バケモノの子の紹介:2015年日本映画。バケモノの子は細田守監督のオリジナル長編アニメ。バケモノと少年の奇妙な師弟関係や親子の絆を描く。一人ぼっちの少年は迷い込んだバケモノの世界「渋天街」で一人ぼっちのバケモノ熊徹の弟子になる。人間とバケモノの壮大な冒険と心の交流を描く物語。
監督:細田守 声優:役所広司(熊徹)、宮崎あおい(蓮・九太 / 少年期)、染谷将太(蓮・九太 / 青年期)、広瀬すず(楓)、山路和弘(猪王山)、宮野真守(一郎彦 / 青年期)、山口勝平(二郎丸 / 青年期)、長塚圭史(九太の父)、麻生久美子(九太の母)、黒木華(一郎彦 / 少年期)、諸星すみれ(チコ)、大野百花(二郎丸 / 少年期)、津川雅彦(宗師)、リリー・フランキー(百秋坊)、大泉洋(多々良)、ほか
映画「バケモノの子」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「バケモノの子」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画バケモノの子の予告編 動画
映画「バケモノの子」解説
この解説記事には映画「バケモノの子」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
「バケモノの子」のネタバレあらすじ【起】孤独な少年が迷い込んだバケモノの世界
渋谷の街には平行世界としてバケモノの住む渋天街がある。そこにいるまとめ役の宗師は、バケモノを引退して神様に転生する事を宣言、そこで新しいまとめ役を誰がやるかが最近の話題となっている。候補は二人、人望も厚く品性も備えた猪王山と、粗暴だが腕っ節は負けない熊徹。宗師の後継者は血統によって決まるのだ。
人間界の夜の渋谷。両親の離婚と母の交通事故死によって孤独になってしまった少年・蓮は、本家に引き取られるのを拒否して逃げ出し、ストリートチルドレンをしていた。自転車置き場で隠れるように眠る蓮を見つけた熊徹は、弟子にならないか?と冗談半分で誘う。粗暴な熊徹には弟子にしても長く続いたものがおらず、かねてから弟子を取るように言われていた。
ある日、補導されそうになった蓮は渋谷の街からバケモノの領域である「渋天街」に迷い込む。もちろん右も左も分からない蓮は僧侶のバケモノに危うい所を救ってもらう。そして元の人間界に戻ろうという所で再び熊徹と遭遇。弟子になる気は無いものの熊徹のもとへ身を寄せるのだった。
バケモノたちの中で話題となっている宗師の跡継ぎ問題。みんなは、熊徹は宗師の跡継ぎになっていつか神様に転生したとしても、たいした神様にはなれない、ただ猪王山に勝ちたいだけだろうと笑う。ひょんなことから市場で対峙することになった熊徹と猪王山、しかし誰も熊徹を応援しない。蓮は熊徹が自分と同じように一人ぼっちなのだと感じ、熊徹に弟子入りする事にする。本名を明かすことを拒んだ蓮に与えられた名前は、九太(きゅうた、九歳だったから)だった。
周りは「人間は心に闇をはらんでいる、なぜ相容れずに暮らしているのか考えろ」と忠告するが、熊徹は、人間である九太がバケモノを脅かすような存在になるようには思えなかった。
「バケモノの子」のネタバレあらすじ【承】人間として生きるかバケモノとして生きるか
弟子と言っても、熊徹の指導は「胸の中の剣を握るように剣を握れ」など、イマイチ分からない。九太が街に出れば他のバケモノの子から「人間だ」といじめられる。唯一かばってくれるのは猪王山の長男・一郎彦だけだった。口の減らない九太と、はかどらない修業。熊徹は九太を人間の世界に帰そうとするが、そこへ宗師がやってきて、他の場所に住むバケモノのまとめ役への紹介状を持ってきて、九太と一緒に回るように言いつける。宗師の言う事を聞かない訳にはいかなかった。熊徹、九太、百秋坊、多々良の四人は修業しながら、諸国を巡り、その土地のまとめ役に強さとは何か?と問い、答えを探す日々を送る。
年月が経ち、青年に成長した九太は、反抗期。独り立ち宣言をして熊徹と喧嘩の末、逃げ出すと、人間の領域の渋谷に入っていた。子供の頃とは様相を変えた渋谷の街に、九太は逃げ出し図書館へたどり着く。そこで楓(かえで)と言う同じ年頃の少女と出会う。楓は、今まで人間の学校で勉強を一切してこなかった九太にとっては、全てがものめずらしく、読み書きを楓から教わる。それ以来、熊徹には秘密でバケモノ界と人間の世界を行き来するようになる九太。楓は向学心のある九太に大学受験(大検から)を奨める。そして訪れた役所で、九太は父親の居場所を知り再会を果たす。
九太は熊徹に、人間の学校に行きたいということを話す。もちろん口論になるのだが、九太は父親の所へ行くといって熊徹のもとを去る。子供の頃から九太の親代わりだった熊徹は肩を落とすのだった。
「バケモノの子」のネタバレあらすじ【転】熊徹と猪王山の決闘と、一郎彦の正体
しばらくして、熊徹と猪王山の、宗師の跡継ぎを巡る決闘の日がやって来た。剣は持っているものの、斬り合いは禁止されているので、もっぱら肉弾戦と鞘(さや)を付けたままの打ち合いが続く。そして、怪力の熊徹の鞘が猪王山の刀の鞘を砕き試合終了。しかし応援に来ていた九太に近づこうとする熊徹から血が滴る。見ると腹に鞘が割れて剥きだしになった猪王山の刀が刺さっていた。それは向かいの席に座る猪王山の長男、一郎彦の仕業だった。
一郎彦は自分の魔力だと言い張るが、その胸にはぽっかりと暗い闇が口を開けていた。激怒した九太の胸にも闇が口を開けると、鞘を結ばれて抜けないはずの九太の刀が抜け、一郎彦の目前に迫る。しかし間一髪止められ、九太の刀は地面に落ち、闇も治まる。しかし、一郎彦の胸に開いた闇は彼を飲み込み暴走を始めてしまった。
瀕死となった熊徹の治療部屋で、猪王山は「一郎彦は実は人間の子で、猪のバケモノの子として育てた」のだと言う。人望の厚い父に憧れるも、自分には牙も生えず猪のような顔にもならないこと一郎彦は悩んでいたのだろう。
暴走した一郎彦を止めるのは自分しかいないと、九太は一郎彦と決着を付けようとする。それは自分の闇の中に一郎彦の闇を飲み込み、自分ごと消し去るという方法だった。
「バケモノの子」の結末:白鯨となった一郎彦と熊徹の決断
人間の世界に戻ると九太は楓を呼び出し、もう勉強が出来ないからと、本(メルヴィルの白鯨)を返す。楓ががっかりしていると渋谷の人ごみに、一郎彦が現れる。渋谷センター街で決闘を始める二人に、通行人は撮影か何かかと奇異の目で見ている。九太は人ごみでは危ないと代々木方面へ逃げる。一方、一郎彦は彼らが落とした白鯨の本を見て、鯨に姿を変えると、道路を海のように泳いで彼らを追い詰める。
バケモノ界では、一命を取り留めた熊徹が、宗師に転生の権利を渡すよう迫る。今は猪王山に勝ち、実質的に宗師の権限を引き継いでいる熊徹にはその権利があったのだ。周りは困惑するが、熊徹が一度決めると、頑なに譲らないという事も理解していた。
代々木の競技場まで追い詰められた九太と楓。楓は、自分の中にも闇があり、それと戦って人間は生きている、九太と自分は一郎彦には負けないと叫ぶ。九太が胸に闇を開け一郎彦を飲み込もうとすると、彼の前に一振りの刀が落ちてくる。それは、刀の付喪神(つくも神)に生まれ変わった熊徹だった。刀は九太の胸の闇に飲み込まれていき闇を満たす。熊徹の望みは転生して九太の心の剣になることだった。去来する熊徹との思い出を胸に、変わり果てた一郎彦の闇に剣を突き立てると、大きな鯨の影は跡形もなく消え去った。
バケモノ界のベッドで目を覚ました一郎彦は父の応援をしに行ったところで記憶が途切れていた。
九太の帰還を祝うバケモノたち、その中には招待されたという楓の姿もあった。
それから九太は胸の内に熊徹を宿しながらも人間として生きていく事を選び、その後バケモノ界へ足を踏み入れる事はなかった。
父親と暮らし、大学進学を目指し高認試験の勉強に励むのだった。
以上、映画「バケモノの子」のあらすじと結末でした。
映画バケモノの子の主題歌・テーマ曲
主題歌:Mr.Children「Starting Over」。バケモノの子の主題歌を検討した製作スタッフは「Mr.Children」にオファー。検討を重ねる中で細田守監督がMr.Childrenのアルバム「REFLECTION」に収録される「Starting Over」を聴き、歌詞や楽曲が映画の世界観にマッチしていると絶賛。その結果「Starting Over」の主題歌起用が決定した。「バケモノの子」感想・レビュー
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細田守監督のファンタジーな世界観が大好きです。今回は世界観だけでなく、一郎彦の純粋なあこがれや、理想と現実との乖離における葛藤など心情に心うたれました。宗師さま達の言う通り人間は心のうちに闇を抱えることはあると思います。それでも必死に生きていくのが人間なのだと感じました。
熊徹には師匠がおらず、剣裁きも腕っ節も自分で鍛えた結果だという事が語られる。彼の教え方がなかなか要領を得ないのも、彼自身が教えられた経験が無いからだ。しかし、それは、九太と同じ目線に立ち、九太と一緒に考えるという行動に繋がる。それが顕著に現れているのが、諸国のまとめ役に強さとは、と聞きながら修業の旅をするシーン。強さについて熊徹も考え、知る事になる。ひとりぼっちでの九太にとって、これほど嬉しい事はなかっただろう。
人の持つ闇というものが出てくるが、いわばそれはコンプレックスや孤独、人間なら誰しもが持つであろう負の部分。もちろん九太も持っていたが、熊徹や楓、仲間たち、そして何より彼自身の決断力や向上心がその闇を埋め、これからは心の刀としてつくも神になった熊徹によって見守られる事だろう。