくあるが、空の世界の謎について語られることは、古くはおとぎ話に語られたかもしれないが、現在、気象学以外にあるだろうか。新海監督が、この『天気の子』を作った事は、必然だったのではないかとすら思えてくる。そして描かれた空の上の世界で魚たちの戯れる姿は、まるで海の中でも見ているようだった。
空も海も水で構成されているものなので、天と地上に別れた水の間に、人の住まう陸地が挟まれていると考えると、空の上を自由に泳ぐように飛び回る魚たちにも納得が行くように思う。単なる仮想現実とは言い切れないほどのリアルさが、新海監督の描く空にはある。
「天気の子」考察:代償を取る意味
空は人柱として、一人の少女、陽菜を要求する。それまで『晴れ女』として雨ばかりの東京に訪れていたのは、ほんの少し気が休まる程度の晴れ間。勿論そのわずかな晴れ間を作るだけでも、陽菜の身体は空の世界へ持っていかれる。身体に生じた異変を見せるシーンがあるが、透けているのではなく、よく見ると雲の上の世界を宿しているように見えるので、晴れを作るごとに、身体を少しずつ持っていかれていると考えるのが妥当だと思う。
供物として雲の上の世界に捧げられる人柱は、命を捧げる生贄ではなく、あくまでもあちら側(天気の子でいう所の雲の上の世界)への捧げ物なので、それは死とは直結しない。勿論、別れはあるけれど、命を捧げていない以上、帆高が助けに行く猶予もできたのだと思う。
天気の子の作品世界での空には、意思がある一つ大きな生きもののように描かれている。神社が出てくるので、それを神さまと例えてもいいかもしれない。風と水を操り、大気を動かすのに、その神さまはさぞかし力を使うだろうが、陽菜の身体を少しだけ自分の側に引き入れて晴れ間を、陽菜が何も差し出さずにいれば夏に雪を降らし、陽菜を完全に自分の世界に取り込んで、夏らしい晴れをもたらす。随分その振れ幅が大きいように見える。けれど、異常気象によって、人柱を差し出すように空の側から脅しをかけてくる事は一切ない。
その代わり、陽菜に力を与え、自分を差し出すかどうかを、ほぼ彼女の意思に委ねているように見えるあたりは、とても現代的な考えの神さまのように思えてくる。人が変わっていくように、神さまもずっと古いままではなく、人と同じように時間をかけて変わって来たのなら、この『空』という神さまの代償の取り方も、決して古めかしくはないと思う。そして、空や大気として、常に人と密接に関わって来たからこそ、人のありようが変わって来たように、変わって来れたのだと思う。
代償を取るという根本的な所は変わっていないけれど、それは人間が息をして何かを食べないと命を維持できないというのと同じで、『空』の神さまが、空を正常に操るための必要不可欠なエネルギーなのだとしたら、人と空の神さまは、立場としてとても対等のように見えてこないだろうか。さらに、自然を構成する要素としたら立場による差はあまり感じない気がする。そこには、自然という物に神様を見出し信仰する、日本の古来からの宗教観が見え隠れしている。
「天気の子」考察:抗い続けること
新海監督の作品では、どうしようも無い状況に対する抵抗が、まま描かれてきた。それと同時にどこかに「諦め」や「絶望」が潜んでいる。最終的に抗い切れずに、諦めや絶望に飲まれて、いわゆるアンハッピーエンドを迎える事が多々あった。しかし、前作の『君の名は。』では抗い切り、ハッピーエンドを迎えた。おそらくあそこまできれいな大団円というのは新海監督作品では初めてのように思う。
今作では、陽菜は自分に与えられた人柱の役目を全うしようとした結果、陽菜と世界のどちらを取るかという、究極の選択を帆高は迫られました。世界のために陽菜を諦めて生きていくか、水浸しの世界にしてでも陽菜を取り戻すか。帆高は最後まで抗い、後者を取りました。どちらが正しいというわけではありませんが、どうしようもない現状の中で、最後まで「諦め」に飲まれることはなかった。それは帆高が今までの主人公たちより少し若かったからというのも関係していないだろうか。
人はどこまでが子供で、どこから大人だろうか。子供の頃には出来たことが出来なくなったのは、大人になってそれがふさわしい振る舞いでないと、どこかで考えるからではないだろうか。帆高は年頃的にちょうど子供と大人の中間にいる。故郷の島を飛び出し、東京へやって来るという突拍子の無さは、子供心のなせる技かもしれないが、東京で生活することについて考え始めるあたりから、急激に大人になろうとあがいているのが見てとれる。
ただ、帆高が東京での生活で完全に大人になっていたら、抗い続ける事はなかっただろう。どこかで、これは世界のためだと無理矢理心の中に折り合いをつけてしまって、一度は人柱になることを覚悟した陽菜を、空から取り戻そうとは思わなかったと思う。その結果、何が起こったかというのは言うまでもないが、それでも人は逞しく、順応するのも案外早いというのも見てとれる。
今まで、人知れず、この物語の世界でどれだけの人柱が空に飲み込まれていったかは分からないが、人柱の陽菜を取られた空は、そのまま雨を降らせ続ける以上の事はせず、天気を操る以上の制裁を、帆高や陽菜には与えていない。勿論、人柱ではなくなった陽菜の願いをその後聞き入れることもしていない。空は陽菜との関わりが解消されただけで、それぞれ自分の領域に戻り、それ以上干渉する事はない。おそらくこれからも無いだろう。
ではこれから、この二人はどうなるのか。水浸しにした責任感をずっと背負っていくのだろうか。おそらく陽菜を空から取り戻すと決めた時点で、帆高は再び天気が狂うことを予想していただろう、それを押し通してでも、好きになった陽菜を取り戻そうとした帆高は、責任を感じる事はあっても罪悪感を感じる事はないだろう。だからこそ再び東京を訪れ、陽菜に再会する事にも迷いの一つもなかったのだろうと思う。そして、これから陽菜の隣で共に生きていく事こそが、帆高にとっての責任の取り方なのだろう。
「天気の子」感想・レビュー
-
とにかく風景が美しい事に感動しました。雨粒ひとつひとつも繊細に描かれていて、ウチのおチビちゃんも楽しんで見ていましたし、一緒に見ていた大人も映像だけではなく、リアルな現代の問題にいくつか触れていた内容だったので、考えさせられる面もありました。
流れる映像とREDWIMPSの音楽が合わさるシーンは感情を盛り上げる効果が絶大です。いろんな角度から楽しめるので、おすすめな映画です。 -
まず、描写が綺麗。
現実的な黒い部分がハッキリと描写されていて、映画本来の非現実的な世界としての部分もハッキリと描写されている映画で、現実的なこともあるが非現実的でもあるという不思議な感じがする映画でした。 -
すごくおもしろかったです!絵がとても綺麗で。ラストはめちゃめちゃ感動して泣いてしまいました。DVD も購入しました。とにかく最高の映画でした!(語彙力なくてすいません)
-
とても面白い内容だったのだ
泣いてしまったのである -
こういう映画大好きなのでとても観れて嬉しかったです!!映画館で大泣き、今思えばとても恥ずかしい思い出です、、
-
昨日もKBCテレビで見ました
筋は熟知していましたがマンネリ化もしないで色々と気付かされる事もあり面白く鑑賞出来ました。
続編が待たれますが、『続・天気の子』より劇中でも何度か出て来た
『天気の巫女(みこ)』でいいと思います。3部作の序破急の破に当たります。
登場人物の正体が設定されていませんので今回で色々と判明して来ます。
先ずは、
森嶋穂高について、小笠原諸島の仮想の島、森島に在る神社の神主の息子。
御神体は竜神。明治以前は”雨乞い”を生業とした神社ですが
科学の発達と共に廃れ森島に流れ着きこの地に封印され土着した。
その息子だから言わずと知れた”雨男”で、愛称もそのまんま
いやでいやで森島を船で出たところで、須賀圭介と出会った。
天野陽菜について、母の出生が天照大御神様のお隠れになられた天岩戸の
前で乱舞しました天鈿女命(あまのうずめのみこと)の子孫。
須賀圭介について、前作のエンディングの事務所の背景からして、
帝都大学地球物学の教授で、伝説の岩戸をこじ開け女神を外に連れ
出したというあの有名な神話の
手力男命(たちからおのみこと)の末裔に当たり、これに反発して
科学者に成ったという経緯がある。こうしてみれば3人の出会いは偶然ではなく、神々の画策による意図的なもので有ったと思われる。
その目的と云えば、天候不順を修正させることで有った。『天気の巫女』あらすじ
titleBack後
「ママ、お魚が居るよ」
「ハイハイ」
「サメも来たよ」
「エぇはいはい」
、、その後静かに成り、不思議に思い子供部屋に向かい覗き込んだ時
大きく口を開けて襲い掛かって来る巨大なサメが出現し、と同時に静寂になりその後の事は誰も知らない、、二人の再開後も雨は降り止まず
何時しか、海と陸地の見境も付かなくなってきて、初めに小魚が、続いて大型魚が餌を求める様に海水域から陸地の方に上がって来た。軈て水性生物と陸上生物とが同時期同空間の地上で同居する事と成った。
其れだけだったら良かったが危険生物までもが海から這い出してきた。
黒雲の狭間から触手を伸ばし危害を加える”クラ―ゲン”と呼ばれる電気クラゲの怪物との戦いが、本篇最大のハイライトと成ります。
……
愈々、伝説と科学が融合する”リュウジン”と名付けられたマシンが北極圏に設置され稼働にこぎつけるが
人類念願の気象コントロールマシンが完成できるのか
三部作目の”急”に当たる
『天気の天女』をこうご期待ください。
※あとがき
誠、、に勝手ながら新海釈で有るかのように空想し想像してみて物語を耕作し組み立ててみました。
只今放映中の『すずめの戸締り』からも新たにインスピレーションをが湧き出しましたが
これにも三部作が可能ですか
『すずめのお宿は鈴女』で新たな魑魅魍魎との戦い
とか
『鈴目の戸締り』で三本足の椅子と八咫烏の関係とか
の三部作で完結させる。
、、、マコトにシンカイ釈に
捨てる神あれば拾う神ありです
オキキ下されば光栄です
ネットでは様々な考察がありますが、考察をしないでも楽しめる作品で、最初から最後までテンポ良くとても美しい作品に思いました。まだ小学1年生の子供も、新海誠さんの世界観にすっかり魅入ってしまった様子で、天気の子のDVDを購入してあげたらもう何十回も繰り返し見ている毎日です。映像はもちろん、物語も美しく、音楽では【君の名は。】に引き続きRADWIMPSが担当しています。クライマックスはボーカルの野田洋次郎さんが優しい声で包み込んでくるので、そこから一気に感動しますね!今でも親子揃って大好きな映画です(*^ω^*)